2024年6月14日
プーチン大統領がロシア外務省指導部と会談 
「ウクライナによる侵略の歴史の再確認」
「国際法、国連憲章について」 
 
よく知られているように、
ウクライナでは東部を中心に何百万人もの人々がクーデターに反対した結果、
報復やテロに脅かされた
 
キエフの新当局は、ロシア語を話すクリミアに対する攻撃を準備し始めた
 
クリミアは1954年に、当時ソ連で施行されていた法律や手続きのあらゆる規範に違反して、ロシア連邦からウクライナに移管されたことがあった 
 
このような状況下でもちろん、クリミアとセヴァストポリの住民を保護することなく見捨てることはできませんでした 
 
そして2014年3月、ご存知のようにクリミアとセヴァストポリが
ロシアと歴史的な再統一を果たした 
 
ハリコフ、ヘルソン、オデッサ、ザポロージエ、ドネツク、ルガンスク、マリウポリでは、クーデターに反対する平和的なデモが弾圧され始め、キエフ政権と民族主義組織によるテロが放たれ始めた 
 
これら地域で何が起こったかは、誰もがよく覚えている 
 
2014年5月、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の地位に関する住民投票が行われ、住民の大多数が独立と主権を支持した 
 
住民はこのような形で意思表示をする権利があったのか? 
 
独立を宣言する権利があったのだろうか、という疑問が即座に湧いてくるだろう 
 
もちろんそうするためのあらゆる権利と理由があったし、民族の自決権を含む国際法に従ってそうすることができた 
 
今さら申し上げるまでもないが、国連憲章第1条第2項がこの権利を与えている 
 
この点に関して、コソボの前例を思い出してほしい 
 
何度もこのことについて話してきたが、もう一度言う 
 
西側諸国が2008年にコソボのセルビアからの分離独立を合法的なものとして認めたのである
 
 2010年7月22日、国連憲章第1条第2項に基づき、国連の国際司法裁判所で有名な判決が下された 
 
「安全保障理事会の慣行から、一方的な独立宣言の禁止は生じない」 
「国際法には、独立宣言に適用できるいかなる禁止規定も含まれていない」 
 
どのような種類の国であれ、独立を宣言することを決定した国の一部には、
旧国家の中央政府に申請する義務はないともハッキリと書かれている 
 
では、これら共和国…ドネツクとルガンスクは独立を宣言する権利があったのか? 
 
もちろん、ありました 
 
この状況でキエフの政権は何をしたのか? 
 
住民の選択を完全に無視し、新たに独立した国家、すなわちドンバスの人民共和国に対して、航空機、大砲、戦車を使って全面戦争を仕掛けた 
 
ドンバスの住民は、自分たちの命、家、権利、正当な利益を守るために武器を取ったのです 
 
西側諸国では現在、ロシアが特別軍事作戦の一環として戦争を始めた、
 
ロシアは侵略者である ウクライナは自国を防衛しているはずであり、
それゆえ西側の兵器システムの使用も含めてロシアの領土を攻撃することが可能であるという主張が絶え間なく流れている 
 
もう一度強調したいのは、ロシアが戦争を始めたのではなく、ウクライナの一部の住民が国際法に従って独立を宣言した後に、キエフ政権が敵対行為を開始し、それが続いているということだ 
 
もし私たちが、これら領土に住む人々が独立を宣言する権利を認ていなければ侵略になるでしょう 
 
では、彼らは何なのか? 
 
「侵略者」だ 
 
そして、キエフ政権の戦争屋に長年協力してきた者たちは、「侵略者の共犯者」なのだ 
 
私たちにはこの大惨事を防ぎ、住民を保護する義務があった 
 
ロシアはついにドネツクとルガンスクを承認した 
 
結局、我々は8年間もドネツクとルガンスクを承認しなかったわけですが、その結果が今、明らかになったわけです
 
カットした部分も大事なことを言っていたので文章だけ載せとく

2014年、ドンバスの住民は我慢しなかった
民兵部隊は断固として立ち向かい、懲罰者たちを撃退し、ドネツクとルガンスクから追い返した
私たちは、これでこの大虐殺を仕掛けた者たちの酔いが醒めることを期待した
流血を止めるため、ロシアはいつものように交渉を呼びかけ、キエフとドンバスの代表が参加し、ロシア、ドイツ、フランスの支援を得て交渉が始まった

交渉は難航したが、それでも2015年にミンスク合意が締結された
私たちはその履行を真剣に受け止め、和平プロセスと国際法の枠内で状況を解決できることを期待した
その結果、ドンバスの正当な利益と要求が考慮され、これらの地域の特別な地位とそこに住む人々の基本的権利が憲法に明記され、同時にウクライナの領土的統一が保たれることを期待していた
私たちはこのような事態に備え、このような方法で問題を解決するよう、これらの地域に住む人々を説得する用意があり、何度もさまざまな妥協案や解決策を提案した

しかし、最終的にはすべてが拒否された
ミンスク合意は、キエフによってゴミ箱に捨てられた
後にウクライナの上層部の代表が告白したように、彼らはこれらの文書のどの条項にも満足せず、ただ嘘をつき、捻じ曲げたのだ

ドイツの前首相とフランスの前大統領は、実際にはミンスク合意の共同作成者であり、いわば保証人であったが、後になって突然、合意を履行する気はなかったと認めた
彼らはまたしても私たちを騙したのだ

真の和平プロセスの代わりに、キエフが好んでわめく社会復帰と国民和解の政策の代わりに、ドンバスは8年間砲撃され続けた
テロ行為や殺人が行われ、残忍な封鎖が組織された
この数年間、ドンバスの住民(女性、子供、高齢者)は、二級市民、亜人とされ、報復を受けると脅されてきた
これは、21世紀のヨーロッパの中心における大量虐殺以外の何物でもない
そしてヨーロッパやアメリカでは、何も起こっていない、誰も何も気づいていないふりをしていた

2021年末から2022年初めにかけて、ミンスクのプロセスはついに葬り去られ、キエフとその西側の後援者によって葬り去られ、ドンバスへの大規模な攻撃が再び計画された
ウクライナ軍の大規模なグループが、ルガンスクとドネツクに民族浄化と膨大な人命損失、何十万人もの難民を伴う新たな攻勢をかける準備をしていた