イスラム教を5分で説明してくれる女性。日本では決して習えない事▶

 

映像には日本語字幕を入れた。下記にも全訳を記載する。

 

【全訳】

しかし、これから私がすることは、

1400年にわたるイスラムの歴史を5分間でかみ砕いて、

可能な限りエキサイティングにすることだ。

西洋文明がイスラム世界と大きく異なる理由を理解するためには、

イスラムの歴史を理解する必要がある。

預言者ムハンマドは、600年代初頭に天使ガブリエルから

自分が最後の預言者であるという啓示を受けたとされるとき、

自分の町メッカで説教を始めた。

彼は自分の宗教を広めるために友人や信者を集めようとした。

そして彼は12年間試みたが失敗した。

その12年の間に、彼は肉親と友人しか集めることができなかった。

そこで彼は、アラビアのユダヤ人の中心地であり、

ユダヤ人が住むビジネスの中心地であるメディナに行き、

そこで彼らに自分の宗教を説き、彼らが私を受け入れてくれれば、

同胞の間で尊敬と地位を買うことができ、

彼らも私を受け入れてくれるだろうと考えた。

そこで預言者ムハンマドは、

旧約聖書から多くのものを借りて、

自分の宗教をユダヤ人にわかりやすくし、

類似したものにし始めた。

ユダヤ教とイスラム教の間に多くの類似点が見られるのはそのためだ。

例えば、ユダヤ人は豚を食べないが、

イスラム教徒も豚を食べない。

ユダヤ教徒は1日に数回祈り、

イスラム教徒も1日に数回祈る。

ユダヤ教徒はヨム・キプールに断食をし、

イスラム教徒はラマダンに断食をする。

預言者ムハンマドがコーランの冒頭で、

啓典の民について

良いことばかり言っているのを目にするのはこのためだ。

彼は自分のメッセージを携えてメディナへ行き、

ユダヤ人を勧誘しようとして、啓典の民について話し、

2つの宗教がいかに似ているかについて話した。

彼らが彼を受け入れず、最後の預言者として彼に従うことを拒否したとき、

彼は彼らに反旗を翻し、彼らを殺し、追放し始めた。

ムハンマドがメディナに行き、

ユダヤ人が彼を受け入れなかった後、

イスラム教が最初の12年間、精神的な動きから、

ヒジュラの年以降、宗教に刻まれた政治的な動きになったのはその時だ。

彼は軍事戦士となり、彼らに宣戦布告し、彼らを追放し始めた。

ユダヤ人やキリスト教徒はディミー(二級市民)となった。

彼らはジズヤ(保護税)を支払うことによってのみ、

殺されずに生き続けることが許された。

つまり、イスラム教に改宗するか、

イスラム国家でボンクラとして生きるために

ジズヤ税や保護税を払うか、どちらかを選ばなければならなかった。

キリスト教徒とユダヤ教徒は教会の鐘を鳴らすことができなかった。

ユダヤ人はショーファーを吹くことができなかった。

キリスト教徒は教会の鐘を鳴らすことができなかった。

彼らは公に祈ることができなかった。

キリスト教徒とユダヤ教徒が集まって

新しい教会や寺院を建てることもできなかった。

そして、彼らがジズヤや保護税を支払う方法は、

月に一度の儀式で、繁華街に集まり、

ユダヤ教徒は膝をついて自分の品物をムラーに渡し、

ムラーはその品物を保護税を買う対価として受け取った。

そして多くの地域では、

ユダヤ教徒やキリスト教徒はジズヤや保護税を支払った領収書として、

身につけるネックレスを与えられた。

ユダヤ人はイスラム教ではナジスとみなされる。

ナジスとは体液のことである。

ナジスとはゴミのことである。
ナジスとは犬のことである。

ナジスは汚い。

だからキリスト教徒とユダヤ人は二級市民として扱われた。

イスラム教は成長し続けた。

イスラム教が成長するにつれて、

より多くの人々がディミーや二級市民となった。

ユダヤ教徒とキリスト教徒には、識別可能な衣服が与えられた。

ユダヤ人に与えられた黄色い星は、

多くの人がドイツの発明だと考えている。

実はこれは、9世紀にイラクでイスラム教徒が発明したもので、

イラクの2代目ハリフ・アル・ムタワキルが、

ユダヤ人が道を歩くときに識別できるように黄色い星を発明したのだ。

ユダヤ人はナジとみなされていたため、

イスラム教徒とユダヤ人が同じ側を歩く場合、

ユダヤ人は反対側に渡らなければならなかった。

クリスチャンにはズナーというベルトが与えられた。

それはキリスト教徒に対するイスラムの発明だった。

イスラムは成長を続けた。彼らはエルサレムまで行った。

彼らはエルサレムを征服した。

キリスト教徒はエルサレムで教会の鐘を鳴らすことができなくなった。

1090年、ローマのローマ教皇はキリスト教徒に言った。
『聖地で同胞がこのように苦しむのを黙って見過ごすことができるのか?

あなた方はキリスト教徒を解放する必要がある。』
だから十字軍が発足したのだ。
十字軍は、朝起きてイスラム教徒を改宗させたり、

斬首したりしたくなったから出発したのではない。

十字軍はエルサレムを解放するために発足し、

サラ・アルディン・アル・アユビ(サラディーン)が

エルサレムを奪還するまでの100年足らずの間、

エルサレムを解放することができた。

エルサレムは1967年に

イスラエルがエルサレムを解放するまでイスラムの支配下にあり、

そこではキリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も同じ空の下で祈ることができた。