産後一年以内で誇れることは何ですか~二度の産褥期を振り返る~ | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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前回、この記事を書いたとき、
タイトルに対する答えは
瞬時に
「ない」
だった。

ホントか?
マジか?

ショックだった。

思い出せなかった。
けれど、二度目の産褥期のあのひと月はーーー。

確かに誇れたひと月、だったと思うーーー。

ーーーー
 

回想。

 

一度目の産褥期。


長男の産褥期、
入院中からワタシは動きまくっていた。
 

元職場で産んだことと、
「産褥期の養生」なんて言葉も
恥ずかしながら知らなくて
「自分で産まれた赤ちゃんの計測をします」
なんて
夢うつつなことを言うような助産師で。

配膳・下膳も自分でします。
あ、面会?(眠いけど…)ハイハイ行きまーす
(面会室から最も遠い個室にいた)

授乳室まで行って授乳します
(授乳室から最も遠い個室にいた)

 

ーーー

 

あら?なんか歩き方がヘンだな…カクカクする。
あれ?おトイレが間に合わない(´;ω;`)…

産後直後ってこんなもの…なのかな??
そんなカラダの異変に気付いていたのに。
ーーーでも早期離床、がいいんだよね???(手術的見解)
 

ーーーあ、沐浴?
ワタシやりますよー、自分でできまーす^^


ーーー
 

産後5日後、

退院した直後から実家で腰が立たない。
という事態発生。
 

産んだ時は完全暖房の聞いた院内
産んだ月は一月。極寒。

実家は暖房の聞いている部屋など限られている。
 

産後健診のある1カ月後までシャワー浴。
ーーーとんでもない。
寒さで号泣するという事態に戸惑った。
日々、足浴と蒸しタオル清拭。
(冬の産後はこれくらいでもいい、と後に知る)

 

挙句、寝室は2階。
2階に上がるのも苦痛だった。
ホントは階段の上り下りなんかしたくなかった。
ホントは下の和室で過ごしたかった。

 

なのに。
暖房がある
ベッドがある2階で寝なさい。

 

っていう母に従っていた。


気づかいからだとは分かっていたけれど

ワタシの気持ちは無視されたようで悲しかった。

ーーーホントは下で寝起きしたいのに。
階段の上り下り辛いのにーーー。


ちょっと入院中動いただけじゃんーーー?
たかが入院の5日間だけよ?


それが後々1年ほど日常生活に支障をきたすことになる。

夫との関係も、交友関係も。
一番きつかったのが

子どもがーーー
我が子なのにカワイイと思えないこと。


後々、産後のことを専門的に学べる機会(ドゥーラ研修)
できるだけ
お産した直後から極力動かない方がいい
、と学んだ。

ーーー知らなかった。

 

そして
母親は自らが満たされていないと
他者に愛を注いで育児することができない
、ということ。

ワタシがあれだけ苦しんで自分を責めて

我が子がカワイイと思えない、なんておかしい、
いつかどうにかしてしまいそうだ、という恐怖と日々闘いーーー

あれはーーー

そうか、仕方がなかった。とも言えるのか。

今なら、そう思える。
基本のカラダが満足に生活の中で動かせない。
このジレンマと日々闘っていたのだ。

あんな思いをするのは、まっぴらで
もう、子どもは要らない。
と思っていたほどだったワタシが
産後を専門的に勉強して、仲間もできて
もしかしたら、もうあのような想いは
しないで済むかもしれない
、と
思えるようになってーーー

 

二度目の妊娠、という機会を授かった。



様々な経験と知識を得られ
産褥期、長い人生の中で、

たかが2か月弱。

学びを徹底的に活かして過ごしてみよう、と決めた。
どれだけ意識して過ごせば違うものか

人体実験をしてみようと思った。

妊娠期は、

また我慢ガマンの連続ではあったけれど
それはまた違う機会で書く。

あれは誇れたことだと自分で気づけた

二度目の産褥期。

振り返ってみたら
バタバタで記載できていなかった。

回想しながらつづっていこうと思う。