深部高温生物圏(Deep Hot Biosphere)とは、トーマス・ゴールドが1992年の論文と1999年の著書で提唱した仮説です。 地球の地殻深部(数km〜数十km)に、太陽光に依存しない広大な微生物圏が存在し、その規模は地上の生物圏に匹敵するかそれを超える可能性がある、というものです。 ゴールドの主な主張
  • 位置と規模: 地殻の岩石の孔隙(pore spaces)に微生物が生息。温度が生命の限界(彼は約150℃程度と推測)を超えるまで、数km〜さらに深く(理論上300km程度まで)広がる。総バイオマスは地上+海洋の生物圏と同等かそれ以上。
  • エネルギー源: 光合成ではなく、化学合成(chemosynthesis)。マントル深部から上昇する炭化水素(メタンなど)、水素(H₂)、硫化物などの化学物質を燃料とする。岩石自体との反応(例: 蛇紋岩化作用)もエネルギー供給。
  • 生命の起源: この深部生物圏が地球上の生命の起源の場であり、地上の生物は後から適応した「枝葉」に過ぎない可能性。石油・天然ガスは主に生物起源ではなく原始的な無機起源(Deep Earth Gas Theory)で、これらが深部微生物の食料となり、生物マーカーが付与される。
  • 他の惑星への示唆: 太陽系内外の天体にも同様の深部生物圏が存在する可能性。
ゴールドは天体物理学者として、隕石や他の惑星(例: タイタンのメタン湖)に炭化水素が多いことから、地球の炭化水素も原始的に存在すると論じました。これが石油業界や地質学で論争を呼んだ点です。現在の科学的理解(25年後の振り返り)ゴールドの仮説は当初異端視されましたが、深部生物圏の存在自体は圧倒的に支持されるようになりました(Deep Carbon Observatoryなどの大規模研究による)。
  • 分布と規模: 陸上・海洋の両方で普遍的に存在。海洋堆積物では海底下数km、陸上では大陸地殻で数km〜10km超。体積は海洋全体の約2倍に相当。地球上の細菌・古細菌の70%前後がここにいるとの推定(バイオマスとして地表の数倍〜数十倍の炭素量)。真核生物(菌類、線虫などの多細胞生物)も少数確認。
  • 生存条件: 極限環境——高圧、高温(最高120℃超で代謝活性確認、Strain 121など)、低エネルギー、暗黒、無酸素。代謝速度は地表の100万分の1程度で、細胞分裂に数千年かかる個体も。酸素がほとんどない古い堆積物でも、99%以上の微生物が生きている例あり。
  • エネルギー・代謝: H₂、CH₄、CO、硫化物、鉄・マンガンなどの岩石由来化学物質。蛇紋岩化(olivine + water → H₂生成)や放射線分解などが重要。光合成由来の有機物は浅部に限られ、深部は独立した化学合成生態系。
  • 多様性: 未培養微生物が多数。古細菌・細菌が主流で、多様な代謝経路。
Siljan Ringなどの実験では期待した大量の無機石油は確認されず、商業規模の無機起源炭化水素は主流説で否定されています。ただし、微量の深部由来ガスやH₂は存在し、深部生命の燃料として寄与する可能性は残ります。最近の主な発見例
  • 南太平洋ギレ(超oligotrophic海域)の海底下堆積物で、1億年超の堆積物から活性微生物。
  • 南アフリカ金鉱や海底下玄武岩でH₂・メタン依存の微生物。
  • 温度120℃超の深部堆積物で活発な代謝。
  • グリーンランドの古い岩盤に75百万年前の微生物痕跡など。
残る課題と意義
  • 生命がどこまで深く・高温で生存可能か(限界温度の議論)。
  • 無機起源炭化水素の量と寄与度(大部分は生物起源が主流)。
  • 生命起源や地球外生命(火星・エウロパなどの深部)への示唆。
  • 地震や地殻化学循環への影響。
ゴールドのアイデアは、深部微生物学(geomicrobiology)を刺激し、今日の研究基盤を築きました。地表中心の生物観を覆し、地球全体の生命を考えるパラダイムシフトをもたらしました。日本語では『未知なる地底高熱生物圏』(大月書店)で読めます。興味深い仮説で、科学の進歩を示す好例です。