新上五島町に属する島と福江島の間にある奈留島は、五島市に属するので一応福江島の属島扱いのような気がする…
博多から出航する野母商船の「フェリー太古」は博多発の片航海のみこの奈留島へ寄港し、九州商船の定期船は1日1回福江から長崎へ向かうフェリーのみ寄港するので、野母商船と九州商船を併せてようやく1航海になる変則航路になっている。
なので、この島へ向かう主な定期航路は「五島旅客船」という上五島と福江島を結ぶ航路であり、高速船とフェリーが各1隻ずつ就航し奈留島へ寄港している。
そんな事情で奈留島へは3つの事業者が定期航路を運航しているものの、港は1つで港湾施設も共有している。
ただし切符売り場は各運航事業者ごとに設けられているので、五島旅客船以外の窓口は1日1回しか開かないことになる…
そんな奈留島の港でレンタカーを借りて、まずは廃校を利用した「五島市笠松宏有記念館」へ行った。
見ごたえのある絵画を鑑賞した後は、ここのフタッフさんに教えてもらった島名物のちゃんぽんを食べた。
そのちゃんぽん屋さんの近くには「奈留島世界遺産ガイダンスセンター」があり、島の歴史を学んでいると世界遺産の構成資産である江上集落にある国の重要文化財に指定されいる「江上天主堂」の見学を勧められた。
本来は完全事前予約制で飛び込みでの見学ができない施設なのだが、今日はこれから団体ツアーの予約が2件あり、案内人が現地に居るのでツアー到着前であれば案内してくれるそうで、大急ぎで現地に向かった。
世界遺産の構成資産である江上集落は、静かな入り江に面した集落で人気は全くなく、鳥のさえずりと波音だけが聞こえてくる。
案内人さんが丁寧に案内してくれ、過疎化が進んでいる地域で重要文化財を守っていくことの厳しさを痛感した。
お話をしていると団体ツアーがやってきたので、他の観光名所へ向かった。
「奈留千畳敷」やユーミン(松任谷由実」の「瞳を閉じて」の歌碑を見学した。
「瞳を閉じて」は確か中学生の時に買ったアルバムに収録されていた曲で私自身とてもなじみがあったが、奈留島にゆかりがあった曲だったとはこの島へ来て初めて知った。
この歌碑は島にある唯一の高校の敷地内にあり、今日日おっさん1人が突然アポなしで高校の敷地内へ入ったら即不審者通報されそうな世の中にあって、この学校では観光客が歌碑を訪れることに関しては特に咎めないらしい…
しかし、この島の少子高齢化問題は瀬戸内海の島嶼部同様に大変深刻で、今年の小学校入学者はとても少なくこのままでは今後高校も含め学校の存続は非常に厳しいようだ。
これは島の主幹産業である漁業の不振によるもので、五島列島全体に不景気の風が吹き荒れているとのこと。
かつて広島県などに中学校卒業後の集団就職の供給元であったこの地域は、今では他地域に供給するどころか自らの地域を維持する人材すら確保できない状況らしい。
港へ戻ってきてレンタカーを返却した後、定期船が来るまで時間があったので、港近くの食堂で3時のおやつを堪能した。
五島列島には大小さまざまな島があり、有人島も沢山ある。
最も大きくて有名な島は福江島だが、今回行ったのは福江島が属してない新上五島町に属する「若松島」だ。
上五島で最も大きな中通島とは橋でつながっており、長崎や佐世保へ定期船の就航している港からは橋を渡っていくことのできる島である。

若松島の中心地には若松港があり、奈留島経由で福江島への定期船とわずかに中通島への定期船がある。
かつては博多へ直通する野母商船の「太古」も寄港していたが、10年以上も前に寄港しなくなり無駄に大きな港の建物が寂寥感を醸し出している…

奈留島経由で福江に向かう定期船に若松から乗る乗船客はまばらで、奈留島から若松へ向かう始発の定期船に乗船した時の乗船客は私1人だった…
とにかく島の中心地なのに、人が歩いていない…

若松島の属島に「日島」という島があり、橋と堤防で若松島と繋がっている。
この日島は有福島など連なっている地形なので、天然の避難港として昔から沖を行きかう船がよく避難していたようだ。
その痕跡であろう歴史的な遺跡がいくつか残されている…
今はその入り江に養殖いかだが浮かんでおり、入り江の多い上五島特有の景観をここでも見ることができる。

西側には東シナ海が広がり、ここから西側には中国大陸までほとんど島が無く、日本に端っこに来たことを実感する。
日島に来るまでほとんど車とすれ違うことがなかったので「こんなところまで来る観光客は少ないのだろうな~」と勝手に思っていた矢先、目の前を札幌ナンバーのキャンピングカーが走り去っていった…(笑)

島の中心地「若松」集落へ戻ると、空き地の多さがより寂寥感を醸し出している。
かつて中通島へ橋が開通した後は、中通島方面へ路線バスが走っていたらしいが、いつの間にか路線バスも廃止され、今ではデマンドタクシーが代替しているそうだ。
なのでこの島で時刻表の存在する公共交通機関は定期船のみであり、僅かながらに中通島への定期船利用者がいるようだ。

主幹産業だった漁業の不振もあるだろうが、橋のかかった島の典型的な衰退ぶりを目の当たりにしたような気がした。
五島列島そのものが過疎高齢化の進度が早いと言われているが、その中でも若松島の衰退ぶりには驚いた。
そして橋がかかったものの結果的に定期船が最後の公共交通機関になってしまったことに、密かに皮肉を感じてしまった…
世界遺産に指定されている宗像大社のうち「中津宮」のある島として知名度の高い島である。
一般的に「宗像大社」と言えば「辺津宮」のことを指し、この「辺津宮」は同じ宗像市内でも九州にある。
あと、宗像大社で最も有名な場所でかつ聖地である「沖ノ島」には「沖津宮」があり、その遙拝所が作られたのはこの「宗像大島」で、この島には「中津宮」がある。
この「宗像大島」へ向かう連絡船は九州の「辺津宮」の前の道をそのまま海に向かった突き当りの港から出航している。
大島へはフェリーと高速船の2種類の船が運航されており、九州側の港からフェリーだと30分もかからず島へ着くので、九州との距離は近い。
この日は平日にも関わらず観光客らしき乗船客も相当数いて、福岡都市圏から近い離島とあってか観光需要も一定数あることがうかがえる。
大島へ向かう途中船の窓から外を眺めると、貨物船が私の乗っている船の前後を横切っていく。
どうやら関門海峡から博多港へ入出航する船がこの海峡を通るようで、船の往来が意外に多い。
また潮が早いのか私が乗った船もよく揺れていた。
島へ着くと、定期船乗り場の隣にある漁港には漁船が沢山留まっており、漁業が島の主幹産業であることがうかがえる。
港近くには宗像大社の「中津宮」があり、お参りをしてから路線バスに乗って港から峠を越えた反対側にある「宗像大社沖津宮遥拝所」へ向かった。
残念ながらこの日は遥拝所から沖ノ島を崇めることはできなかったが、いいお天気だったのでここでしばらく沖を行きかう船を眺めていた。
その間もレンタサイクルなどを使って遥拝所を訪れる観光客が数組いた。
なお「海の正倉院」ともいわれる沖ノ島からの出土品の多くは国宝に指定されており、九州にある宗像大社「辺津宮」境内にある「神宝館」で展示されている。
お店をしている人にとっては非常に縁起の良い名前の島だが、私は読むことができなかった…(「おおにゅうじま」と読むらしい)

この島の周辺は地形が真珠湾と似ていることから、太平洋戦争開戦前には当時の海軍がここで軍事演習したらしい。
また私の住んでいる大崎下島とは縁があり、この島から九州を結んでいる定期航路のうち車両航送が可能なカーフェリーを運航している「大入島観光フェリー」がかつて運航していた「第五大入島」はある時大崎下島へ嫁いで来て「第五かんおん」と名を変え、今は大崎下島と大崎上島を結ぶ定期航路に就航している…

この島は九州との距離は近く、しかも内海なので海が時化る心配が無いことからか佐伯との定期船の便数が多い。
ここ数年で定期船運航事業者の減少や残った事業者も減便した痕跡が見受けられるものの、それでも人口の割には便数確保されており、しかも旅客運賃が非常に安い。
車両航送可能な航路は昔から「大入島観光フェリー」1航路しかなかったようで、島の中でも最も佐伯市街地に近い場所から就航しており、旅客のみの利用者もこの航路の利用者が多いようだ。
お天気の良い週末にはトレッキングに大入島を訪れる観光客も多く、その観光客の多くが「大入島観光フェリー」を利用していた。

その他に19トン型の旅客船が今となっては絶滅危惧種である巡行船方式で「マリンバス」との愛称で呼ばれ佐伯と島の各集落を結んでいる。
しかし最近は島内に今流行りのコミュニティーバスを走らせて航路は縮小させている傾向がある。
燃料費などの運航経費増大に加えこの島も人口減少が凄まじいようで、私がこの巡行船を往復利用した時は行きも帰りも乗船客は10人を超えなかった。

島の中心は地理的にも中心地にある埋め立て地のようで、ここに郵便局などの公的機関が集約されている。
この埋め立て地の端(?)には島の反対側に抜けることができるトンネルがあり、そのトンネルの埋め立て地側の入り口に広大な元中学校があった。
どうやら約1年前にこの島から学校が無くなったようだ。

そうは言っても平日には島から佐伯に通う通勤客らしき乗船客も見受けられるので、島には若者がまだ住んでいるようだ。

また造船などの一定の産業がある佐伯の目の前にある有人離島なので、昔から「佐伯から気軽に行ける観光地」との位置づけがされており、特に最近は「九州オルレ」と呼ばれるトレッキングコースの1部として広くアピールされるようになったようだ。
九州では佐賀県と宮崎県には有人離島が少ないと言われているが、宮崎県唯一の有人離島が「島浦島」である。
この島へ行くには九州の延岡市にある浦城港から連絡船が運航されている。
この浦城港が大変わかりにくくアクセスが不便で、路線バスも1日何便か寄港するものの延岡市内へは午前中のみ、延岡市内からは午後便のみ寄港するので、旅行者にはほぼ使えないダイヤになっている…
なので、今回私は延岡駅からレンタカーを借りて浦城港へ向かった。

ややこしいのは、この島浦島へ向かう定期航路は九州側は全て浦城港から出航するが、島浦島側はフェリーと旅客船で港が違う。
私は浦城港からはフェリーに乗船したが、フェリーは島浦島では集落からは外れた場所から発着しているので、私以外の旅客のみの乗船客はこの便では誰も居なかった…
車両の乗船はトラック中心にそこそこ繁盛しているようで、島では養殖をはじめ漁業が盛んなこともあり、魚介類を運ぶためのように見えるトラックも乗っていた。

フェリーはとても閑散とした、埋め立て地に整備された港に着いた。
このフェリー乗り場の周辺には水産加工場と学校、公園など広い土地を必要とする施設が集約されている。
ここから集落へ行くには島では唯一と思われるトンネルを通るようになるが、トンネルを抜けると突然狭い路地に小さな家がひしめき合う漁師町が現れた。

ここから先はどこにでもある典型的な漁師集落を散策するようになり、旅客船はこの集落に中心地から出航するようだ。
しかも旅客船は海上の時化がひどい場合には九州側をいつも着岸する浦城港ではなく、もっと直線距離で島浦島に近い別の港へ着岸するらしい。

旅客船乗り場の近くにある神社はとても綺麗に整備されており、水産業を主幹産業としている島民の信仰心の篤さがうかがえる。
また旅客船乗り場には「メキシコ女王の黄金伝説」の像があり、島に伝わる伝承を後世に伝えようしているようだ。

帰りに乗った旅客船にはトレッキング帰りと思われる観光客らしき人が数人乗っていた。
島には風光明媚なトレッキングコースが整備されているようで、天気の良い日には沢山のトレッキング客が訪れる島らしい。

この島も他の全国各地にある有人離島と同様に人口減少の問題は深刻らしいが、水産業がまだ島の基幹産業として機能しているようで、島の集落では若者の姿を見受けることができる。
九州各地には、この島のように経営環境が厳しいながらもまだ養殖水産業などで島の経済を維持できている島をいくつか見受けることができる。
鹿児島県の最北端にある島で地形的にも人流的にも熊本県側に寄っている島である。
ちなみに鹿児島県最南端である「与論島」からこの「獅子島」までは直線距離で約600キロ離れており、日本列島かつ鹿児島県の細長さを実感する…

この獅子島はかつて肥後国だった名残なのか?航路も鹿児島県側へは自治体名にもなっている長島と橋によって結ばれている諸浦島へ1航路あるのみだが、熊本県側には天草下島と水俣へ2航路ある。
しかも以前私が諸浦島から乗船したときにはまだ存在していた諸浦港からの路線バスが現在では廃止されており、今では獅子島から鹿児島県側へ定期航路で出たとしてもその先の公共交通機関が存在しない。
なので、公共交通機関を使う場合は必然的に水俣から幣串行きの定期船で向かうことになるのだが、この幣串地区は獅子島で最も大きな集落ではなく、学校などはこの幣串地区から急峻な山を越えた片側地区にあり、この片側地区に鹿児島県側の諸浦島から車両航送可能なフェリーが寄港し、天草下島との間を結んでいる。

獅子島は鹿児島県の島なので、当然鹿児島県側からの乗船が車両・旅客とも多く、獅子島では私以外の全ての車両と旅客が下船したが、一方で天草下島へ行く旅客の乗船もあり、熊本側への人流があることに驚いた。
学校はこの片側港周辺にあり、片側地区が島の中心地であることがわかる。
この諸浦島から獅子島を経て天草下島を結ぶ航路は今でこそ新造船が就航しているが、かつては歴代瀬戸内海汽船グループのお下がりが運航していたらしい…
瀬戸内海で運航していたときは浮桟橋着けだった船も、干満差が大きなこの地域ではどの港も長い可動橋を使用した岸壁着けになっている…

一方幣串港には純客船しか就航していないので、水俣港も含め浮桟橋である。
幣串地区は典型的な漁師集落で、集落の沖には沢山の養殖筏が浮かんでいる…
背後を山で囲まれた急峻な地形では、平地が少なくどうしても漁業しか生業が成立しないようで、九州の小さな島の大半はほぼおなじような集落&産業形成である。
ただ、この急峻な地形は太古からの褶曲運動によるもので、この褶曲運動の副産物としてこの獅子島ではお隣の御所浦島と同様に沢山の化石が発見されているらしい。

この幣串地区と水俣を結ぶ定期航路は県境を越えて運航する航路であるものの、獅子島から九州へ直結する貴重な交通機関であるので、買い物や病院などで利用する島民が多いそうだ。
旧年中は一方ならぬご厚誼をいただき誠にありがとうございました
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
さて、
これは法律の改正によって今後陸上における貸切バスのような感覚
今まで皆様の暖かいご愛顧とご支援のお陰で二十年事業を続けるこ
心から感謝申し上げます。
なお、他の事業は今後も続けていく予定ですので、
この新しい年が佳き素晴らしい1年になりますよう心からご祈念申
有限会社ドルフィン企画

沖縄本島から連絡船で30分程度で到着する島で、この島は沖縄における第1級の「聖地」と言っても過言ではないような気がする…
伝承によると琉球を最初に作り始めた偉い人(アマミキヨ)が最初に降り立った地とされている。
また沖縄では「ニライカナイ」と呼ばれる東の海の向こうに理想郷があると信じられており、久高島の位置が沖縄の東端であることからも、この島がニライカナイへの入り口のような位置づけとも言われているようだ。
かつては琉球国王もこの島に礼拝に訪れていたらしいが、後に本島側の久高島を望む場所に「斎場御嶽」が整備され、そこから遙拝するようになったそうだ。

本島側の連絡船乗り場には連絡船利用者のための広大な駐車場が用意されているものの、週末とあってかほぼ満車に近い。
島へ向かう観光客の多くは女性のように見受けられるが、今日の
「パワースポット」ブームにあやかるものなのだろうか?
港からは高速船とフェリーの2種類の定期船が出航しているが、いずれも広島県産で地味に広島(尾道)と縁のある島である。

島の港に着くと、港にはレンタサイクルやレンタトゥクトゥクなどを扱うお店が数軒あり、観光客は皆何かしらをレンタルして島内を散策している。
港から1段上がった丘陵地に集落があり、日曜日とあってか集落は静まりかえっている…
1次産業以外の産業は特にないようだ。

島の中心部には「御嶽」が存在し観光客の立ち入りを厳しく制限している。
また島の北端には非常に眺めの良い岬があり、その岬と島の東側にある砂浜が主な観光名所になっている。
他の沖縄各地で見られるようなリゾート臭が全く匂わない島であり、瀬戸内海の島と似た雰囲気を私は勝手に感じてしまった。

しかし、Wikipediaなどで検索するとこの島は沖縄どころか日本の離島の中でも相当特殊な島であることを認識させられる。
しかし一方で瀬戸内海の島と同様にこの島でも過疎高齢化の波を感じるが、今後貴重な祭祀と伝承をどのように伝えていくのか?

瀬戸内海の島でも同様だが、民間伝承や祭祀の継承は大きな問題であるが抜本的な解決策は見つかっておらず、これから埋もれてゆく祭祀や伝承は多いだろう。
今回は少し鉄分の混じった瀬戸内海の島「津嶋」
日本一営業日数の短い駅かつ日本一早く最終列車が出発する駅として、鉄ヲタ界隈では有名な駅の近くにある島だ。

この島へ渡るには年に2日間だけ、島に鎮座する「津嶋神社」の夏季大祭の開催日のみ橋が架けられ、橋の通行料を払って島へ上陸することができる。
この夏季大祭に合わせて、島へ架かる橋の四国側の付け根に隣接する場所にJR予讃線の駅が年に2日間のみ開設される。
この臨時駅は大正時代に開設されたとても歴史のある駅らしい。

この神社は「子どもの健康と成長の守り神」として崇敬され、信仰心が希薄になりつつある昨今にあって、平日にも関わらず小さなお子さんを連れた家族連れの参拝者が多く、四国に住む人達の信仰心の篤さを垣間見たような気がした。
また「牛馬守護」の神様でもあったらしいが、今では農耕のために牛馬を飼う人がほぼいなくなっため、こちら目的でお参りする人がほぼいなくなったらしい。

真夏の酷暑の日に電車で「津島ノ宮」駅へ向かった。
私が乗った電車は相当混雑しており、その電車の乗客の半分以上の人が「津島ノ宮」で降りた。
明らかに普段日常生活で電車に乗らないような人達が多く、何故車で行かないのか?と密かに疑問に思ったが、駅周辺の駐車場は軒並み「満車」表示を掲出しており、謎が解決した。

駅から橋へ向かう参道には露天商が沢山出店しており、賑わっている…
橋の入り口には関所が設置され、ここで通行証を支払うと橋を渡ることができるが、その関所の頭上には「お子様のすこやかな成長を願っております」と書いた看板が掲げられており、神社のブレない姿勢を垣間見た気がした…

島へ向かう有料人道橋は年に2日間だけ床板を置き通行可能にしているようで、他の363日間は床板を外しているらしい。
電車が到着すると乗客が一斉に橋を渡るため、島へ向かう方向のみ列ができる。

年に2日間しか営業しない「津島ノ宮」駅は、線路がカーブしている場所に駅があるため、車両と線路の間に広い隙間ができたり段差ができたりするので、車両の乗降口毎に駅員の配置が必要だからだろうか?大量の駅員が配置され、恐らく高松駅より沢山駅員さんがいるように思う。
改札口や出札窓口、売店なども設置され、合理化の進んだ今となってはJR四国の駅の中でも非常に設備の充実した駅になっている。
特に駅構内の売店は明らかに鉄オタをターゲットにした商品(レアものも多数)販売しており、津嶋神社へのお参り目的以外の乗降客も一定数いることを鉄道会社が認識しているようだ。

疫病退散の神事は疫病が蔓延しやすい酷暑時期に行われることが多い。
疫病の原因(病原菌?)である「穢れ」を海の向こうへ流すことで疫病退散を願う信仰は古代よりあって、瀬戸内海でも疫病退散の神様は陸地部から少し離れた小さな離島に祀られる傾向がある。
これは記紀神話にも書かれている「蛭子」信仰の一種であり、このような信仰を後世に繋いでいくためにも「津島ノ宮」駅の存在は重要なのではないか?と勝手に思っている。

伊勢湾の入り口に位置する「菅島」は鳥羽市にいくつかある有人島の1つである。
鳥羽市の島といえば「神島」があまりに有名なのでその他の島が忘れられがちだが、他にも人の住んである島はある。

鳥羽市内の全ての有人島には鳥羽港から市営の渡船が比較的高頻度で運航されている。
「菅島」へは今や全国的に絶滅危惧種とも言える純客船がつい最近まで定期船で運航されていたが、今は高速船のみの運航となっている。

菅島の定期船発着港周辺は漁港になっており、この日は台風が接近しそうな日だったため漁船は全て時化繋ぎされており、人影は無い。
港にはまだ現役で稼働している漁船が多数あり、港の近くには灯台をイメージしたユニークな建物の小学校がある。

島のシンボル的な存在である灯台へは港から険しい歩道を歩いて20分ほどで到着した。
銘板を見ると明治初期に建てられた古いデザインの灯台がまだ現役で稼働しているらしく、灯台から東方向には太平洋の雄大な景色を眺めることができる。
この灯台を象徴するように、この島は伊勢湾の入り口として隣の「神島」と並んで昔から地勢的に重要な場所であることがわかる。

本土から定期船の便数があり、子どもいるようなので活気は感じられる島ではあるものの、確実に過疎化は進んでいるようだ…












