小学生にお勧めのサッカー練習法/上手くなる法則編(1) | ドングリクンパパのブログ

なんかこんなの書くとちょっとエラソ~じゃんね?(笑)。

 

なんの実績もない、息子がプロになった訳でもない、ど素人のおっさんが書く事じゃないかもしれないね。そう思ってあんまり書かないようにしてたけど、でも良く良く考えるとパパ自身はそういうの読むのが好きなんだよね~。

 

仮にその人がサッカーの素人で縁あって小さいお子さんのパパコーチをやっている、なんて人でも「こういう練習が自分的にはお勧めです」なんて話を書いていれば読む。いろんな人がいろんなこだわりを持ってやっているし、人それぞれ視点が違う。それが良いんだよね。

 

じゃあ、、、まあ、、、書いてもいいのかな?なんて思ってね(笑)。まあ所詮へたれボウズのど素人パパの話だから、ああそんな考えの奴もいるんだ~くらいにお気楽に読んで頂ければと。

 

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一応パパのとっても少ない育成歴について書いておこう。パパが少年団のコーチをやったのは3年間だけ。ボウズが小4~6年の期間だ。ただそれ以前(小1の頃)から公園の朝練で沢山の子達と一緒に蹴っていたので、パパがコーチを引き受けた際にパパと一緒に蹴った事がない子はほとんどいなかった。

 

公式戦では1~2回戦負けが定位置のいわゆる弱小チームで、当時戦績を何年遡っても3回戦まで進んだ事がなかったと記憶している(大昔強かった事があるらしいが)。学年の人数は大概10人ちょっと、ボウズ達の代は割と多くて最初は16~7人、移籍や受験で減って最後10人くらいだったかな。

 

平日練習は1日のみ、ただし時間は長めで3時間チョイ、土日は大概試合でたまに練習という感じのスケジュールで、パパは平日練習を受け持った。つまりボウズ達の代の子達の練習は8割方パパが見ていた事になる。そして彼らが6年生の時はその下の5年生も一緒に見ていた。

 

ここで一応実績的な事を書くけど、こんなもん、実績なんて言えるもんじゃないからね、そんなデータの少ないものではなんの意味もない事は前提で。ただし仮に10年これを続けられたらまあまあすごい事だと思うし、パパには、、、ある程度なら10年続けられる自信もある。ただしもちろんそれは勘違いかもしれないね。

 

万年1~2回戦負けの弱小少年団の練習コーチを受け持ち、まずはそこから2名(ボウズ+ボウズの相棒N)が三菱養和に合格した。語弊を承知で言えば都内のサッカー少年なら誰でもが憧れるチームのひとつ。歴代沢山のプロも排出、今だと中村敬斗選手や相馬勇紀選手が有名だ。

 

都内であればヴェルディジュニア、FC東京アドバンス、養和巣鴨、養和調布が最も人気のあるセレクション・ベスト4(現在は多少変っているのかもしれないが)。そして巣鴨も調布も当時東京都800以上のチームの中でトップ10チームが競うT1リーグに所属していた。

 

少年団から養和に合格する事は稀で、強豪クラブチームですら2名同時に合格する事はほとんどないのに弱小少年団からそんなことになって、パパやNパパはその後あちこちで「○○少年団って一体どんなチームなんですか?どんな練習してるんですか?」と聞かれる事になった。

 

当の養和のコーチからもそう聞かれたくらい、大変稀な出来事だったのだが、しかし実際にはこの少年団からこのレベルのセレクションに合格したのは大昔に1人いただけである。

 

そして養和のジュニアユースになると更に難易度が上がる。ジュニアから昇格出来るのは3分の1、外部セレクションは東京都トレセンの子が1次で落ちた、なんて話があったくらいのとんでもないレベルだ。

 

しかしNは見事昇格、ボウズは引っ越しした為昇格非昇格の話はなかったが、最後の3者面談で「身体が小さすぎて最後の方は公式戦に出してあげられなかったけど、君の技術は間違いなくチームナンバーワン、見ている人をワクワクさせるファンタジスタだ」と言って頂いた。

 

しかし当然少年団チームとしては厳しい事になった。元々大した人数がいない弱小少年団なのに5年生になるタイミングでエース2名が同時に抜けてしまったのだ。実際直後はしばらく試合に勝てなくなったんだよね。ところがこの残りのメンバーで、かつ更に一部の主軸を受験で失ったりもしながらも、6年生最後の全少において世田谷区ベスト16まで行けたんだよね。

 

過去10年以上遡っても最高の成績だった。くじ運が悪くなければベスト8も十分行ける力はあったと思う。近隣の少年団には勝ちまくりだった。世田谷区は人口が90万人を超えている。例えば山梨県や佐賀県の人口よりも多いくらいだ。子供の数も多くサッカー熱も非常に高い。

 

当時数年前にバーモントカップで全国優勝したトッカーノ、ボウズ達の代でバーモントカップ全国準優勝したMIP(レギュラーの1人はブロ友さんの息子さん)、ボウズ達の代に全少で都大会準優勝したバディ世田谷もある。他にも強いクラブチーム、伝統的に強い少年団など強豪チームがひしめいているしので、人口が少ない地方の県大会以上のレベルかもしれない。

 

その中で前期リーグ、後期リーグを戦い抜いて成績上位でトーナメントに出場して60チーム中ベスト16はかなり頑張った方だと思う。しかも負けた相手はバディで都大会準優勝だしね。そしてその時に優勝した都の代表チームは全国ベスト4まで行っている。

 

そしてこのエリアのトレセンは一番下の地区トレセンが世田谷区全体なんだよね。つまりここで地区トレセンに選ばれるのはめちゃくちゃ難しい。上記の通りで人口の少ない地方の県トレセンより難しい可能性のあるレベル。

 

そしてこの少年団からは歴代1人も合格者は出ていなかった。過去に1次試験に合格した子が1人いるだけ。そしてパパの受け持った子供達の中から歴代初の合格者1名(1学年下)、1次試験合格者2名(同学年)が出た(ちなみにボウズとNはトレセンを受けてない。養和に合格したら世田谷区のトレセンには通えないので辞退)。更にもう1人が卒団後中学部活サッカーを選択し、即中体連のトレセンに選ばれていた。

 

そしてこの時世田谷区のトレセン1次止まりだった子の1人、当時チームのエースだった子は今年高校選手権全国大会にスタメン出場した。関東1部の大学入りが決まっている。この子は小2までちょっとスクールに通ったけど3年以降は週2日の少年団の活動だけ。もう一人の1次合格者はスクール歴なしで完全に少年団の活動だけ。部活トレセンの子も少年団の活動だけ。

 

ちなみに関東1部に行く子の兄もパパの朝練に良く来てくれたが、彼も選手権全国大会でスタメン、今関東大学リーグで結果出しまくっていてこのまま行けばプロはほぼ確実じゃないかなという状況(高校時代にも既にプロからオファーはあったが大学に進んだ)。この少年団から高校で全国に出たのは歴代多分この2人だけ。

 

ただ、最初に書いた通りだ。こんなものは実績なんて呼べない。単なる偶然レベルの事だし、他にも関わっていたコーチさん達のおかげでもあるが、パパが唯一「これだけは間違いなくパパの実績」と胸を張れる事がある。それは下記の事。

 

続く