ネオコンを知らない人達の為にお勉強しておきましょう。

新保守主義 (アメリカ合衆国)


アメリカ合衆国 における新保守主義(しんほしゅしゅぎ、英:neoconservatism:ネオコンサバティズム、略称:ネオコン)は、保守 ムーブメントの1つ。米国において、今日のタカ派 外交政策姿勢に非常に影響を与えている。

アメリカ新保守主義の呼称


Neoconservatismの直訳として新保守主義 が使用されている。この言葉は形容矛盾 であるが、元祖ネオコン思想家の1人であるノーマン・ポドレツ によれば、「ネオコンは元来左翼でリベラルな人々が保守に鞍替えしたからネオなのだ。」として、ジョージ・W・ブッシュ などに代表されるいわゆる旧来保守との区別を呼び掛けている。アメリカ内ではメディアや民主党 などによって蔑称として使われ、略称としてNeocon(ネオコン)と呼ばれる事が多い。

これに対し、伝統主義などを提唱する旧来の保守派は、PaleoConservatism(旧保守主義、ペイリオコンサヴァティズム、ペイリオコン)と呼ばれ、ネオコンとはしばしば対立してきた。



新保守主義者の歴史

起源

アメリカ合衆国 の新保守主義の源流は、1930年代反スターリン主義 左翼として活動したトロツキスト たちによる。後に「ニューヨーク知識人 」と呼ばれるグループである。ニューヨーク知識人の多くは、アメリカの公立大学の中で最も歴史のある大学の1つであるニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY) に学んでいる。CCNYは、高度に選択的な承認基準と自由教育により、20世紀 初頭から中期にかけて「プロレタリアハーヴァード 」(“Harvard of the Proletariat”)と称されていた。それは当時、ハーヴァード大学 をはじめとするアイビー・リーグ の私立学校が、大多数のユダヤ系アメリカ人有色人種 たちに関し排他的な入試制度を持っていたからである。

当代のニューヨーク知識人には、社会学者ダニエル・ベル 、政治学者シーモア・リプセットリチャード・ホフスタッターマイケル・ハリントンシカゴ大学 出身。左翼から保守に移行した知識人を批判的に「新保守主義」を名付けたのは、彼といわれている)、政治学者マーティン・ダイアモンド 、文芸批評のアーヴィング・ハウ などがおり、こうした人の中に、のちにアメリカ新保守主義の創設者(founder[1] と考慮される文芸批評家のアーヴィング・クリストル 、その妻であり歴史家のガートルード・ヒンメルファーブネーサン・グレイザーシドニー・フック らがいた。したがってニューヨーク知識人の中で新保守主義へと転向したのは、一部に過ぎない。また、重要な人物としてマックス・シャハトマン が挙げられる。ポーランド 移民 である彼はトロツキズム の党派社会主義労働者党第四インターナショナル から、独ソ不可侵条約 締結とソ連邦によるバルト3国 侵攻を期に、ソ連邦の国家性格やその「帝国主義からの防衛」の是非をめぐってトロツキーらと論争し、社会主義労働者党から分裂してアメリカ労働者党を結成する。ハリントンやハウは、彼に魅了され左翼になった(後に転向)。

第二次世界大戦 後、シャハトマンのグループは民主党 に入り込み、党内最左派として UAW(全米自動車労組 )などを基盤に活動していく。人数的には少数派だったがAFL-CIO (アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)の会長や政府高官にメンバーを送り込んでいた。1970年代 に入るとさらに保守化し、シャハトマンの死後このグループは分解の方向に向かった。このシャハトマン・グループ傘下の青年社会主義同盟に入っていたのがカークパトリック などである。シャハトマンの新保守主義への貢献は、戦前にはトロツキスト・グループを形成し青年ユダヤ人に知的公共空間を提供したこと、戦後はユダヤ人たちが米国の現実政治のなかで影響力を与えていく回路をつくりあげたことだろう。

なお、左翼からネオコンに至ったことで、両者に通底する何らかの部分があったと指摘するマイケル・リンド は、新保守主義の「民主主義の輸出」というコンセプトは彼らが青年期に信奉したトロツキズムの「革命の輸出」の焼き直しであるとしている。



新左翼 及びソ連 との緊張緩和(デタント)への反対


最初の社会政策批評家の重要なグループが労働者階級から出現したのち、元祖ネオコン(まだこの言葉は使っていなかったが)たちは、基本的に社会民主主義 者か社会主義 者であった。彼らは第二次世界大戦 を強く支持した。

元祖ネオコン思想家こと、アーヴィング・クリストルノーマン・ポドレツ は、『コメンタリー誌』に関係していた。

初期ネオコンたちは反スターリン主義 者であり、1950年代 - 1960年代 初頭の時期に公民権運動キング牧師 を強く支持していた。しかし、彼らはジョンソン 政権のいう「偉大な社会 」に幻滅を感じ、1960年代のカウンターカルチャー を軽蔑した。そして彼らは、ベビーブーマーの間、とりわけベトナム反戦運動新左翼 運動の中に反米主義が広がっているのを感じた。

アーヴィング・クリストル(『コメンタリー誌』の元編集長、ワシントンのアメリカンエンタープライズ研究所の上級フェロー、タカ派雑誌『ナショナル・インタレスト』の出版者)によれば、ネオコンは、「リアリティに襲われたリベラル」である。



ネオコンとイスラエルの関係


ネオコンを支えているのは共和党イスラエル 政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ (イ スラエル)・ロビーである。アメリカのユダヤ系市民はアメリカの総人口3億人に対して600万人に満たないが、その内富裕層の割合が多くアメリカの国防・ 安全保障政策に深く関わっている。歴史的に数多くの差別を受けてきた経緯からかつてはリベラル派の民主党支持者が多かったが、民主党のビル・クリントン 政権が進めた中東政策に対する不満から、共和党に鞍替えしている有権者が多い。共和党の掲げる中東の民主化政策が結果的にはイスラエルを利することになるからである。また、同時にイスラエルの右派政党リクード 党も共和党と利害が一致しているため手を結ぶことが多い。このような経緯から、2001年 に登場した共和党ジョージ・W・ブッシュ 政権には数多くのネオコンが参入しており、同時多発テロ 以降の強硬政策を推し進めた

アメリカ合衆国の保守合同


重要なのは、アメリカ合衆国の保守の立場を採る組織や個人の間では、必ずしも利害が共通しているわけではないと言う事である。

伝統主義
アメリカ合衆国には伝統及び原点回帰すべき過去が存在しないがゆえ、アメリカ合衆国の伝統主義者は「古き良きものへの回帰」への希求を志向する傾向が強い。近年では宗教(キリスト教 、特に福音派)への接近、宗教の社会的立場の復権運動と結びつける思想が強くなっている。
リバタリアニズム
経済的自由と個人的自由の双方を重視する思想。いかなる領域においても政府の介入を基本的に認めない。ルーツはフリードリヒ・ハイエク の思想である。「大きな政府 」に傾きがちなリベラル はもちろん、個人の私生活を束縛しようとする伝統主義とも対立する。また、新保守主義とは異なり、軍備拡張や徴兵制 、海外派兵には否定的である。(リバタリアニズムはアメリカの伝統に根ざした思想であるが、狭義の「保守」ではない点に注意。)
反共主義
ネオコンは、この反共主義の考え方を多く受け継いでいるという説がある。ネオコンは転向する以前は新左翼だったが、転向後はむしろマッカーシズム などの正統的な反共主義と同様の立場をとっている。ネオコンのイデオロギーは反共主義と同じである。だがマッカーシーやニクソン、レーガンらの時代はソ連 が主要な敵であったのに対し、同時多発テロ以降はイスラムという宗教や、さらには民族を敵視するようになったのが、大きな特徴といえる。

これらの立場、特に伝統主義とリバタニアニズムはしばしば対立する。例えば、キリスト教精神に重点を置く伝統主義者やキリスト教原理主義者と、完全 なる自由競争を唱えるリバタリアニズムの間で、政治的対立を引き起こした。しかしリバタリアニズムを信奉する人物がキリスト教の中絶・ゲイ反対に賛同して いることからもわかるように、必ずしも両者が激しい意見の相違があると決め付けるのは誤りである。

また、外交政策や安全保障政策に重大な関心を払わない(モンロー主義 や不干渉主義を提唱する)伝統主義者や、リバタリアニズムの対外不干渉主義は、反共右翼の積極介入主義との間で、極めて深刻な政治対立を引き起こした。

この3つの保守思想を1つの大きな「保守主義」としてまとめあげることに成功したのが、1955年に創刊されたナショナル・レビュー という雑誌である。

この雑誌の編集者の ウィリアム・バックリー・ジュニア は、上記3つの保守派に対し、それぞれの問題の起因はリベラリズム に あると主張した。「リベラリズムは反共主義者の嫌う共産主義を容認し、リベラリズムは伝統主義者の嫌う伝統の破壊者であり、リベラリズムはリバタリアニズ ムの嫌う大きな政府の支持者である」とし、リベラリズムと対立する3つの異なる思想を統合したのである。この試みは1960年代のアメリカの保守主義運動 と連動して、1つの潮流を作り出した。

1964年、共和党大統領候補バリー・ゴールドウォーター の有名な演説が行われた。

「自由を守るための急進主義は、いかなる意味においても悪徳ではない。そして、正義を追求しようとする際の穏健主義は、いかなる意味においても美徳ではない」

保守派はこの演説を大歓迎した。そして、このゴールドウォーター演説に影響された多くの保守派の政治家が、アメリカの次代を担うことになる。

また重要な指摘として、それまでの共和党は、現在のような保守主義ではなかったという点がある。共和党が保守派を利用したのではなく、保守派が共和党を利用したのである。これにより、共和党の保守化が進み、1980年代のレーガン政権誕生へと繋がってゆく。

2001年、保守派は「思いやりのある保守主義」を掲げ、それらの政治勢力に後押しされる形でブッシュ政権が誕生した。前述のような背景、思想を持つ人物がブッシュ政権の中枢を担っている。



ネオコンの軍事・外交政策


ネオコンは、自由主義民主主義 を世界に広めることを理想とし、軍事政策や外交政策は新現実主義路線を採る。また、自由主義と民主主義は人類普遍の価値観であると考え、その啓蒙と拡大に努めている。

また、ネオコンは核戦略において、元トロツキストでランド研究所 の重鎮アルバート・ウォルステッター (w:Albert Wohlstetter )の予防的戦争限定核戦争 などの議論に強い影響を受けている。

「緊急事(同時多発テロ など)にはアメリカの国防に何ら寄与しない」として、国際連合 に極めて批判的である。国際連合の枠外による国活動を主張するが、それは単独行動主義的であるとして、同盟諸国から批判されることも多い。「有志連合 」などは、国際連合の影響力の及ばない多国籍からなる一時的な国際組織として注目されたが、アメリカ合衆国はこの有志連合を恒久的に維持する姿勢を現時点では見せていない。

CIA にも批判的であることが多い。そのため、軍産複合体 と利害が近く、CIAを犠牲にして国防総省 の 発言力を高めることに積極的である。彼らがCIAを嫌う理由は職員に民主党員が多いためなど、諸説あるが、最も考えられるのはCIAの過去にあるといわれ ている(反共を理由に腐敗する独裁政権や軍事政権に対するCIAの援助に反感を持っているとされる)。といってもこれもブッシュ政権での傾向であり、カー クパトリックといったかつてのネオコンはその援助に積極的だった。ポスト冷戦であるジョージ・H・W・ブッシュ 政権の時代から中東の民主化構想が考えられ、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権のイラク戦争 はそれに基いているとされる。オレンジ革命 など俗に「色の革命 」と呼ばれる民主化ドミノ もネオコンの援助があったと言われ、中央アジア といった旧ソ連や共産圏から同盟国のサウジアラビアバチカン までも民主化の対象にされている。


ネオコンとされている有名な思想家・政治家


(ウィキペディアより引用)
日本では前原さんがネオコンと言われています。ヒラリーの指示を受け着実にこなすその姿はアメリカのユダヤ勢力には、大変好ましく映っていることでしょう。
そのグループの枝野、玄葉が内閣の要職に就いた理由も分かるのではないかと思います。全てヒラリーからの指示なのではないのでしょうか?