東ティモールで分校のコーディネーターをしていた頃のこと。



田舎にある分校の生徒達は、外国人をほとんど見たことがない。

たとえ見たことがあっても話したことなんてない。


だから私が分校を訪ねてそこに滞在したときは、色々おもしろいことが起きた。


始めは怖がって、なかなか私と話そうとしない。

ある分校で同じ部屋で20人くらいと一緒にご飯を食べたとき。

誰もしゃべらなかった。。。笑


ある分校で、給食でキャサバという葉っぱが出て来た。それを普通に食べていたら、生徒が驚いた。

「え??外国人でもキャサバ食べれるんだ!」


サメという場所にある分校には当時お風呂場がなかった。だからお風呂は近くの川に行って水浴び。私も研修生たちと一緒に川に行った。そしたら、生徒が驚いた。「先生も川で水浴びするの!?」

そんな様子を見ていた近所の人たちが研修生に声をかけた。

「あんた。外国人を川に連れて行くなんて!!」


夜中にバスに乗ってある分校に行ったとき。

夜中の3時頃に分校の前に着いた。そしたらバスの運転手が大声で叫んだ。「おーーーーい!!お前達のマライ(外国人)が来たぞーーーーー!!」

その声に驚いて研修生達が慌てて外に出て来た。笑



カンボジアでもそうだが、途上国にいるときに特に気をつけていたことは、「どうしたら彼らが日本人も彼らと同じ人間だということを感じてくれるか」ということ。

彼らは自然と外国人をすごい人間として見ている。そして彼らをだめな人間だと思っている。

でも、生まれてきた国の状況が違うだけであって、人それぞれ持っているものは同じだ。

誰でもきちんとした教育を受ければ、その人の人生をより良いものとすることができる。



だから、私のできることは、東ティモール人のように生きること。

彼らが川に水浴びに行くなら、私も行く。

キャサバを食べるなら、私も食べる。

彼らと共に食事をする。

彼らが歌を歌うなら、一緒に歌う。

ちょっとした現地の言葉(ジョークとか)を覚える。

彼らと一緒に寝る。

一緒に働く。

一緒に踊る。


まだまだ出来なかったこともたくさんあるけど、でもその努力をすることが大事。

それによって彼らとの距離もずっと近くなるから。



「先生はもう、東ティモール人だね!」

これが私にとって最高の褒め言葉☆



マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

サメ県にある分校で。スペシャル料理を作って一緒に食べました☆


東ティモールにいたときに会ったたくさんの生徒の中でも、特に私に大きく影響をあたえてくれた男の子がいる。

彼の名前はカロス。



それまではどこかで、「生徒は生徒」という意識があったが、彼に会って始めて生徒を心から尊敬できるようになった。


彼は遅咲きだった。学校設立当時からの生徒で、1期生であるにも関わらず、英語はとても弱く、自信もなかった。彼の同期が研修生としてどんどん分校オープンのために地方に送られていたが、彼はその機会を得ることができなかった。それでも彼は諦めず、いつも先生の言うことを聞いて自分を成長させようと頑張った。

その努力のお陰で、同期よりも半年ほど遅れで、分校へ研修生して送り出されることになった。


そこからの彼の成長が本当にすごかった。分校で彼は目覚めた。生徒を思い、学校を思い、一生懸命働いた。

そしてその努力が認められ、その後アイナロという彼の地元に分校をオープンするために送られた。彼は見事に分校をオープンし、その後その隣のスアイという地域にも分校をオープンした。1人で2校をオープンするのは本当にすばらしいことだ。


その頃私は分校全てを統括するコーディネーターになったばかりだった。

出張でいつも分校を回っていた。

私にとっても初めての分校コーディネーター、わからないことばかりだった。実際に分校を運営するとはどういうことなのか、どんな問題があるのか、どうしたら分校の研修生達をサポートできるのか。

特に新しい分校をオープンするとき何が必要なのか。


右も左も分からないままやっていた私に力を与えてくれたのはカロスだった。

「先生、僕の場合はね。一つの黒板と教科書と生徒の座るイスがあったら、もう学校を始められるよ。それだけだよ、必要なのは」

「もし一ヶ月だけ場所を借りられるとして、そこに一ヶ月英語を教えに来てって言われたら、たとえ一ヶ月でも僕は教えに行くよ。何もしないで一ヶ月いるよりはずっといい」

「全部揃うまで待ってたら、始まるまで時間がかかる。その間何もしないで待っているんだったら、あるものを使って始めた方がいい」→実際そのとき彼が始めたアイナロセンターにはトイレがなかった。学校も小さかった。でもそこで学校を始め、約一ヵ月後にはもっといい場所を見つけ、引越しをした。すごい行動力!


私はいつも無い物を見て、「どうしよう・・・・」「この学校にはコレがない、アレがない。問題だあ。。。」と頭を抱えてばかりだった。難しく考えすぎていた。


そんな私に彼は、「大丈夫。それが無くたって、他の方法が探せるよ、先生」

彼は「何かが無い」ことを嘆くのではなく、「その状況のなかで何ができるのか」をいつも探していた。一度も文句を言ったり不満を言った事はなかった。


だから彼は強いんだと思った。

何か問題があるときに文句を言わず、その状況で何ができるのかをいつも探しているから。

そんな彼を尊敬する。

口だけではなく、実際に行動力もあり、結果も出している。


彼はその後マレーシア、カンボジアへ海外研修に行き、1年後の今、東ティモールへ帰国した。

どんどん成長していっている彼の姿を見て私も頑張らなくては、と思う。

「日本にいつか行ってみたい」と言う彼のためにも。



マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

右から2人目がカロス。サメ県にある分校でそこの研修生たちと。



SOLS24/7東ティモール設立当時から生徒として学んで2年。その後研修生としてカンボジア、マレーシアへと海外研修へ送られた東ティモール人の一期生たち。彼らがこの学校で学んできての想い、感謝の気持ち、学校に来る前と比べてどれだけ彼らの人生が変わってきたのかをつづった曲を作りました。
英語ですが字幕つきなのでぜひ聞いてみてください。


●昔は不良だったり、毎日人とけんかしたりお酒飲んだり。毎日色んな問題ばかり起こしてた。そんな彼らがSOLS24/7に来てどう変わってきたのか。この学校と出会って、人生をどう生きるべきか。自分の人生を豊かにするために、将来「誰か」になるためにはどうしたらいいのかを学んだという歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=Da-OYyuV5RQ&feature=related


●学校の設立当時は、まだ国も不安定で学校の目の前で外の不良たちが戦っていたりしました。そんな状況でも諦めずに勉強をし続けてきたのは、教育の必要性を強く感じていたから。
教育の機会を与えられて、自分達の可能性を信じることができた。
自分も他の国の人のように外国にいける。色んな経験ができる。
他の国の人よりも劣っていると感じなくなった。
全ては教育のおかげ。そんな歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=z1_XNvBI_pM&feature=related


●学校に来る前は、どんな風に生きて行って良いのか分からなかった。ただ神様に助けを求めていた。神様のおかげでこの学校と出会い、先生と出会い、今の私たちがいる。そして今は信じることができる。自分も「誰か」になれるということを。そんな歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=ZWHgtQOKrWw&feature=related


●現地の言葉テトゥン語での歌です。(英語での字幕つき)
学校に入る前の自分の人生に意味はなかった。ただ毎日ブラブラし、お酒飲んだりタバコ吸ったりすることだけが楽しみだった。こんな生活を今も続けていたら幸せにはなれなかっただろう。人生には自分の想っている以上の意味がある。「友よ。どうか、自分の人生を有意義につかってほしい。」という歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=IePEfrqr9HI&feature=related


マレーシア、カンボジア、東ティモール、NGO滞在記!

写真は、東ティモールの1期生たち。