1972年のミュンヘンオリンピックでは、パレスチナゲリラが人質事件を起こし、選手が殺害される悲劇がおこりました。
私は当時19歳、日本男子バレーボールの優勝に酔いしれていました。
選手村で追悼集会が行われたとき、日本選手団が参加しなかったと非難されたという新聞記事を読みました。僕の感想は、「なんで非難されるの」でした。
日本選手も、スポーツで成績を上げるのを目的にオリンピックに来ているので、周りのことが見えなかったと思います。当時は、サラリーマンも仕事が第一で家庭や地域を顧みないのが当たり前でした。
それから、39年、クライストチャーチで地震がおこって、週末のスーパー15(クルセーダースとハリケーンズ)は中止で引き分け扱いになりました。それは、そうだろうと、今の僕は思っています。
アメリカでは、同時多発テロのあと、自国の兵隊がイラクやアフガニスタンで戦いに斃れているときに、野球をみんなで楽しんでいました。「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌えば、免罪符になっているかのように。
悲しみの追悼と娯楽の共存がそこにあります。その線引きが難しいですね。