スナイパーに狙われた街 | TRAVELIN’ BLUES

TRAVELIN’ BLUES

夫婦で世界一周旅行!!
2011年12月25日スタート☆
旅の様子を随時アップしていきます。

セルビアのベオグラードを後にして


28ヵ国目ボスニア・ヘルツェゴビナへ



向かうは首都のサラエヴォ

どうやらセルビアから行く場合サラエヴォには到着バスターミナルがふたつあるらしい

東サラエヴォバスターミナル と ボスニア・ヘルツェゴビナバスターミナル

ややこしい


それで僕たちが行きたいのは街の中心にあるボスニア・ヘルツェゴビナバスターミナル




実は旅友「ばったび」も以前に同じルートでここを通ったとき

ターミナルがふたつあることを知っていたためチケット購入時に何度も何度も確認して

そして辿り着いた先






東サラエヴォバスターミナル




どういうこっちゃ!?

サラエヴォターミナルは何にもなくて、治安もイマイチらしい




そんな先輩の教訓を無駄にしてはいけない!



チケット販売のお姉さんに何度も何度も確認

さらに地図まで見せて確認

最終的にお姉さんに舌打ちされるまで確認


よっしゃ!間違いない!

意気揚々と夜行バスに乗り込み


寝ぼけ眼で着いた先
















はい


東サラエヴォバスターミナル















はい?








そのまさかか!










いやいやいや

そんなはずは


ターミナルにいる人に聞きまくった

どうやらボスニア側のターミナルはこの到着駅の前に停車した所らしい…


完全に思い上がってました

勝手に終点まで乗っていればいいと思いこんでた上、途中だとしても運転手が教えてくれるだろうなどと


ここは日本じゃない

ヨーロッパだからといって気を緩めてはいけない笑




さて着いてしまったもんはしょうがない


気を取り直して



同じバスに乗っていた旅行者らしき人に着いていくと見事にボスニア側へ行くローカルバス発見!

ふうw



到着するとちょうど目の前に

朝焼けの街とこの橋がすごくいい感じ


実はこの橋、かの「サラエヴォ事件」の現場

1914年にオーストリア=ハンガリー皇帝の後継者、フェルディナンド大公夫妻がサラエヴォを視察中にセルビア人の青年に暗殺された場所


サラエヴォもセルビアのベオグラード同様時代に翻弄され続け、たくさんの犠牲者を出したところ

全然昔じゃない

1991年には1万人も

その時はユーゴスラビアの一部でそこから独立したいボスニア含める各共和国

それを阻止しようとするセルビア主導の連邦軍との泥沼の戦争





この通りはスナイパー通りと名付けられてる

ここでは動くものすべて、ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の的にされた

子供や老人、女性まで



わけがわからない

昨日まではセルビアで空爆の被害跡を見ていた

そのセルビア人が…


きっと誰が悪いなんて無いんだろう




街の至る所に残された銃弾の跡




この写真に写っている子供連れのお母さん


すれ違う時に笑顔で話しかけてくれた






「わたしは若い時ここを歩いていて後頭部とお腹に銃弾を浴びたの。

だから目は半分見えないのよ。でもね、

わたしはこの街が好き。

ゆっくり楽しんでいってね。」









涙が出た



考えられないほどの恐怖と痛みを味わっただろう

それでも強く

子供を産み

笑顔で平和を願う



この笑顔に未来が見える




笑顔で迎え入れてくれたこの街を楽しもう!




駅前のタワー



そこからの眺めがいい!



山々に囲まれた街並みがきれい



ポーランドで会った萌ちゃんに再会

萌ちゃんはドイツに留学中

サラエヴォ事件に興味があってここを訪れたんだって 若いのにほんと感心!

また会おうね






ボスニアはイスラム、カトリック、東方正教会、ユダヤ、様々な宗教、文化、民族が入り混じる国

教会も様々

「バシチャルシァ」と呼ばれる旧市街







街並みは中近東?

石畳に木造の古い家がどことなく日本とかぶる所もあってすごく落ち着く



お土産もトルコっぽいものがいっぱい



これはサラエヴォの郷土料理

パイの中にひき肉が入っててヨーグルトをかけて食べる

美味しかった




夜もいい感じ









サラエヴォの人たちはみんな笑顔で僕たちを迎え入れてくれる


異文化、民族、宗教が混じり合いながら争いを繰り返し続け、それでも共存し笑顔でwelcomeと言える

争いを繰り返した結果なのかもしれないけど、世界の未来を見ているようで幸せな時間だった



そんなサラエヴォが




大好きです




にほんブログ村