近鉄宇治山田駅に着いて券売機の画面で大阪方面へ向かう近鉄特急の状況を見たら、次の列車が観光電車「しまかぜ」でしかも残席「1」と表示されていた。
他の特急列車に比べて若干料金が割高なのだが、この機会を逃すといつ乗ることができるのかわからないので迷わず残りの1席を購入した。
近鉄特急「しまかぜ」には1両丸々カフェになっている車両があり、実質的に事前予約の要らない定期運行する日本唯一の「食堂車」とマニアの間で言われているようだ。
私も短い乗車時間ながらもそのカフェ車両に足を運んでみると、かつて東海道山陽新幹線100系電車に存在した2階建て食堂車を思い出してしまい、とても懐かしかった…
かつては日本のあちらこちらにこのような食堂車は存在していたが、様々な理由で廃れてしまい今では昔話として語り継がれるようになった…(笑)
昨年JR九州が運行している唯一の観光電車「36ぷらす3」に乗った時、かつてこの787系特急電車が新造されたときには存在した「ビュッフェ」を復活させたと話題になったのを聞いていたのでこの時も足を運んだ。
この787系特急電車の新製時にあった「ビュッフェ」は、当時この電車が特急「かもめ」の専用車両として西鹿児島(現在の鹿児島中央)と博多を結んでおり、この間の所要時間が4時間近くかかっていた。
そうすると乗客が退屈するので、その退屈しのぎの一環として当時既に全国的に衰退傾向にあった「ビュッフェ」をあえて作ったと聞いていた。
私は当時特急「つばめ」に乗って終点の西鹿児島かその1つ手前の伊集院まで乗ることが多かったので、このビュッフェに何度か足を運んでいる。
その時の忘れられない思い出が1つあって、現在の「肥薩オレンジ鉄道」の線路を走行していると不知火海に接する海岸線を特急「つばめ」は丁度夕日の落ちる時間帯を走っていて、窓からの眺めはとても幻想的だった。
するとアテンダントのお姉様が「私は広島出身で今はここで仕事をしているけれど、この区間のこの時間の眺めがとても好きなんです!」と密かに自己主張をはじめたのだ。
私が広島から来ているとその前に伝えていたこともあったのだけど、お姉様が今の仕事を楽しみかつ誇りを持っている気持ちが伝わってきた。
このアテンダントのお姉様達の仕事への姿勢が後に「ななつ星」を生み出したのだろうと今でも勝手に思っている。
接客業でのエンターテイナーにとって大事なことは、自らが積極的に仕事を楽しんで、その楽しみを否応なくお客様に押しつけることだと私は確信している(笑)
その後20年近く経って、787系特急電車に「ビュッフェ」が復活し、再度足を運んだ。
以前私が利用していたビュッフェとは少し違和感があったので、アテンダントのお姉様に聞くと、照明の向きなどが当時とは違うらしい…
この「36ぷらす3」は快適な車内を楽しんでいただくためにわざとゆっくり走っていて、翌日同じ区間を普通列車で移動したら前日乗った「36ぷらす3」と所要時間はほぼ同じだった。
全国各地にかつて存在した食堂車はその列車の長時間乗車のお客様のために存在し、退屈しのぎの一環だったのかもしれないが確実に乗客の需要の応え、採算性よりも必要性を重視していたのかもしれない。
それは食堂車に限らず、車内販売もビュッフェも寝台列車もロビーカーも駅弁の立ち売りも…
それから鉄道は技術を進化させ速達性を高めることで付加価値が増し、それと反比例して「退屈しのぎの一環」は「無駄なもの」として淘汰されていった。
必要だったものは、その必要な理由や原因が無くなると当然要らなくなる。
ところが何らかの理由でその自然の摂理で淘汰されたものを復活させるために、今度は無くした原因を復活させてしまう…
そんな行為に虚無感を感じてしまうのは私だけなのだろうか?
「36ぷらす3」には確かに復活した「ビュッフェ」はあったが、かつて「つばめ」にいらっしゃったようなアテンダントのお姉様は居なかった。
変にマニュアル化されたような他人行儀なお姉様は、様々な説明も研修で学んだ台詞を言っているようで、聞いていて悲しくなることがある。
時代の流れで必要なくなった様々ものは、先人達の努力の結晶であるので保存していくことは大事だと思うが、それを商業ベースで運営しても採算がとれるのだろうかと不安に思う。
今後増えていくだろう鉄道に限らず産業遺産を、いかに保存活用するのかは今後の日本社会全体の課題なのではなかろうか?