映像があべこべですが、これは妹が送ってくれたミニキャロットを食べたと報告するための証拠写真です。
帰宅してから作ったので。

さてセキスイアリーナに早めに到着しましたが暑さと駐車場からの距離、人の多さ、座る所も無く始まる前からヘロヘロ。

席は西アリーナの6列目なので比較的前でした。
が、殆ど見えませんでした。
皆さんとても熱く興奮ぎみで
ジャンプのたびにスタンディングで拍手をするので、負けてしまいました。私は、プログラムの中のジャンプやステップの繋がりなど作品として感動を受け取るタイプなので残念でした。
内村航平さんの演技の集中力と力がとても強く恐怖さえ感じました。ふたりのコラボの場面も前の方々がきゃ~と立ち上がったので見えなくて、流石に悲しかったです。
でも、羽生結弦さんがマイク持って話し始めても声が聞こえなく困っていたら、お話したい事があるので少し静かにしてもらって良いですか?と言ってくださったので助かりました。

会えて感謝しています。
地下鉄で見かけた姿が懐かしいです。
怪我に気をつけて活躍し続けてください。



あの夜、私も満天の星見ていました。
猫と抱きしめあって
近くの神社に向かって車が沢山止まっていました

仙台に帰れなくなりました。
よく生きていたと不思議です
数年して妹が来た時、女川までドライブしたら、ショックを受けて落ち込んでしまいました。そんな妹が辛い嫁ぎ先での辛い生活の支えとなったのが羽生結弦さんです。試合の日取り、プーさんやグッズを贈り続け少しでも癒やしをと祈ってきました。
震災を経験したかただけでなく、ニュースで聞いただけで辛くなったかた、そんな方々にほんの少しでも希望を伝えられたらと思って。とこの場所は遺体安置所だったのです。彼は泣いていました。私は、妹に伝えたい!と強く思いました。
羽生結弦さんがあの時間にあの場所でやりたかったこと私も胸にしまいました。会場の人々映像で見ている人々とてつもなく大きな思いがひとつになって、空へと放たれた力に圧倒されました。

瞬く間に年が開けてしまった



焼却炉の熱で焼けてしまった金木犀。
まさか、親族でもない私が看取ることになろうとは思いもよらなかった。
朝は元気だったのに。
彼は冷静に見えた。
叫び声に驚いて走って行くと、人工呼吸をしながら
『おふくろ、死んだかもしれない、救急車呼んだから玄関の電気つけてカギ開けて!後妹に電話して!』
救急車は直ぐに来て絶望的な言葉が聞こえた。
妹さんは迷っている様子だったが詳細は伝えず、出来れば来てほしいと伝えた。
それから人工呼吸器につながれたお母さんに付き添っていた。
医師は何も出来ないと言い。
呼吸が止まるのをただ待っていた。
彼は泣かなかった。
今朝の笑顔とは違う、意識のないお母さんの足を擦りながら、私も、無言だった。
大勢の見知らぬ親戚が集まり、葬儀も終わった。
私を見る人々の目は優しかった。驚いたのは私の方だ。葬儀が仙台とは全然違う。初めての経験だった。高額な法名、お仏壇の飾り付け、ステージでしか見たことのない、神棚の扱い。決まりごとの多さと出費の多さ。私の育った環境には仏壇も神棚も法名を書いた木の札の様な物はなかった。




あれから彼は、今までの庭を掘り返し、好きなデザインに替え、好きな草木を植えることに専念している。何十年も溜まったその時々の勿体ないが処理しきれずトラックを借りては処理場に持っていく。
これは流石に考えさせられた。
多分彼の性格でもあるが、30年前ブランドの服も捨てない。
加えて買い物が好きだ。
物は物でしかないと割り切るのは難しいのだろう。
優しかったお母さんは、亡くなったのだと、今頃気がついた。