長江フェリー「第八おおしま」 | ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

弊社「ドルフィン企画」は貸切旅客船を使った瀬戸内海クルージングの商品を企画して旅行会社様に販売しています。

ここでは、主に瀬戸内海の隠れた観光素材を情報発信してゆきたいと思っています。

どうぞごゆっくりご覧下さい。
ご訪問誠にありがとうございます!

先月末、ゆめしま海道の「岩城橋」の開通の影響を受けて航路廃止になった「土生(因島)~長江(岩城島)航路」。

この航路は有限会社長江フェリーの1社1船体制で私が物心ついた頃から運航されていた。

そもそも私が物心ついた頃にちょうど俗に言う「土生港」が完成し、元からあって今となってはゆめしま海道「岩城橋」開通以降に生名フェリー(上島町営フェリー)利用者の初見殺しになっている、俗に言う「長崎桟橋」と《土生港2港体制》になったばかりの頃だった。

このうち、新しくできた土生港から最も多くの便を出航していたのが長江フェリーであり、約40分間隔で運航していた。

この長江フェリー航路は岩城島のうち当時因島経済圏の中心地であった土生へ最も近い長江港から近くて早くて便数も多くて多いに賑わった。

岩城島から因島へ向けての需要は昔から旺盛だったため最盛期は4航路が就航していたが、しまなみ海道架橋開通の影響で人の流れに変わり岩城島も次第に車社会になり、岩城島の人口も減っていったので最も競合していた「金山~小漕航路」が航路廃止になった。

しかし、その廃止理由はけっして長江フェリーが競合に勝利したのではなく、三光汽船によって新設された「洲江(生口島)~小漕航路」にしまなみ海道架橋開通によって利用者がシフトしたのであり、土生商店街の衰退に比例するように長江フェリーの経営環境は悪くなっていった。

さらに追い打ちをかけたのが燃料費高騰であり、昔から病院通いなどの徒歩利用者が多かった長江フェリーはコロナ禍の影響も追い打ちをかけ、岩城橋の開通が致命傷になった。

ちなみにここに就航していた船には因縁めいたものがあり、いずれも神原造船で建造され新造当初は串本フェリーに就航し、そして長江フェリーへやってきて、その後は九州の天草へ行く運命にあるようだ。

特に今回航路廃止時に就航していた「第八おおしま」は新造当初に就航した串本フェリーでも架橋開通の影響による航路廃止と運航会社廃業に伴って長江フェリーへやってきて、今回ここでも同様の憂き目に遭っている…

ただし、今回は天草へ行っても先代のように「フェリーごしょうら」にはならず、大改造されて貨物フェリーになるようだ。

そもそも先代の長江フェリーの後、現在就航している「フェリーごしょうら」はまだ新しい…(笑)

この「第八おおしま」の船名にはドラマがあり、串本フェリーから購入した際に「大事に使ってきた船だから船名を変えないで使ってほしい」と言われ、その約束を守って航路廃止までどの大島へも行かない定期航路なのに船名を変えないで運航を続けてきた。

この長江フェリーへやってきてからも、とても大事に使われてきたようで船齢35年を過ぎているとは思えないほど綺麗な船だ。

この航路の経営者や船員の人間性がそのまま船に滲み出ているように勝手に思う!

綺麗な画像はインスタにて…

https://www.instagram.com/p/CbxS0E3PfeD/?utm_source=ig_web_copy_link

船内は常に清潔に保たれ、マメに掃除されているようで客室にはこの船の出自を物語るかのように串本大島の風景を描いた絵が今も掲げられている。

また1階車両甲板の土生側には「簡易シルバールーム」が設置されており、航路経営に関して船にも乗客にも優しく接していたんだな~とつくづく思ってしまう。

またこの航路は私にとって中毒性のある航路であり、定期的に乗ってみたくなる衝動に駆られていた…(笑)

わずか13分の航路に狭小海域や岩礁、幻の島(砂州)に輻輳海域が存在し、潮の流れも速くて瀬戸内海の航海の楽しさと厳しさを短時間で満喫できるようになっていた。

こんな中身の濃い航路は瀬戸内海には他に存在しないように勝手に思う!

普段、私はブログなどには誰でも見ることにできる視線のものしかアップしない事を心がけていたが、今回特別に船主の許可も取れたのでこの「第八おおしま」の操舵室の画像をアップする。

この船は操舵室の1カ所に立てば両方向の舵を操作できるタイプのもので、航海距離の短い航路ではかつての国鉄ディーゼル機関車の運転席のように横に座って操舵していた船長もいた。

この重井丸型とか因島フェリー型と言われた両頭型フェリーはかつて芸予諸島に沢山就航していたが、今ではその数を大幅に減らしこの「第八おおしま」は珍しい存在になっていた。

奇しくも同船名であるイマダイコーポレーションの「第八おおしま」が最後の芸予型単頭フェリーとマニアから言われていることに因縁めいたものを感じてしまう…

今回のゆめしま海道「岩城橋」の開通によって、瀬戸内海では最後の旅客船航路の聖域とも言われていた因島周辺にもいよいよ淘汰の波が押し寄せ来たようで寂しい…

優しさに溢れる航路だった長江フェリーと「第八おおしま」、

長い間お疲れ様でした。