犯罪被害者や庶民感情の判決への影響力 | 大器は早成し、小器は晩成する

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昨今、犯罪被害者の意向を尊重した判決が出るのが当たり前になって来ました。

また、判決がその意向通りでない場合、メディアは被害者の泣き寝入りというような伝え方をするようになりました。


社会は、犯罪被害者の判決への影響力が拡大することを当たり前としているようです。


イスラム法では、判決が出た後、犯罪被害者の意向そのものに従って刑が執行されるようで、イランで夫の不倫相手から硫酸を浴びせ掛けられた失明した妻に、不利相手を失明させるかの判断がゆだねられたそうです。

妻は、失明させることをせず許したとのこと。


ちょっとホッとしました。


犯罪者に死刑を求める犯罪被害者は多いですが、判決を執行するかの判断が委ねられたらどうでしょうか。

歴代の法務大臣は、死刑が決まっている人の執行を命令するかどうかでも大変な重圧にさらされています。


JR西日本の福知山線脱線事故で無罪判決を受けた前社長を検察が控訴しないことを決定しました。


この一審判決に関して、宮崎県知事だった方は、某ラジオで、法律(裁判)は庶民感覚とは異なるとか言ってましたが、法はやりたいこと(欲望)を妨げるものという感覚しかないようです。


法(裁判)が、犯罪被害者の怨恨・報復や庶民の感情に妨げられることなく、国民を守ってくれるよう祈るものであります。