ヨーロッパ、地中海
蝗害そのものの記録ではないが、紀元前2350年頃のエジプト第6王朝の遺跡には、バッタが草を食べ、ハリネズミがそれを捕食する絵が残されている[3]。
アッカドに伝わる風と熱風の悪霊パズズは蝗害を具神化したものとされる。
紀元前13世紀頃の記録と言われる旧約聖書『出エジプト記』10章12節には、風に乗ったサバクトビバッタが[9]エジプトを襲う様子が記されている[22]。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Nuremberg_chronicles_-_Locusts_%28CCXXXv%29.jpg/250px-Nuremberg_chronicles_-_Locusts_%28CCXXXv%29.jpg)
3世紀の小アジアに生まれた聖バルバラがキリスト教の信仰を守ろうとして身を隠していたところ、居場所を羊飼いに密告され、その結果その羊飼いの羊がバッタに変わってしまったという伝説が残されている。
紀元前700年頃のアッシリアの浴場壁画には、串刺しにしたバッタを祭壇に掲げるレリーフが残されており、バッタの被害が大きかったことを示唆している[3]。
紀元1世紀頃の作とされる『ヨハネの黙示録』に登場する奈落の王アバドンは天使としてバッタの群れを率いながら現れ、人々に死さえ許されない5ヶ月間の苦しみを与えるとされた。これは蝗害が神格化されたものだと考えられている。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f2/Kobilice-Valvasor.jpg/250px-Kobilice-Valvasor.jpg)
蝗害ではないが、1889年に紅海を航海中の船が、紅海海上でサバクトビバッタを観察したと報告されている[1]。
キプロスでは、1880年代に1300tものサバクトビバッタの卵を破棄した記録がある。また、1930年代には対策として年間1100トンもの毒餌がまかれている[3]。
1915年にはパレスチナでサバクトビバッタによる大規模な蝗害が起こっている(1915年のパレスチナ蝗害)。
2004年11月23日にエジプトで大量発生したバッタがイスラエルに上陸した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%97%E5%AE%B3