何かにこだわって偏るということ~食に偏っていた時の話~ | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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先日、カエル姉さんの投稿から
再度振り返ってみたときの話。

振り返りながら、
あ、自分のできる力を信じてたんだなぁって
改めて気づいて
やるじゃないか、自分。ヾ(@°▽°@)ノ
なんて自信につながった とも です。

で。
この中でも出てきた今度は「食」に偏りを生じた話。

薬の副作用で太るという

目に見えるデメリットを感じたワタシは
口にするものの選択の大切さを学んだ。

で、ちょうどセルフケアの一環として学び始めたヨガの先生が
マクロビオティックを取り入れた生活をしていて、
それを課外授業として紹介してくれた。

その先生の料理教室にも通い始めた。

その丁寧な感じと
その先生はローフードも取り入れていて
彩りも鮮やか&簡単なレシピが魅力だった。

追求心をくすぐられ、結婚して東京へ引っ越すタイミングで
先生が通っていた教室へ通って本格的に学んでみようと決めた。
 

そのマクロビオティックの学校は
その世界では老舗的な存在で、

理論からしっかり教えてもらえる学校だった。

マクロビオティックは「陰陽の考え方」を在り方のベースにしている。
素材から、素材の切り方、炒め方、火の入れ方にも
反映させている。

面白い、はおもしろかった。
へぇぇぇぇーーーー!!!!
好奇心をくすぐられた。

けど、そこで「べき・ねば」にとらわれてしまった。
@「科学的根拠」思考が好きなワタシは
納得できる感じだったのかもしれない…。


動物性はなるだけ摂ってはならない。
お菓子も薬もなるだけ摂ってはならない。
中庸的な食事を目指すべき…。


夫は当時、激が付くほど菓子好きで
ご飯を食べても、びっくりするくらいの菓子を食べていた。

で、ワタシは陰陽の考え方を当てはめて
夫の食行動を見張るようになった。
で、

あんたのそれはいけない。
こうあった方がいい。
こうするから〇○になる。
こうしていると〇○になる。

そんな感じで

あなたが心配。という底辺の元、
あんたのその在り方は大バツだ、と責めるようになった。

あああ、こんなことしていると〇○になってしまうーー。
あああ、こういうことしているから夫は××なんだーーー。


そうやって、だんだん
恐怖心をあおっていってしまった。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

食事を愉しむ、というより
療法?みたいに捉えるようになった。

自分もああならないようにこうあるべき。
こういう食事を摂るべき。
菓子を摂るならば、こういうものでなければ。


長男を妊娠して、ある助産院に通うことにした。
その助産院の先生も同じマクロビオティックの学校に通う方で
それこそ、セルフケアの一環として食事も
マクロビオティックで提供していた。

更に傾倒して
こうあらねば、で努力した。

ワタシは長男を妊娠して間もなくから
東日本大震災の影響もあったストレスも影響していたのか
おなかが張りやすかった。

その先生は
カラダが冷えている。
そのせいもあっておなかが張りやすいのだ。

という。

妊婦に冷えは厳禁だ、とは
知っていたし聴いてもいた。

温めるために努力して努力した。
けれど、
冷えているようだし、
張りやすい状態は変わらない。

メンタルの治療をしていて薬を飲んでいたことも
冷えの原因だという。

罪悪感を刺激された。

冷えないように冷えないように、
努力して努力した。

けれど、結局最終的には
早産の可能性もあるので、
助産院での出産は諦めざるを得ない状況になった。

夫は「見放した」と激怒していたけれど
ワタシは

ワタシが悪いのだ、
あんなことをしていたし、

こんなこともしていたから…と
半べそをかきながら
自分を責め、更に食を
マクロビオティックにかためていった。

それから、
基本的にはベジタリアンな感じで
 

動物性は摂るべきではない。
化学調味料の入ったものは摂るべきではない。
精製されたものは摂るべきではない。
 

「べき・ねば」でがちがちに固めた状態で
長男を出産し、育児を始めた。

そりゃあ、「べき・ねば」が反映された育児にもなるわね…。

だけれど、そういう在り方を崩してくれたのは
やっぱり子ども、だったかもしれない。

育児は「べき・ねば」が通用しない。
ワタシのルールが子どもに通用するなんて限らない。
@そういう意味では結婚生活、だってそう。

産まれた我が子は勝手気ままに泣いて訴え生きている。

その気ままさが許せなかった。
その自由さが許せなかった。

 

今ならわかるよ。
その気ままさ・自由さをワタシが渇望していたっての。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

そして、次男を授かった時、
妊娠性糖尿病になった。

この頃は、ガッチガチの

マクロビオティックは卒業していたけれど、
それでも食はこうあるべき、なところがあった。

でも、今までと同じような食事をしていると血糖が高い。

敬遠していた動物(=タンパク質)を食べると
比較的血糖は安定していた。

インスリンこそ使わなかったが、
ワタシの血糖コントロールは大変で
食事により制限がかかった。
 

食事は全然楽しいものではなくなった。

お腹が空いてくる自分が悲しかった。

 

どうせ、
これを
これくらい食べたいと思っても
(血糖が高くなるから)ダメなんだ。
 

ガマンすればするほど食べたくなる。

そんな自分をよそに
家族は好きなものを好きなだけ
好きなタイミングで食べている。
もう、うらめしくてうらめしくて
何度食事の件でケンカしただろう。

夫は、

あんだけ食に気を遣っていた人がこうなるんだよ。
やっぱり偏ってるのは良くないんじゃないか。
なんでもバランスがいいんだよ。


と言った。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

血糖をコントロールするために、
1回に食べる量を少なくして

何回かに分ける必要があるのだけれど
そうすると満腹感(達成感)が得られなかった。
常に中途半端な状態でごちそうさま、だったの。

達成感が得られないことが
こんなに満たされないことかと知った。


だけれど、動物を食べると
量が少なくても満足感が得られたこともあって
泣きながらお肉を食べたこともあった。

結局、自分の場合は産後良くなったんだけれど。
(本来、妊娠性糖尿病は妊娠が終了すれば治るもの)

今回も、身体が
食も偏りすぎるのは良くない、って教えてくれた。

そりゃあね、ジャンクばっかり食べて
それこそ食事を
「腹が減ったら満たせればいい」的な
「エサ」的食べ方は

「今のワタシ」はいかがかなぁと思ってる。



でもさ、食事は「療法」だけじゃないんだよ。
やっぱり楽しいもので、ありたいじゃん。
ってのが今のワタシの考え方。

見た目も、味も歯触りも、空間も。
楽しくありたいじゃん。

不安や恐怖から摂るもの、ではないと思うんだよ。

それだけになったらホント楽しめるもんではなくなる。
人間関係もおかしくなっちゃう。
挙句、人にもこう在れ!!
じゃなきゃ、○○になっちゃうよ!
なんて不安や恐怖でコントロールしようとしてたらさ。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

自分に都合よく考えたらwww

もっと余裕ある状態で在れたら


そこまで冷えてなかったんじゃないかなぁって思う。
 

「べき・ねば」にとらわれすぎると

常に見張ったり不安と恐怖の緊張ばっかで、
そりゃあ常にビクビク縮こまってるよね。
怒られるかもー!!ってさ。
そういう時って血管たちも神経たちも縮こまってると思うのよ。
血の巡りも気の巡りも悪くなりそうだよね??



でも、マクロビオティックの考え方は
学べたのは良かったなぁって思う。

今でもやっぱり活用するもの。
あ、ちょっと陰より過ぎたかなぁ。
うん、調子に乗って陽より過ぎたなぁ。
じゃあ、ちょっと中庸(真ん中)意識しようかなぁって。

ちょっとしんどい時は、
こういたらいいかなぁって指針の一つになるから。

それくらいでいいんだろうなぁ。

「今のワタシ」は
そう思う
よ。


きっと、偏り過ぎている時は何かしら、
何かのタイミングで「お便り・お知らせ」は来ると思う。
それまで偏り生活を送ってみてもいいと思う。

ワタシはこうが正しいと思うんだ!!
こうあるべきだと思うんだ!
 

と追求してってもいいと思う。

 

それもすべて経験になるし。

いつか
あんな時もあったよねー( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
(*ノω・*)テヘ
って笑える日が来るまで偏ってみてもいいよね…。

それがその時のワタシがしたいこと、なんだもんね…。

そんで、
ん?って違和感感じ始めたら
(ホントは)ワタシ、どうしたい?
って聞いて選択してったらいい
よね。
@味、とかさぁ。濃いっ!味ないっ!
見た目とかでも、
これあんま食欲刺激されないわぁ思ったら、
いくら身体にいいものよ、言われても
それ以上無理して摂らなくていいよね。
お腹いっぱいなら、全部食べなくていいし。


今まで、
これはこう在るべきなんだぁ!これが正しいんだぁ!
ってガチで信じていたことと

違うこと急にしれっと選んでもいいよね。

そうしたかったなら。ね^^

その「余裕とあそび」があるとないとで
ワタシの身の周りの世界は
広くて豊かなのか狭苦しいものなのか
見えてくる世界が違ってくる気がするなぁ…。

そう選択する・選択できる自由って
ホントは常にあるんだよ…。

自分がそうするって決めればいいだけ、なんだよね…。

 

だから大丈夫…
激がちがちに偏ってもいいーーー!!
そんなあなたは
自分の好き・自分のちょうどいいを見つけられる人、だよ…。
@ワタシもそう思えるまで4,5年要したよーーー^^

思考のクセ、なんて生まれてこのかた何十年物、だよwww