昨日の日経の書評で、著作権の拡大に警鐘をならす本が紹介されていました。
そのなかで、コピーが可能なものの一つに、アメリカンフットボールの戦術というものがありました。料理のレシピなども。
TPPではアメリカの著作権延長要求というのがありましたが、アメリカのいいところは、著作権の本質にかかわる議論もおこなわれているところです。
実際にインターネット技術の進歩はプログラムの公開にあったわけです。
東京オリンピックのロゴデザイン騒動で明らかになったのは、人の著作を平気で利用して作った作品を自分の著作としてその権利を強く主張するのがデザイナーだということです。
オマージュだとかインスパイヤーだとか言ってますが、過去の作品がなければ創作?できなかったわけですから、著作権の権利を主張するのもほどほどにということですね。
コピーが許されているものに、体操の技があります。
最初に技を開発・実演した人には、技の名称に自分の名前がつくという名誉が与えられます。
コールマン・ディアミドフの名前はよく聞きました。
著作権があるなら、やるたびに実演料を払うんですかね。
落語の話にも著作権はありません。
歴代の落語家が、話をマイナーチェンジしながら時代にあわせながら演じているわけです。そして洗練されていくわけです。もっとも、後代の落語家の方が上手いという保証はありません。
閑話休題
ただ、厄介なのは、名跡というのがあって、これには権利があるようです。
権利者に連なって力もないのに大看板を名乗っている人がいますが、名前に負けて恥をかいているだけですね。
いろんな家元とか伝統芸能の演者は、その道にある程度精通していなければ、その力量はなかなかわかりませんが、落語は聞いて面白いかだけですからね。力士と一緒ですね。名前だけでは勝てません。