パートタイムで毎日3時間学びに来る生徒に英語を教え始めたころ。
教えることが苦痛でならなかった。

なぜなら、、、自信がなかったから。
その頃、私ともう一人カンボジア人の先生(名前はパワフル)がパートナーで、パートタイムの英語のクラスを持っていた。
パワフルはもう5年間くらい教えているベテランの先生。
私は、教え始めてまだ3ヶ月くらいの新人先生。
いつも彼と比べては、落ち込んでいた。

教室の壁は、ココナツの葉っぱでできているため、他のクラスの様子が自分のいるクラスから丸聞こえだった。
だからこそ感じる、他のクラスの盛り上がり方。。。
「あっへーい!!!!!」 隣で教えているパワフルのクラスの生徒が盛り上がるたびに、私の心が痛くなった。
「また、パワフルのクラスが盛り上がってる・・・・」
そして落ち込んだ。
「きっと私の生徒みんな、私のことつまらない先生だって思ってるよ。パワフルのクラスだったら良かったのにって思ってるよ。。」

たまに大先生(団体の創設者)が私のクラスの様子を見に来た。
大先生を見るたびに、「間違って教えてはいけない!」と思い、でも頭の中は緊張で真っ白だった。


そんな私の心の中を察してか、ある日大先生は私に言った。
「ミカはね、クラスの中で自分のことしか考えてないんだよ。人から自分がどう思われるかってことを考えてばかりいる。キミは、生徒をどうしたらサポートできるかってことを考えていないんだ。そこがいけないんだよ」

そう言われて、「なるほど!」と思ったけれど、だからといって私のマインドをどうしたら「自分→生徒」に切り替えることができるのかすぐには分からなかった。
でも、何かしないといけないと思った。

次の日から私は生徒一人一人ともっと仲良くなろうとした。
この団体の英語のクラスは、初めの約10分で文法の説明を教壇でし、残り50分はひたすら生徒がペアを組んで練習。だから、その50分間の時間の使い方を変えていった。練習中よく生徒にちょっかいを出した。彼らの彼女や彼氏の話をしたり、ファッションや髪型の話をしたり、彼らの面白いところを見つけてはいじくってよく笑い合った。

そうしているうちに、少しずつ彼らと接する中での緊張がほどけていった。友達同士のような関係になっていった。
すると不思議なことに、教壇で説明する時の緊張も少しずつ薄れていった。
生徒のことをよく知っているから、 変に構える必要はないし、彼らの笑いのつぼを知っているから、クラスの雰囲気を明るくすることも楽にできる。何よりも、彼らと一緒にいて楽しい!と心から思えるから、自然体の自分でクラスをすることができる。そこでようやく「この大好きな生徒たちをどうしたらサポートできるんだろう?」って思えるようになってきた。そして生徒もどんどん積極的になり、英語力を伸ばしていった。

生徒と仲良くなればなるほど、クラスをすることが楽しい!と思えるようになってきた。
初めはあんなに苦痛だった「教える」という行為が、すごく楽しく思えてきた。

そしてその後大先生に言われた。
「ミカはいい先生になった」と。


初めどんなに苦痛を感じたとしても、その後努力することで、その『苦痛』を『喜び』に変えることができる。
できなかった英語が、練習をたくさんすることでできるようになる。
あがり症だった私が、練習をたくさんすることで教師になれる。
苦手だった授業が、練習をたくさんすることで得意になる。
これが私の学んだこと。


マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

      ココナツの葉っぱで作られた教室の壁。


マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

パートタイムの生徒たち。

日本に帰ってきてもう11ヶ月。
毎日の生活の中で、思いっきり笑うことがどれだけあるだろう。
日本には、テレビ、インターネット、ショッピングセンター、カラオケなど娯楽がいっぱいある。でも、心から思いっきり笑い、時に泣き笑いするぐらいのことって一年間のうちにどれくらいあるだろうか。。。


東ティモール人は笑いの天才だ。
「あっへーい!!!!」
これが彼らの笑い方。笑

一つのネタで、4ヶ月間くらい笑える。

例として・・・・

私の名前はミカ。
東ティモール人にもニックネームがミカの人がいる。
フルネームが「ドミンガス・ダ・コスタ」とか「ドミンガス・ド・サントス」みたいのだと、ニックネームが「ミカ」になる。

それを知ってから、名前を生徒に聞かれると、
「私の名前は、ドミンガス・ダ・コスタ・シルバ。ニックネームは、ミカ。エルメラ県出身でーす!」
って答えるようになった。
そうすると・・・・・・・
「あっへーい!!!!ティーチャーは東ティモール人なのーー?!」って大爆笑。

その後、どうなるか・・・・
次の日から生徒は、「おはよう!ティーチャードミンガース!!」「エルメラ県出身のティーチャードミンガース!!」
学校内で会う生徒、ひとりひとりにこうやって声をかけられる。そしてまた笑われる。
実際話したことのない、パートタイムの生徒にも、
「ティチャードミンガス!!東ティモールから来たんでしょ?!」って超きさくに話しかけられる。(ってなぜ彼らが私の名前知ってる?笑)


それが、一週間先も。一ヶ月先も。4ヶ月先も。。。ずっとずーっと、とまらない。
日本に帰ってきた今でも、メールで「元気??ティーチャードミンガス!!」・・・・・そんな感じ。


日本だと、一つのネタでずっと笑い続けることってないよね。
すぐ飽きるし、次から次へと新しいものを探し続ける。

でも、東ティモール人の彼らは、一つ一つの面白いことをずっと大切に持ち続ける。
そしてそれでずっとずっとハッピーでいられる。

それも一つのスキルだよね。彼らがもっているたくさんの素晴しい財産の一つ。
日本人にはなく、彼らにあるもの。

私もそんな彼らに見習いたいと思った。

マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!


小さい頃から「海外で働きたい!」という夢を持っていた。

その理由の一つは、英語が好きだったから。

小学校6年生の頃から塾で英語を学び始めた私は、中学・高校を通して一番英語が得意だった。

そんな自分に誇りを持っていた。


でも、大学生になったあたりから気づき始めた。

受験英語ができることと、話す英語ができることは違うということを。


大学1年が終わる春休み、海外に初めて出た。そして、実感した。

「私は英語が話せない」


その時から、英語が弱点に変わった。

あんなに誇りに思っていた自分の英語を否定しはじめた。

「私は学生の頃英語が得意だった」なんて恥ずかしくてとても言えない。

結局学校で英語ができても、それは文法だけ。

実際に外国人を目の前にして話せと言われたら、話せない。

私は長い間いったい何を勉強してきたんだ。。



SOLS24/7に入り、始めは大変だった。

英語が話せない。→話せなくて、恥ずかしくて話したくない。→英語が上達しない。

そのせいで私の英語の上達は遅かった。


始めの1年半ほど、私の英語はあまり上手くなかった。

でもある年のクリスマス休暇中。先生達の英語集中特訓が始まった。

自分達の英語の文法を徹底的に直すことになった。

毎日英語でエッセイを書き、それを人前で読み上げ、みんながその文法を直していくというもの。

毎日朝、昼、晩と三つのエッセイを書き上げ、発表しあった。


それを続けて2、3週間ほど経ったとき。

私の英語に変化が現れた。

「ミカの英語は上手い!」と褒められ始めた。自分ではどうして自分の英語が褒められるのかよく分からなかった。ずっと下手だと思い続けて1年半やってきたから、ピンとこなかった。

でもそのお陰で、次の学期から学校の中でも特に英語に力を入れている部署に配属されるようになった。


それからしばらくして、大先生に呼ばれた。

「ミカの英語の上達ぶりを見て、気づいたことがあるんだ・・・」

という所から始まった。


「ミカは日本でずっと文法を学んできていて、その基礎が元々あった。でも、練習を全くしなかったから、それが表に出ることは無かった。でも、海外に来て練習をし始めてある程度話せるようになってきてから、文法をおさらいした。そしたら、元々あったその基礎の力がようやく現れてきた。そして今どんどん上達し始めている。それがミカの英語なんだよ。」


「ロウソクと、火みたいなものだ。ミカは、日本で学んできた文法英語(=ロウソク)を元々持っていた。でも、話すスキル(=火)を持っていなかった。でも、練習をずっとしてきてその火を手に入れた今、ミカのロウソクがどんどん大きく燃え始めているんだよ。」


なるほどなぁーと思った。

私が日本でずっとやってきた勉強は決して無駄ではなかったんだ。

その勉強があったから、いま私の英語がどんどん上達してるんだ。

自分の日本での努力にまた誇りを持ち始めることができた。



けど、これってたくさんの日本人に当てはまるのではないかと思う。


日本では、学校で文法をしっかり学ぶ。たくさんの単語を覚える。

でも、実際に話せるようになるための練習は少ない。

そして、私たちは自信を無くす。

「もう6年以上英語を習っているのに、ちっとも話せない」と。


でも、私たちにはその6年で築き上げてきたロウソクがあるんだ。

あとは、火をつけるだけ。

つけ始めたら、ずっとずっと長い間光り輝いていくから。


その火を得よう!



マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

マレーシアでの英語コース終了式。