スパルタ父に毎日朝練で泣かされていた娘と父のその後(1) | ドングリクンパパのブログ

小1の頃から毎朝ボウズと一緒にボール蹴るようになって、色々ありつつもそれがあまりにも楽しくてな。

 

でも高学年になったらだんだん一緒に蹴ってくれなくなるんだろうなと思っていた。今を満喫しておかなくちゃと思っていたが、結局高学年になっても朝練は続いた。高学年になるとさすがに中学になったら一緒にやらないよなと思っていた。今蹴れる事を感謝しないとな、と思うようにしていたが、結局中学でも一緒に蹴る事になった。

 

中学生が終わる頃、さすがに高校はないかもな、そう思って感傷的な気持ちになった。ところが結局高校になっても一緒に蹴った。クラブチームの帰りが遅いので平日の朝練はやらなくなったが、土日休日には変わらず一緒に蹴っていたし、夏休みは平日にも蹴ることもあった。

 

一緒に蹴るのはもうすぐ終わるのだろう、もうすぐだろう、あとわずかだろう、いつもそう思っていた。でも最近ようやく気がついたのだ。これ、もしかして、、、終わらないのか、と。別に終わる必要ないじゃん、とね。

 

例えばボウズが競技サッカーを終えて就職して家を出る。でも時折実家に来るよね。で、その時を想像してみるんだ。その時俺達は間違いなく行くよね、ボール持って公園にね。そしてボウズにいつか子供が出来て俺は「じいじ」になる。ボウズが孫を連れてうちに来る。その時もやっぱり行くんだよな、ボール持って公園にね。

 

そうして親子3代で蹴ればいいじゃん。そっかそっか、終わる必要ないじゃん。そう気がついて不思議な気持ちになった。いつか終わるだろうと、ある意味終わりを目指して続けていた。ところがそれはいつの間にか終わりのない日常そのものになっていたのだ。

 

NOT GOAL、BUT BALL

(そこにゴールがあるのではない。そこにボールがある、それだけのことなのだ)

 

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よしひろパパさんも息子さんのサッカーを10年サポートしてきて、最も思い出になっているのが親子朝練だと書いている。今小学生のお子さんがいたりしたら、これだけはお勧めしたい、それが親子の朝練ですと。

 

 

パパもそう思う。恐らく今後もこれ以上面白い事はなかなか見つけられないと感じるよね。パパの人生の中核をなすもののひとつと言って良い。自分の人生に朝練があって本当に良かった、そう思うのだ。

 

とはいえ全ての朝練が楽しかったのかと言えばそういうわけではない。パパはせっかちで気が短くすぐに怒ってしまう。パパは怒鳴り散らし、ボウズは泣いている、そんな朝練も沢山あったよな。

 

よしひろパパさんは優しいからそういうことはほとんどなかったと思うし、みんながそうなってしまうわけではないけど、公園でもしょっちゅう見かけるよね。パパさんがキレて「そんなやる気無いんならもう帰るぞ!」と怒って子供はめそめそしている、そんな図はよくあることだ。

 

親子練習はどこかにそうなってしまう危険性を孕んでいる。しかし「だから親子でやらない」となるならそれはとてももったいないことかもしれない。親子練習は直接子供と深く関わる事が出来る数少ないチャンスでもある。そこには間違いなく普段の親子関係が凝縮されて出る。

 

つまりそこで起きる問題は元々親子が潜在的に抱えている問題が表面化したものとも言える。そして親子練習で表面化した問題と向き合い、それを克服していくことは必ず普段の親子関係、そして未来の親子関係に繋がっていくよね。

 

もちろん毎回親子でげらげら笑って楽しくやれる事が一番だ。でも親子練習が親の心の鍛錬場となり、より強い親子の絆の元となる事もある。しかし逆に親子朝練が元で親子関係や家族関係が崩れてしまうような事も起こり得る。

 

パパとボウズには忘れられない光景がある。小4くらいの娘さんがお父さんから厳しい朝練を強いられ毎朝泣いていた。5年前の真冬の事だった。

 

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ボウズが中1の冬、その当時は平日も毎朝一緒に蹴っていた。河川敷を渡る道路の高架下に小さな公園があり、柱が壁として使えるので重宝していた。すぐそばの土手の上で体操し、それから公園でトレーニングしていた。朝もやに包まれる川に白鷺が舞い降り、水面と空が淡いグラデーションに染まる風景は今でもボウズとの語り草になっている。

 

朝6時過ぎの辺鄙な公園に他の人が来る事は稀だった。ところがある日いつものように公園に着くと、既に野球の練習をしている人達がいた。小4くらいの娘さんに父親が野球を教えている。ママさんがそのお手伝いをして、そのそばには幼稚園くらいの男の子がいた。娘さんの弟君だろう。

 

土手で体操をしながら彼らを見ていた。練習は恐ろしく厳しいものだった。娘さんの一挙手一投足にお父さんは厳しいダメ出しを続けている。「ダメだ!」「そうじゃないこうだろ!」「違う!もっとこう!」「何度言ったら分かるんだ!」その度に娘さんは「はい!」「はい!」と返事をしていた。声が震えていた。そして娘さんは泣きだした。

 

凄まじいな、昭和かよ。幸い公園は高架の柱で2カ所に分かれていたのでパパ達は奥のスペースを使う事が出来た。彼らの傍を通る際「おはようございます!」と元気に声をかけてみたが、お父さんはギロッとこっちを睨んだだけだった。

 

パパは内心「まあすぐ来なくなるだろう」と思った。そもそも真冬の朝練はハードルが高い。しかもこんな悲しい練習が続くはずもない。ところが彼らは次の日も次の日も、ほぼ休むことなく毎日現れた。それはパパの予測に反して1カ月続いたのだ。

 

そして練習は凄まじく厳しく、お父さんの言動は暴言に近いものだった。毎日見るに堪えない罵倒が続き、娘さんは毎日泣いていた。娘さんは一生懸命だったが、しかしあまりスポーツに向いているタイプではないように見えた。元々おっとりとして動きがのんびりしている。それがまたお父さんの癪に障るのだろう、あり得ない厳しさで娘さんを追い込んでいた。

 

パパ達は奥でいつものようにゲラゲラ笑いながらやっていた。もう少し楽しめばいいのに、というメッセージを込めて、2人でめちゃめちゃ盛り上がってやったりもしたが、もちろんそんなメッセージが届くはずもない。パパ達が毎朝「おはようございます!」と声をかけても、ぶっきらぼうな返事が来るか、無視されるかのどちらかだった。

 

(2)に続く