おのれとの戦いLeica M4 with Summaron-M 35mm/f3.5


平成24年9月9日は、2年前亡くなった祖母の三回忌であった。
今回は、両親が若い人たちだけで集まろうと配慮してくれたこともあり、子、孫、ひ孫の三世代がわが実家へ大勢集まった。
私は実はこのような集まりは苦手なほうであるが、実家の行事となれば仕方がない。
私のいとこ連中は、県外からはるばる来ていたが、まだ未就学の幼児を連れて飛行機で来たことにも驚いた。
仏壇への法要が終わって、昼食会が始まった。
和やかなムーズで始まり、はじめはやや硬い雰囲気でえあったが、徐々にビールが進むといとこ達が「まぁ、ここに座って話そうよ」と集まって懐かしい昔話や近況などを語り合った。
同じくらいの世代で1年以上ぶりに合う人ばかりなので、話がはずむ。
皆、立派な父親になって貫禄十分であった。
まわりでは、子供たちがおおはしゃぎ。本当は自分も一緒にはしゃぎたいほうなのだが、今回は語らいに花が咲いて、とても楽しいひとときを過ごすことができた。
皆とは帰り際に固い握手を交わして次回の再会を約束することができた。
幼いころは盆正月には集まってよく遊んだものだが、年を経た今になってもタイムスリップした感じがあって懐かしい。
これも亡き祖父母の縁、何よりご先祖様とのご縁のおかげとつくづく思った一日であった。
両親や親せき全員が皆元気でいられることにも心から感謝である。


しかし久しぶりに酔ってしまった。
夜寝る頃には、頭痛がひどい。最近は年のせいか二日酔いの前に頭痛がでる。
目をつぶると、「あいつにあれも聞きたかったな」とか「○○ちゃんをもっとかまってあげればよかったな。」とか、反省や後悔することしきりであった。まぁ、それもいい思い出か。
次は七回忌、四年後ということだが、皆健康でまた笑って会えることを願って。


おのれとの戦い

Leica M4 with Summaron-M 35mm/f3.5


また一つ、命の灯が消えた。

平成24年6月19日夜、私の職場上司が急逝した。50歳手前での若さだった。
その日の明け方に自宅で倒れ、病院へ運ばれ手術しいったん回復の兆しが見えたものの、その日の夕方に容態が急変し亡くなったそうだ。
この上司とは、私が入社2年目の右も左もまだわからない時から手とり足とり指導を受け、今日まで一緒に仕事をしてきた。
いつも基本は放任主義だったが、いざという時はフォローしてくれ、自分で考え理解して物ごとを進める大切さを教わった。
専門技術においては、我が社でこの人の右に出る人はいないと思う。
ここ2年くらいからは、管理職にシフトしつつあったが、専門技術はさらにスキルアップされ、我々後輩が知らないことをよく何でもご存じであった。
時々、「あの言い方ってないよなあ」とか「もう少しはっきりどうしてほしいのか言ってほしいのに」などと思うようになり、この上司をとても嫌いになった時期もあったが、突然の訃報に今は言葉がない。

あなたが抱えていた仕事や顧客からの信用はあまりにも大きすぎる。
どうやってこの先こなしていけばいいと言うのか。
しかし、我々はこれを現実としてしっかり受け止め、前へ進んでいくしかありません。
「自分たちの立ち位置をしっかり認識せよ」とのあなたの言葉を心にしっかり刻みこんで・・・

心よりご冥福をお祈りします。



$おのれとの戦い
CONTAX RX with Vario Sonnar T* 28-85/f3.3-5.6


とある歴史学者のH先生のお話によると、最近はパソコンの地図データから神社を検索できるから、実際に調査のために1つ1つ回って歩くより時間もお金も労力も少なくて済む、ということを聞いた。
詳しくは知らないが、神社の配置から、何百年も前の勢力や権力の移り変わりなどが判るのだとか。
信仰に関わる建物は歴史を物語る上で切っても切れないものなのだろう。
そういえば、我が家の周囲にある村の中にぽつりと建っている神社はどれも古めかしいものばかりだ。
普段は何気にお参りするだけの神社だが、地図を俯瞰して神社の位置や地名に注視すれば、古代の時間にタイムスリップできるかもしれない。


おのれとの戦い
Leica M4 with Summaron-M 35mm/f3.5



今年もさくらの季節がきた。
今年は梅が全国的にかなり遅咲きのようで、地元兼六園では、梅林が見事に満開、加えて桜が満開、という、かつてない梅+桜のコラボを楽しめる。

日本人なら、「さくら」=「入学(入社)」「新年度」「新学年」などといった要素がだれにも関連付けされているように思う。
自分の場合、正月に新たな目標を立てて、今年はやるぞっ!という決意をするより、新年度の4月に決意を新たにすることのほうがしっくりくる感じがしている。

東日本大震災にあわれた被災者(本当はこの言葉は使いたくない)の皆さんには、さくらを楽しむ余裕などないかもしれないが、少しでも季節を感じて心にゆとりができたら嬉しい。


写真は、2011年7月大阪某所にて。
地上へ出がけに何気なく見上げると、逆光に照らされる木々の緑とツツジの薄赤がきれいだった。
高層ビルと木々との対象的な質感も実に印象的だった。
おのれとの戦い


Leica M4 with Summaron-M 35mm/f3.5


最近覚えた言葉がある。

「ノマド」

なんでも「遊牧民」というような意味らしく、現代では、決まったオフィスなど持たず、そんへんのカフェなどで仕事をするような場所にこだわらないスタイルを「ノマドワーク(ワーカー)」、あるいは荷物を極少にして居住を転々と移すようなライフスタイルを「ノマドライフ」、などのように使うらしい。

この言葉の意味を聞いてとても素晴らしいことだと率直に思ったし、自分もノマドを実践していけたらと思っている。
きっかけは、Apple MacBook Pro を買ったこと。
人からiPhone 3GSをいただいたのが最後、言葉は悪いがAppleの戦略に見事にはめられている。
振り返ると本当にそうだ。もらってすぐ、もう少し大きな画面で雑誌が読めたらいいなという思いからiPad2 を買ってしまった。
今度は、iPhoneとiPadがワイヤレスで同期できるということに感動し、iCloudに興味を持った。
iCloudのことを知るうちに、MacBook Airという斬新なデザインのノートPCがAppleから出ていることを知った。
11インチのMBAを考えていたが、スペックの弱さが気になり、重量級となるが思い切ってMBP 13インチを買ってしまった。
昔からWindows一筋(仕事ではUNIXメイン)であったが、MacOSやiOSを使ってみると、これらのApple製OSにはWindowsには無い魅力が結構ある。
それでいろいろMacOSのことを調べているうちに、MacBook使いにはノマドワークしている人が多いことに気付いた。それで「ノマド」って???とつながったのである。

話が逸れてしまったので元に戻すと、自分も一応ノマドワークをやれる体制にはある。
というか、ノマドワークの真似くらいはできるようになった。
しかし、ノマドの本質は断捨離に通じる点もあり、まずモノを減らし、究極はスーツケース1個ですべての生活ができるようになることが必要だと実感する。(実際はまず不可能だと思う)
新しいモノを買う時は、本当に必要なモノなのかをよく吟味して買う、まずはモノを増やさないことから実践してみようと思う。