何かにこだわって偏るということ~ワタシの場合~ | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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おはよざいます。
とも です。
朝から気温がぐんぐん上昇だぁぁぁぁぁ。

昨日読んだカエル姉さんのブログ。

ワタシも、
かつて「強制終了」で治療をしていた頃、
思考の偏りがあったと思う。

薬がないと生きて行けない。

と信じてた。

眠れないし、食べられないし
幻聴は聞こえるし。

これ(処方された薬)がないと眠れない。
これがないと、落ち着かない。

まともに生活ができない。

 

ーーーこの薬がないとワタシは生きていけない。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

最初に通っていたクリニックは

症状を言えば、
都度都度、薬を出してくれました。

最初はね、確かに、疲弊しすぎて
もう自分で調整できるくらいの

エネルギーもなかったのだろうと思う。
 

だけれど、
どかどか増えていく薬の量に
ちょっと不安を覚え始めた矢先、
先日、あげた職業訓練所で一緒にリハビリしていた方に
こういう不安がある、と話したら
自分のドクターは
とてもいい先生だから、
かかってみないかとすすめられた。

そのドクターは話をよく聞いてくれ、
こんな症状があるなら、じゃあこの薬、

ではなくて
たとえ話をしながら、
こういう考え方もあるんだよ。
選択肢を与えてくれる先生だった。


そのドクターに主治医となってもらった。

やがて、

ワタシのカラダは薬の副作用で
どんどん体重が増えて行った。

今まで自分は

よく食べる割には太ったことがなかったので
初めてダイエットを試みた。
 

だけれど、

食事の量を減らしても体重の増えは止まらない。

今まで履けていた着られていた服が
どんどん着られなくなっていく。
変わっていく外見。
「ぽっちゃりしたね」
と言われることが多くなる。

今までの自分のボディイメージが

変わっていく怖さを初めて味わった。

自分が自分でなくなっていくようで怖くて
主治医に相談した。
ら、やっぱり

薬の副作用だ
とのこと。
食事の量を減らそうが難しいかもしれない、という。

自分の身体が変わっていくストレスに耐え切れなくて
こんなのもうイヤです。
訴えた。

エネルギーが枯渇していた時は、
それこそ、薬の力が必要だったかもしれない。

だけれど、少しずつ休んで
ある程度エネルギーが培われて来たら
自分の力で立ち上がっていける力があるのかもしれない。
その訴えをカラダは「太る」ということで
表出してきたのかもしれない。
 

もちろん、そんなの個人差もあるし、
そんなの万人に当てはまるわけでもないし、
ワタシにそうでも、あなたはそうとは限らない。

そんな都合よく。
と笑われても、
ワタシには都合よくそう感じられた。

そして、断薬を主治医は治療として提案し、
(本来なら少しずつ減らしていく薬を一気にやめるものだから)
生活への支障をキチンと説明してもらったうえで
断薬することを決めた。
 

主治医は、

応援するよと言ってくれたけれど、
結構しんどいと思うから、
しんどい時は、また戻ってもいいからね。

選択肢を提示してくれた。

確かに1週間外出できる状態ではなかったけれど、
自分は乗り切る、乗り切れる、と信じて
家族にもサポートしてもらいながら
断薬を乗り切った。

それから、
口にするもの・取り入れるものという意味で
「食」に興味を示し
マクロビオティックの世界に入っていった。
@まぁ、そこでまた偏りが生じるわけだけれど
それはまた次回。


ココロの勉強もして来て、
本当にそうだな、と感じたのは
選択肢があるのと
ないのとでは「余裕」が違う
、ということ。

実は内服治療を始める、
と提案された時、
それこそ、ワタシは「ない」、と思ってた。
 

そこまでワタシは重症ではないと思っていたし、

メンタルの薬を使って治療していく。
ということに怖さを感じていた
のも事実。
ケガして消毒薬を使うことと
痛い時に痛み止めを使うことと
そう変わりないはず、なんだけれど
メンタルの薬に関しては

一度使ったら
自分自身が変わってしまいそうな
そんな恐怖感があった
のだ。
@そうなるまで、その気持ちを言えなかったね…('◇')ゞ

だから、提案されても極力抵抗・拒否していた。

で、強制終了になってから、
もう、薬を用いないと
コントロールできない、ところまできてしまった。

それまでだったら補助的な
程度の薬でよかったのかもしれない。

でも、そこまで来てしまったから、
自分の可能性も信じられなくなって
薬なしでは生きて行けない。
に、考えが偏ってしまったのかもしれない。

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

薬だって適度に使えば快適になる。
けど、マクロビオティックにドハマリしていた時は
薬も一時「悪者」扱いになった。
@危うく西洋医学も悪者になりそうだったけれど、
ありがたいことに自分は医療従事者でもあったので
西洋医学の有益性も目の当たりにできていたから
そこまでは思わなかった。

 

薬使うんだったら、自分の身体を食で整えろ!!
的に。
 

今はね、選択の余地ができたから、
もちろん休むことは第一だけれど、
適度に薬に助けてもらうことは×だと思ってない。
@だって、やっぱり頭が痛いとしんどいじゃん…。
 

やっぱり選択の余地があるって
あそびがある、って快適、だよね。

ドハマリ中だと分からなくなるんだよね。
これが絶対的に「正」!!
になりがち。
それ以外は「ダメ」!!!「間違い」!!!
になってしまう。
@挙句、「攻撃」の対象になっちゃったりして…。

ただ、双方「違い」が生じるだけ、なんだけれどね。
決して、「間違い」ではないんだけれど。

自分は「激偏り」を経験してきたから
選択肢が増えた、に

今は繋がっているんだけれどもさ。

姉さんも言っているけれど、
「薬」や「食」だけじゃなくて
いろーんなことにも通じること、だね…。
@イタイ…

どっちでもいいんだよ。

っていう中庸的な在り方、理想だなぁ。


まぁそこに至るまで、

激偏りな生活してみてもいいけれどね。

こっちが正しいんだ!

これが「善」なんだ!
 

散々やってみて、

 

そんな在り方に違和感だったり、
何かしら「お知らせ・お便り」を感じ始めたらチャンス。
 

そのチャンスをつかめるか、どうか。
 

でも、それもまたタイミング、とかあるんだろうなぁ。
そして、それがその人にとって、

きっとベストタイミング。
他の人がどうこうコントロールできるもんでは…ないね…。

 

そんで今までの在り方に

吐きそうになりながら、

のたうち回りながら
「負ける」ことで選択肢ができるんだ。

@実際、断薬中はそんな状態が1週間続いた。

負けたって、それを全て捨てたり消す必要はない。

今だって、薬の恩恵も受けるし、
食事管理や生活管理で整えたりする。
@もちろん無理はしない、に越したことない。


【画像お借りしました】

 

選択の余地のある人は余裕があるよね…。

@メンタルの主治医は余裕ある感じだった。
思い返せば治療方針に関して
大体選択肢を提示してくれていた気がする。

 

ぐおおおお、しんどい!!
なんか、良いと思って
取り組んでた(取り入れてた)もんが息苦しく感じる!

 

そんな時は
 

選択の余地があるかないか自分に
お尋ねしてみるといいかもしれないね。