ぼんやりと覚醒した意識の片隅で、微かな衣擦れの音が聞こえた気がした。
寒い、とまず感じて自然と身を縮こませる。そこでふと、つい先ほどまで自分を包み込んでくれていた温もりがないということに気づいてうっすらと眼を開ける。
薄暗い部屋。まだ日の姿がみえていない時間の、どこか独特な雰囲気。寝起きで霞む眼を何度か瞬いてからちらり、と視線だけを上に向けると、探し求めていた存在がこちらに背を見せて立っていた。
「……土方さん」
掠れているうえに呟く程度の小さな声であったのに、その背は当たり前のように、ゆっくりとこちらに振り返った。
「ああ、起きたのか」
はっきりと顔が見えないなか、しっかり耳に届いた涼やかな、よくとおる声。
今までだって幾度もあった目覚めの光景であるはずなのに、今朝はなぜだかそれが特別な感じがして、私はゆっくりと布団から身を起こす。
「……まだ暗いですね、外」
「悪いな。だが、早く行かねえと間に合わねえから」
「え? ……何に……?」
まだよく回らない頭で考えようとして、答えを出す前に私の眠気は一気に掻き消えた。仄暗い部屋の中、端整な微笑みを浮かべた彼の顔が鼻先数センチのところにある。
「約束しただろうが、昨夜」
屈んで視線を合わせ、思い出すまで逸らさないとでも言うかのようにそのままじっと私の瞳を覗き込む。
「ゆう、べ……」
私は眠りに就く前、つまりほんの数時間前のことを必死になって思い出そうと試みた。
──明日の朝は、いいお天気になるんですって。よかったぁ。
──ふぅん。
──晴れるんなら、初日の出も綺麗に見えるでしょうね。
──だろうな。……見たいか?
──え?
──こっちに来てからは、お前と一緒に見たことねえからな。初日の出。
──ほんとに? ……あ、でも、いいんですか? ここ数日、お店の御節作りでずっと帰りも遅かったのに……
──お陰で元日は休みだからな。構わねえよ。
「あ……!」
「……ようやく思い出したみてえだな」
*******
防寒対策にお気に入りの帽子を被って車から外に出ると、辺りには既に人の流れが出来始めていた。
「……凄えもんだな」
「おそらく、この辺りが一年で一番賑わう日なんじゃないでしょうか……」
予想以上の人出に呆気に取られていると、背を軽く叩かれ、手袋をした指をそっと取られた。そのまま、増えていく一方の人波のなかを前後になって歩いていく。
こんな時間に外を歩いた記憶がほとんどないせいか、目に映る風景がより新鮮なものに思えた。
「しかし、その帽子は何とかならねえのかよ。ガキじゃあるめえし」
「だって土方さんがあったかい格好しろって言うから……! これ、ほんと暖かいんですよ。貸してあげましょうか?」
「絶対いらねえ」
中学生の頃から愛用している、てっぺんにぼんぼんのついたニット帽を空いている手で押さえながら、笑いをこらえているらしい背中を眺める。
そうして暫く歩くと海岸沿いに出た。そこにもすでに私たちと同様、一年で一番有難い日の出を目にしようとする人が集まり始めていて、時代が下ってもやはり人々の心は変わっていないんだなと不思議な感慨をおぼえる。
「──ほら、こっちだ」
はい、と声の方に向き直ると、彼はなぜかその場から離れていこうとする。周囲の景色からも周りの雰囲気からしても、ここが初日の出を拝む定番スポットだと思ったのだけれど。
「どこに行くんですか」
賑やかな波止場を背に、手を引かれるまま後を追う。土方さんは一度振り向いて僅かに微笑んでみせると、そのまま無言で人の輪から離れていった。
「……こっちに何かあるんですか?」
もう一度声を掛けてみたけれど返事はない。けれど、土方さんのことだから何か考えがあるんだろうと思い、私はもう何も言わずについて行くことにした。海岸から少しずつ離れて、どうやらどこかをぐるりと回りこんでいるようだということまでは分かったけれど、一体どこを目指しているのかは見当がつかない。波の音も次第に遠くなっていく。
「……あの海岸沿いも、それは美しい日の出が拝めるみてえだが」
緩やかな坂に差し掛かった所で、前を向いたまま不意に土方さんがぽつりと呟く。
「なら、どうして……?」
「……お前、もしかして本当に何も覚えてないのか? 昨夜のこと」
「……へ?」
珍しく、それはもう珍しくクスクスと笑う声に気を取られて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「昨夜って……」
年越し蕎麦の準備をしながら、家族の観ているテレビの音声から初日の出を観に行く約束をしたのは覚えているけれど、他に何かあっただろうか? 歩を進めながら首をひねるも、特には思い当たらない。
「何か……ありましたっけ?」
「まあ、他に何かある、というわけじゃねえんだが」
「じゃあ何が……」
あるんですかと、続けようとしたその時。足元が急に平坦になった感触がして、目の前にあった土方さんの背中がふと止まった。
きょろきょろと、視線をあたりに巡らせる。さっきまで薄暗く、まだ星の光さえあった空が、端から徐々に明るさを増してきている。
「この初日の出を──」
途端にひらけた風景。
雲ひとつ遮るもののない、半透明な水平線。
潮の匂いをはらんだ風が吹きつける。頬が切れそうな冷たさも忘れて、私はただ眼を見開いていた。
「──お前と」
手を繋いだまま、この曙光のように穏やかな声音の隣に立つ。
「二人だけで、見られたらなと言ったんだよ、俺が」
辺りに輝きが満ちていく。空を、海を、いま私たちが立っている足元を、大地を、世界を照らす、この年最初の日輪。その光を真正面から受けて、私は彼の手を強く握り返すことしかできなかった。
「──土方さん」
太陽が完全にその姿を水平線から出したところで、ようやく言葉を発した。土方さんは何も言わずゆっくりと顔をこちらに向け、優しい瞳で私を見つめた。その眼差しに、なぜだか泣きそうになってしまう。
「……今年も、どうぞよろしくお願いします」
白い息は、すぐに風に消える。けれど、向けられる柔らかな笑みはそのままで。
「ああ。……こちらこそ、よろしく頼む」
互いに合図を出し合ったわけでもないけれど、気づけば私たちは自然と顔を寄せ合い、冷え切った唇でぬくもりを分け合っていた。
*******
新しい年が明けた。
街が動き出し、活気づき、人々が今日という日を互いに言祝ぐ朝、私は去年の元旦の出来事を独り夢に見ていた。
隣に彼はいない。けれど、目覚めた今も確かにこの胸に在るぬくもりは何にも替えがたい唯(ただ)一つのものだ。ちょうど一年前の今日、彼と見たあの黄金色の光のように。
カーテンを開け、窓も全開にして深く息を吸う。今年最初の陽の光が既に闇をかき消して、世界を暖かな色に染め上げていた。見慣れているはずのこの部屋からの風景が、いつもよりも鮮やかに眼に滲みる。土方さんと、またここからの景色を一緒に見たい。
ねえ、土方さん。あなたは今どこでこの光を見ているんでしょう──
【つづく】
土方さんを何とか書きたくて、らぶい二人が書きたくて、まーた過去の夢というパターンで書いてみました\(^o^)/
しかも、内容が現実世界とビミョーにずれているという……いや、すぐまた時季がずれてしまいそうなので作品世界では季節を先取りしなくてはと。
しかし、久々に土方さんを書いたらちょっと彼を笑わせすぎたかもしれません……
この人にこんなに『笑う』という動詞(関連語を含め)使ったことってあっただろうか。イメージと違ってたらスミマセン。
それ以前に、私の書く土方さんが既に公式から激しくずれているんでイメージずれとか今更ですかね?w
こんな感じですが、年内にあと1、2話更新できたらいいなぁと思っております。