ウイルス検査の無効性

ウイルス」の検出に必要なモデルは、
「ウイルス」からではなく、
主にサルやウシなどの動物の
組織、細胞、胎児血清
(固形成分を含まない血液)から得られる。
これらの動物は
生化学的にヒトに非常によく似ているため、「ウイルス」の成分と誤って解釈されている
その成分は、「ウイルス」検査法を使えば
ヒトでも検出することができる。
一部の『ウイルス』やそのワクチン
-後述する麻疹『ウイルス』ではない-
は、中絶されたヒトの胎児の子孫でさえある!

PCR法のような検査法が、
すべての人間に存在する分子を
検出することも驚くべきことである。
すべての「ウイルス」検査法において、
一定数の人が常に「陽性」と判定される。
これは純粋に、
検査法の感度のチューニング、
つまり何サイクル検査するかによって決まる。

しかし、錯覚はもっと大きい。
これらの毒性混合物をベースにしたワクチンが時に引き起こす特に危険なアレルギー反応は、その後 "自己免疫疾患 "と定義される。

特に胎児血清は、
無麻酔(!)の母親のもとで、
無麻酔(!)の胎児から
極めて残酷な方法で抽出されたもので、
これがなければ実験室の組織や細胞は
成長しないか、あるいは十分に速く
成長しない。
考えられる限りの既知および未知の
バクテリア、それぞれの胞子(下記参照)、
そして多数の未知のタンパク質が
含まれている。

腎臓組織も非常に人気があり、
これは主にサルの腎臓から
採取されたものである。
なぜなら、この組織からは、
証拠もなしに、
現実には存在すらしない
ある種のウイルスモデルに属すると
単純に仮定された成分が得られるからである。科学的』文献全体を見ても、
そのような "ウイルス "は確認されていない。

ワクチンもまた、これらの物質のみから
得られるので、
特にワクチン接種を受けた人々がすべての
「ウイルス」に対して「陽性」反応を示すのは理解できる。
このように検査方法は、
推定「ウイルス」の構成要素である
動物のタンパク質と核酸を検出するのだが、
これらのタンパク質と核酸はしばしば
ヒトのタンパク質と核酸と同一であるか、
非常に類似している。

したがって、ウイルス検査法では、
特異的なもの、確かに "ウイルス的 "なものは
検出されない。
例えば、エボラ出血熱、HIV、インフルエンザなどと診断された場合、
それらが達成するのは、
不自由で、時には致命的な心理的ショックである。
「私は死ぬ」という心理的葛藤を解決した後、治癒シグナルが引き起こされるが、
それは病気の症状とも解釈され、
その後、「抗ウイルス」薬で治療される。
皮肉はすべてに勝る。

最後に、ウイルス検査と呼ばれるものは
すべて、定性的に「イエス」「ノー」と
言うことはなく、
ある定量的な濃度の閾値を超えて初めて
「陽性」と判定されるように
設計されていることに注意したい。
このようにして、検査方法の設定次第で、
人間や動物の一部、多数、皆無、
あるいはすべてを陽性とすることが
できるわけだ。
一方、正常な「症状」
(すなわち治癒シグナル)が、
「陽性」と判定された瞬間から、
突然エイズ、BSE、インフルエンザ、SARS、
はしかの症状として解釈されることを
理解すれば、この欺瞞の程度は明らかになる。

ウイルス理論の死と復活

1952年まで、ウイルス学者たちは、
ウイルスとは有毒なタンパク質や酵素であり、それが何らかの形で体内で増殖し、
人間や動物の体内で拡散すると信じていた。
医学と現実の科学は1951年にこの考えを放棄した。
なぜなら、ウイルスとされるものは
電子顕微鏡では発見できず、
対照実験も行われなかったからである。

健康な動物、臓器、組織の細胞が
死滅することで、それまで「ウイルス」と
レッテルを貼られていた老廃物が
生成されることが
次第に認識されるようになった。
つまり、ウイルス学はそれ自体を否定し、
科学として解散したのである(6)。

しかし、後にノーベル賞を受賞することになるクリックの妻が1953年に二重らせんを描き、
それが有名な科学雑誌『ネイチャー』に、
科学的に開発されたと思われる
遺伝物質のモデルとして掲載されると、
まったく新しい、遠大な誇大広告、いわゆる
分子遺伝学が誕生した。
これ以降、病気の原因は遺伝子に
求められるようになった。
ウイルスという考え方は、
実際にはすでに否定されていたが、
こうして一夜にして変わった。
人々は、病気の外的要因という
唯物論的な考えを手放すことが
できなかったようだ。
ウイルスはもはや毒素ではなく、
遺伝物質として理解される
危険な遺伝的構造、危険なウイルスゲノムと
して説明されるようになった。

ウイルス学の
新しいバージョンである
遺伝子ウイルス学を創設したのは、
ほとんどが若く経験の浅い化学者たちだった。しかし、これらの化学者たちは
生物学や医学のことは何も知らなかった。
そして彼らは、
旧ウイルス学が1年前に解散したことも
知らなかった。

こうして私たちは、すでに否定され、
特に危険なパラダイムが復活するという
悲劇的な展開を目の当たりにする
ことになった。
2,000年以上にわたって、
"主よ、彼らをお赦しください。
彼らは自分たちが何をしているのか
知らないのですから。"と教えられてきた。
しかし1995年以来、
つまり私がウイルスの存在の証拠について
公然と疑問を投げかけて以来、
明確な補足が加えられた。

今まで誰も
真実を語る概要と勇気を持たなかったので、
ゲーテから解放された「悪霊」や、
「免疫システム」や「エピジェネティクス」の概念のような補助的な仮説を目にすることが
多くなった。
これらはすべて、当時考案され、
世間知らずですでに反論されている理論を
維持するためである。

ウイルス学の歴史は、
希望的観測とあからさまな非科学性の
悲しい連続である。
まず1858年、ウイルス(ラテン語で病気の毒)の理論がドグマに昇華された。
続いて、特にパスツールが推し進めた
病原性細菌説が登場した。
その後、バクテリアの毒素
(要するにバクテリアの排泄物)説が登場し、さらにウイルス説も唱えられたが、
この考えは1952年に明確に放棄された。

しかし、1953年の復活によって、
彼らはヴィルヒョーの病毒の考えを、
今度はいわゆる「遺伝子ウイルス」という
新たな装いに変え、
そこからガン遺伝子の考えや、
ニクソン時代に創設された
「ガンとの戦い」まで推し進めた。
この恥ずべき系譜の最新の子孫は、
遺伝子はすべての形質を
受け継いでいるのだから、
すべての病気も受け継いでいるに違いないと
いう考えである。

しかし2000年、いわゆるヒトゲノム計画
(全人類の遺伝子がほぼ解明されたという
恥ずべきグロテスクな主張)の
矛盾したデータが明らかになり、
それは不可能であることが明らかになった。
こうして、遺伝子はすべての情報、
つまり病気に関する情報の「運び屋」である
という考え方は、
完全かつ包括的に否定されたのである。

しかし、今に至るまで、
一般人はこのことを知らない。
しかし、事実は事実である。
誰が何と言おうと、
ヒトゲノムの全塩基配列は
決定されていないのである。

注釈

(1) ノーベル賞は、いくつかの理由から、
科学者と社会にとって最も恥ずべきものである:
1. 1.すべての知識は、その時々の大学教育機関の「一般的な意見」に基づいている。
2. ノーベル賞は、その結論が独断的になりがちであるため、科学的知識の進歩を妨げる。
ほとんどすべての結論は、短期間あるいは数年、数十年後に誤りであることが明らかになっている。
3. 何が科学で何が科学でないかを決めるのは、現実からかけ離れた、
ごく少数の極めてエリート主義的な
グループである。
これらの人々は「科学的」な方法を規定し、
その一方で矛盾する知識を抑圧し、
「査読」、つまり自分たちの基準に従って
科学出版物を事前にチェックし、
自分たちの考えやドグマを否定する
好ましくない知見を出版から排除する。
この問題の核心に迫り、千の言葉以上のことを語っている写真を含む、雑誌『WissenschafftPlus』No.1/2017のノーベル賞に関するレポートをご覧ください。

(2)リベルタス&サニタス協会は、予防接種の義務化を阻止するために、保健当局の担当者の既存の知識をよく反映した広範な文書を発表した。この文書には、ドイツでは予防接種が予防をもたらし、リスクはほとんどないと結論づけられるようなデータは存在しないという証拠が含まれている。実際、ドイツではWHOが定義した麻疹の蔓延を裏付けるデータも、蔓延を食い止めるデータも収集されていない。www.libertas-sanitas.de。

 (3) 英語に堪能な人なら誰でも、この出版物における「ウイルスゲノム」(「完全ゲノム」)は、RKIが重要な役割を果たし、概念的に構築されたに過ぎないことがすぐにわかる: ドイツにおける2013年春の流行時に分離された野生型麻疹ウイルスの完全ゲノム配列。
この出版物の共著者であり、ロベルト・コッホ研究所(RKI)の麻疹・おたふくかぜ・風疹国立レファレンス研究所の所長であるマンケルツ教授は、細胞成分がウイルスと間違われることを否定する対照試験が行われたと主張している。しかし、マンカーツ教授は、このようなコントロールの試みが行われた記録を公表することを拒否した。マンケルツ教授は苦情申し立て手続きの中で、自分は対照試験を行っておらず、ミュンヘンの同僚が確かにこれらの対照試験を行い、文書化したと答えた。私はその後、これらの著者全員とその研究室の責任者に手紙を書き、1998年以来義務づけられている対照実験について尋ねた。どの連絡先からも返事はなかった。連絡した研究所の所長も回答しなかったので、苦情の手続きは時効となった。

(4)2020.1.22の発表: 新たに同定されたコロナウイルスのスパイク糖タンパク質内での相同組換えは、ヘビからヒトへの種を超えた感染を促進する可能性がある。著者 Wei Ji, Wei Wang, Xiaofang Zhao, Junjie Zai, Xingguang Li. https://doi.org/10.1002/jmv.25682。

(5) 雑誌『WissenschafftPlus』No.2/2019の33-36ページ「生命に対する新たな視点-パートII」の説明を参照。科学と資金提供された科学の形は、自動的に間違ってしまう。これは1956年、法学史家で社会学者のオイゲン・ローゼンシュトック=ヒュッシーによって実証された。

(6) Karlheinz Lüdtke: Zur Geschichte der frühen Virusforschung. 濾過性」不活性化剤の研究において技術的進歩を遂げながら、いかにしてウイルスの増殖を阻止したのか。マックス・プランク科学史研究所のリプリントNo.125(1999年)、89ページ。

(7) いわゆる遺伝性物質が生命の構築と機能計画であるというこれまでの考え方に反論するには、雑誌『WissenschafftPlus』に掲載された私の論文が極めて適切である。これまでに出版された全版の内容要約はインターネットで入手できる。また、特にお勧めしたいのは、2008年6月12日付の『DIE ZEIT』誌に掲載された『Erbgut in Dissolution』である。遺伝物質」は常に変化しており、それゆえ固定された物質ではありえないこと、そしてその正常で一般的な変化が「病気」の遺伝子として誤解されていることを要約している。

ステファン・ランカ博士
分子生物学者、作家、出版社