そうめん流しの話から | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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皆さん、こんにちは。
助産師ドゥーラいし井です。

前回のブログの続き…。

私の中で実母は完璧な存在でした。

料理はうまい。
おやつも作ってくれる。
裁縫もうまい。
友だちも多い。
いつも部屋はきれい。
夜にはシンクに洗い物があるなどあり得ない。
お風呂の排水溝も毎日美しい…等々。

そんな母の言うことも「絶対」正しい。
逆らうなどあり得ない…。

とはいえ、「強い」母の言うことが、
おかしい(私は違うと思う)、と思うことも成長と共に出てきました。

でも、大まかな価値観とかは母の影響を
多大に受けている、と思います。

母のようにはなりたくない、したくない。
と思うことも出てきました。
しかし、子育てしていると家事をしていると
母のようにはなりたくない、したくない。ことを
まさに私がしていたりして愕然としたりーーー。

逆に母のようにできていない自分が
あまりに未熟者に感じたりーーー。

ある夏の日、帰省した際、両親がそうめん好きな長男に「そうめん流しマシーン(グルグル回るアレです)」を用意していました。



幼い頃、私も欲しいとねだった物でした。

母に
「私んときは買ってくれなかったのにね(笑)」
と言うと、母は
「余裕がなかったのよ」
と言いました。

それが金銭的な余裕のなさなのか、精神的なものか問いただしはしなかったけれど、母のその一言は強烈な影響を及ぼしたみたいです。

それからか
私が完璧だ」と思っていた母も「余裕がなかった」のだーーー。
と思うと、肩の力が抜けた気がしました。

今までだって何度も私は私なりの母でよく、母のようになれなくても良いのだ、と頭では分かっていたけれど。

母は母でその時その瞬間は、いつだって懸命に母であったんだなーって。
余裕ない時もあったんだって。

そしたら私も私なりで在って良いと肚に落ちた感じでした。

それから、何事に関しても私は私に寄り添うこと、が自然とできるようになったかも、です。

完璧な人と思っていた母も余裕がない中、懸命に育児や家事をしていたんだな。
私だって、イライラするしマヨマヨ迷走するし、軸がブレブレになる時も往々にしてあります。

が、ブレブレの中でも一生懸命なんだよって言える私がいます。

だからブレブレ上等!

一生懸命やってるのは私が一番知ってるから。
だから、どんな自分でもOKって言える。

それで良いんだと思います。