この秋のノーベル物理学賞を日本人が受賞したことで、スーパーカミオカンデを仕分け対象としたことについて民主党政権およびその責任者の蓮舫氏を非難する人がいます。
ちょっと待ってください。
政権が予算について、その費用対効果を検討するのは当たり前です。
また、ノーベル賞の価値がいくら高いからと言って、金に糸目をつけないということでもないでしょう。
僕がまだ中学生のころ、アメリカのアポロが月に着陸して戻ってきました。
そのアポロ計画が、予算削減で中止になったのです。
月面着陸と言えば、ノーベル賞など比較にならない偉業ですから、それを中止するなんてアメリカはなんという国だと思ったものです。
また、最近でも、スペースシャトルが退役、国際宇宙ステーションへの人の往復はソユーズが担っています。
アメリカ人は国の威信をどう思っているのかと考えたりもします。
冷静に考えれば、国の予算には限界があって、その使い方について、国民の同意が不可欠なのは当たり前です。
日本では、国の威信と言うのが何にでも幅を利かせているようで、新国立競技場でも、東京オリンピックでも、世界に日本の「何とか」を誇示するというのが決まり文句です。
ノーベル賞の受賞は当然国の威信ということで、これでスーパーカミオカンデの次期計画も安泰ということかな。
当然世界の物理学者は喜ぶでしょう。日本では、予算がよく検討もされず、無条件に彼らのおもちゃを作ってくれるのですから。
日本人は、今、金で威信を買うのが平気になっているようです。
安倍さんは、集団的自衛権で、他の国のために汗と血を流すのが当たり前だというようなことを言いましたが、実態はシリア難民問題を金で済ませようとしています。
昨日、瀬戸内寂聴さんが、天台の教えについて、「自分の幸せを忘れ、他の人の幸せを祈りなさいということ。よその国で難民がいたら、どうしたらいいか。人の幸せを祈って下さい」とおっしゃったそうです。
こうした考え方にこそ絶対的な価値があると思うのですが。
