元広島、近鉄の清川栄治さんが死去 62歳 ドラフト外でプロ入り 連続救援登板日本記録樹立のサイドスロー左腕

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広島、近鉄で投手として活躍した西武の投手育成アドバイザー、清川栄治さんが5日、悪性腫瘍のため東京都内の病院で亡くなった。62歳だった。西武が13日、発表した。 

 

清川さんは昨年まで西武の2軍投手総合コーチを務めて退任。今季は球団アドバイザーに就いていたが、昨年から闘病中だった。  西武は14日の1、2軍戦の公式戦を喪章をつけて試合を行う。またベンチ内にユニホーム、球団旗を半旗と見立ててそれぞれ掲出する。  京都府出身の清川さんは1983年オフにドラフト外で広島に入団。変則的なサイドスローの左腕として、中継ぎ、ワンポイントリリーフで活躍し、“投手王国”と呼ばれた広島を支えた。91年に近鉄に移籍。98年には7年ぶりに広島に復帰し、同年に現役を引退した。プロ15年で438試合に出場。すべてリリーフ登板だった。13勝10敗、防御率2・94の成績を残した。438試合連続救援登板は当時の日本記録だった。  コーチとしても広島、オリックス、西武の3球団で指導した。 

 

 

 

西武・清川栄治投手育成アドバイザーが悪性腫瘍で死去 62歳

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西武は13日、清川栄治投手育成アドバイザーが悪性腫瘍のため5日に都内の病院で死去したと発表した。62歳だった。 

 

清川氏は広島にドラフト外で入団も、サイドスロー左腕としてプロ通算15年で438試合に登板。コーチとしても広島、オリックスなど3球団を歴任し、西武では14年に1軍投手コーチに就任。20年から昨年まではファーム投手総合コーチでエースの高橋、今井らチーム投手陣の柱を育成し、昨季支配下登録された豆田らの育成出身選手を育てるなど手腕を見せてきた。  5月14日の1軍、2軍は選手らが喪章をつけて試合を行う。  ◇清川 栄治(きよかわ・えいじ)1961年(昭36)9月21日生まれ、京都府出身。京都商では2年夏の甲子園に背番号15で出場し1回戦の県岐阜商戦に救援登板も敗戦投手。大商大を経て83年ドラフト外で広島入団。変則投法の救援左腕として活躍し、86年には自己最多の50試合登板でリーグVに貢献。西武との日本シリーズでも3試合に登板した。91年途中に近鉄にトレード移籍。広島に復帰した98年限りで引退すると広島、オリックス、日立製作所、西武でコーチを務めた。現役時はオール救援で438試合に登板し13勝10敗12S、防御率2・94をマーク。身長1メートル76、75キロ、左投げ左打ち。