33.房住山 (能代市二ツ井町(三種町))
標高:409m
駐車場:あり
トイレ:駐車場にあり
登り片道:1時間24分 (駐車場から)
スマホ高低差:140
おすすめPoint:三角点を集めている人。山岳信仰の山です。
歴史:
奈良時代に天台宗による山岳仏教の道場として開山され、
平安時代前期に天台山の名前で呼ばれていた。
江戸時代に「三十三観音」が尾根伝いに続く登山道に沿って建立され、今も、残っている。
『房住山昔物語』
名前を、阿計徒丸(あけとまる)、阿計留丸(あけるまる)、阿計志丸(あけしまる)といい、あける、あけしの顔はでかく、額髪際より顔まで二尺四五寸あったと言われ、長面(ながつら)兄弟と言われていた。
坂上田村麻呂の蝦夷征伐をのがれ、山間に逃げこんだ。
阿計留(あける)は、数日の戦いに疲れ、水中で死んだ。身の丈一丈になる大男が、鉄の鎧を二まい重ねて着ていたため、岩石のように重く、20~30人で引いてもびくともしなかった。川の南の小高い丘に埋め引導を渡したと。 (今、その場所を長面と言う。)
阿計志(あけし)は、房住山の東の山に逃げ延びようと逃げてきた。西を目指し山を下りるが、田村軍の放つ矢が雨のように降り注ぎ、流れる血が川を染めた。阿計志(あけし)は川中に倒れ死んだ。
阿計徒(あけと)は見失い、寺内古四王神社に身を寄せていた。そこへ阿計徒が兄弟の敵討ちに参上。寺のひさしに手をかけ、2~3回揺り動かして、寺を倒してしまった。しかし、阿計徒もこの寺の下敷きになり動けなくなり、坊主が太刀を持ってきて首を討ち取ってしまった。
阿計徒丸の両目より光る物体が出てきて、一丈ほど飛び上がって、一つになって北の方へ飛んでいった
阿計徒丸は阿計留丸、阿計志丸に御引導のあった所を<実検長根>と言う。
実検長根から首を下げた時、大衆は念仏を唱えた。この山坂を<菩薩坂>と言う。
陣幕が血に染まったので、沢水で洗わせた。そこを<幕洗い沢>と言う。
その後大衆にも御目見を許されたので、その陣所があった所を<今目見平>と言う。
「盗賊は東から来る。」と沢口に木戸を構えさせた。そこを<木戸野沢>と言う。
首を持ってきた所を不浄として、山伏を沢山集め、神事を営んだ。そこを<切所作平(きりはぎたい)>と言う。
兄弟は別名“大長丸(おおたけまる)”という。
(高尾山(おおたきまる)、大平薬師(おおたけまる)と関係があるのでしょうか?)
大将軍は、軍神である牛頭天王はじめ諸神に奉幣し、都へ帰ったと言う。
(菅江真澄により記録 房住山物語(琴丘・二ツ井町の房住山の昔語り))
しかし、その20年後にはその霊魂が現れた。房住山に怨霊退散の寺を建てて、怠りなく祈祷を行ったところ、ついに阿計徒丸のたたりも収まり、平和になったと言われている。
ただ、史実では坂上田村麻呂はこの土地に到着していない。 戦いの後、山は繁栄を取り戻し宿坊も多く建てられ、房住山と呼ばれるようになった。以後繁栄と衰亡を繰り返したが、江戸時代初期にはすっかり寂れていた。 房住山の大幢寺が焼けた後は、杉本房最勝院だけがとどまって法灯を守っていた。 しかし、明治になって間もなく廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動(政府の神仏分離令に伴う民衆の仏教離れの動き)によって修験寺院はすべて廃寺になった。 今日房住山には寺屋敷という地名だけが残されている。(WIkipedia)
|
長面3兄弟がどんな悪事をしたかは分かりません。坂上田村麻呂の英雄伝なのでしょう。一説によると「鬼」扱いされています。
一方、三種町では「坂上田村麻呂が蝦夷征伐でこの地を鎮圧しようとした際 最後まで勇敢に戦いこの地を守ろうとした英雄」と称えられている。
![](https://ssl-stat.amebame.com/pub/content/9477400408/amebapick/item/picktag_autoAd_302.jpg)
境界問題です。
三種町観光協会で房住山(ぼうじゅうざん)を取り上げています。「秋田県あきた未来創造部 地域づくり推進課」では「古くから三種町上岩川地域のシンボル、」と書かれていますが、山頂は二ツ井町です。房住山展望台は三種町。
もう、どっちでもいいや! 二つの町にまたがる山です。
Navi.で「ぼうじゅ館(0185-88-2427)」と検索します。
日本海側から来た場合は、県道37号線(琴丘上小阿仁線)を東に進み、ぼうじゅ館手前を左折し、黄色い⛩をくぐります
「登山道まで1.9km」と書いてあります
「林道井戸下田線」と書かれていますが、舗装してます
事前予習のストリートビューでは、道が崩れていましたので、
私はバイクで来ましたが、4輪車でも走行できます
ただ、イタドリ(写真の右下)が道に張り出しています
この覆いかぶさった木(写真の中央)はどうするんだ ノコギリ持参
ここを過ぎるとすぐに大きな駐車場があります。昔は遠足で団体が来たんでしょうね?
この先、林道(砂利道)がありますが、決壊しているようです
駐車場には立派なトイレがあります。水洗です
駐車場に登山口があります
石の階段です。歴史を感じますね
房住神社に着きました。
この中は見られません。お賽銭を入れ「無事に帰れますように」
石段はここで終わり、黒土の杉並木の道になります
「天然杉観察林」の看板がありました
ここは樹齢200年を超える天然秋田杉が多数生えています。
滝の上コースとの合流点に着きました。
登山中、案内看板はここだけでした。ウサギさんでも山頂まで60分かかりますね
すぐ先に「10番観音」がありました
大倉の坂(通称:ババ落し)に来ました
「うば捨て山」って「楢山節考(ならやまぶしこう)」(甲府?)が有名ですが、秋田にもあったんですね
迂回コースもあるのですが、
ここの急坂にチャレンジしないと、ブログ読者に「腰抜け」と思われるので、
当然「ババ落し」に向かいます。
足場が悪いので、このロープを引っ張りながら腕の力で登っていきます
ここを登りきると、
「11番観音」
「12番観音」
あれあれ、「番外観音」もあるぞ、
1~8まであるって
ここは、ちょうどいい えもん掛け がある広場です。荷物を下ろし休憩ポイントですね
「番外広場」と名付けましょう
それにしても、登山道に喫煙所とは
いくら「山火事用心」と書いてあってもタバコは良くないです
しかも「琴丘町」お役所が設置しているとは(昭和60年?)、
もうどこでも喫煙していい時代ではないのだから撤去した方がいいですよ。恥ずかしい
「13番観音」
「14番観音」
実は観音様を見ても何番なのかわかりません。案内板がタヨリ
「15番観音」
ここの尾根づたいは、比較的平らですので「400m」が続きます
「16番観音」
何のツボミでしょうか、開花には少し早かった~
それにしても、蜘蛛の巣がウザイ、犯人はこいつ🕷
今日も指揮棒を ∞ に振りながらの山歩きです(この日、誰にも会いませんでした)
「17番観音」
この、ブルーベリーみたいな植物は「サンカヨウ」と言うそうです。
(食べれるらしい)
「18番観音」ほおづえをついた観音様ってかわいいですね
今回の観音様ベストショットです
杉の大木の中を進みます、童話の世界みたい
「19番観音」あれ「370m」だ~
アジサイを見つけました。
「20番観音」
房住山山頂が見えてきました
三階建ての巨大な建物が展望台
ここに「21番観音」
「番外2観音」はここの山岳信仰の御本尊
「番外3観音」は修験道の山の神 だそうです
「2等」ですが、三角点もあります。見たこともない字体ですね
「三 肉 照」ではない
さて、展望台は、、、老朽化がひどい
1F、トイレだったのかな? シャッターが閉まっていて使えません
「揚水ポンプ」は何箇所か見かけましたが、もう使用されておらず、水は出ません
2F、木が腐って、底が抜けそうです
まあ、日陰なので涼しい
男鹿半島、白神山地、鳥海山、森吉山、が見えたのかな?
上からどんぐりの実(ブナの実)を見るとこんな感じでした
下からだと、見えないんですよね
あれあれ、こんな所にタラボの木が生えていて、いいのかな?
3Fは、階段が腐れて、立ち入り禁止
階段の裏に回ると、、、いやいや、良い子は登ってはいけません
ガラス窓があり、山小屋として利用されていたのかも?
残念ですが、もうこの建物は危険ですね
町の予算で建て替えて欲しいなあ (ここで「どっちの町」問題
)
この小屋の裏にまだ道が続いていました
蜘蛛の巣をはらう棒
「22番観音」
こりゃ、33番まで果てしないや
今回の目的は観音巡りではありませんので、ここでおしまいにします
山の東斜面は崖になっており、林道につながる道は見つけられませんでした
なので、来た道を引き返します
少し下った所で、眺めの良いところがありました
男鹿半島かな?
大倉の坂の上に来ました
帰りは「ババ落し」ではなく迂回路へ進みます。迂回路は、ジグザグコースでした
(ここにお婆を捨てたのか~)
帰りに扇滝 (おうぎたき)に寄りました(一番上の地図を見てね 房住山)
ここも、残念なことに吊り橋が壊れて通行止めでした
さて、長面伝説に関係がありそうな、
「鬼首山神社」を地図で見つけましたので行ってみました
ここも残念ながら、養蜂をしていて入っていけませんでした
![](https://ssl-stat.amebame.com/pub/content/9477400408/amebapick/item/picktag_autoAd_302.jpg)