長崎県長崎市「池島」 | ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

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ここでは、主に瀬戸内海の隠れた観光素材を情報発信してゆきたいと思っています。

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松島からフェリーで大瀬戸へ戻ると、同じ桟橋から池島行きの定期船が出航している。
この大瀬戸の港も岡山県の笠岡港と同じように船種によって港が違う。
松島行きの旅客船のみ入江の奥から出航し、その他の定期船は最近整備されたフェリーターミナルから出航するようで、秋晴れのもと僅かなお客さんを積んだフェリーはのんびりと池島へ向かう。


そして池島へ近づくとその異様な島の姿に驚いた。
そもそも松島へ行く次いで程度に思っていたので、池島については何の下調べもしていなかった私がいけないのだが、明らかにこの島は人の手によって島の形が大きく変わっている。
どうやら日本で最後に閉山された炭鉱のようで、今から20年ほど前までは石炭を掘っていたようだ。
(ちなみに国内では北海道の釧路でまだ実際に石炭を採掘している)


この池島は廃墟マニアの間では随分と有名なようで、お天気が良かった事もあり私もインスタ映えする画像を沢山撮る事が出来た!
https://www.instagram.com/p/CFwKfEVjARZ/?igshid=s5xy28atfhu2
ここではインスタ映えしない画像を載せていくことにする。



池島は島の東側にあった「鏡が池」が島の名の由来らしく、この池は石炭の積み出し港にするために浚渫した上で海との間にあった陸地部を一部削り取ろうとしたら、ある時勝手に崩落して現在の港が出来上がった。
港周辺は炭鉱が栄えていた時分にはたいそう栄えていたようで、今となっては全く無意味な一方通行路があったりする。
また港近くにはヤギがのんびりと草を食んでいたり、旧炭鉱内をトロッコ列車に乗って体験出来るようで、新しいレールが敷かれてトロッコが置かれている。




アテもなく島へ来たのでとりあえず定期船に接続して運行されている路線バスに乗って、島の反対側にある学校へ行った。
島の人の話によると、最近立て続けに来た台風によってあちらこちらの木が倒れたり建物が崩壊したが、島民は高齢者ばかりで復旧するマンパワーが無いので、そのまま放置してある状態なのだそうだ。


路線バスの終点である学校前には池島の象徴とも言える「8階建てアパート」が建ち並び圧巻である。
まだ1世帯の子どもが通う学校前には、島お約束の「唯一の教育用交通信号機」があり、今となっては1日何回色が変わるのだろうか?
消防団の屯所の前を通ると消防車がピカピカに磨かれてあり、きちんと手入れをしている様子が伺えるが、一体消防団員の平均年齢は何歳なのだろうか?



団地には縦横無尽にパイプが這わされており、島の人に話を聞くと島には石炭が売るほどあったので石炭火力発電所が作られ、そこで発電時に出来たお湯などを島内の住宅へ給湯するために整備されたものらしく、今となっては一層廃墟感を醸し出すアクセントになっている。(笑)
また、団地内の公園からは松の新芽が一斉に顔を出しすくすくと育っている。
子どもの居なくなった公園はその存在価値を失い、再び森へ還ろうとしている。
そうかと思えばお彼岸時期と言う事もあって、空き地では彼岸花が真っ赤な花を咲かせていた。
かつては小さな島に所狭しといろんな設備を整備した島も、今となっては空き地ばかりになってしまい持て余しているようだ…




島の人の話では、かつては「猫の島」と言われた事もあったが、今では泳いで渡って来て居座ったイノシシの被害に悩まされ、高齢者ばかりの島ではイノシシを撃つすべもなくイノシシのやりたい放題になっている。

この島では20年ほど前に炭鉱が閉まってから、働き盛りの人達は一斉に島から出ていったので、高齢者ばかり島に残るようになり急速に過疎高齢化が進んでいった。
ただここで聞いた興味深い話は、観光案内看板に「全盛期には7000人以上島に住んでいた」と書かれているが、島民の肌感覚では「そんなもんじゃなかった」そうだ。
実際には全盛期に1万人近く住んでいたかもしれないらしく、その根拠として急速に人口が減りきったある時に調べると、住民票がそのまま置き去りになったままの人が100人以上居たらしい…
(実際の住民より住民票の方が100人以上多かった)
そもそも炭鉱の島なので俗に言う「流れ者」が流れてくるケースが多く、住民票を移さないまま島に住んでいた人が多かったのではないか?と推測される。
島に来た時には「流れ者」ではなかったので住民票をきちんと島に移した人の中で、島から出る時のみ何らかの事情で「流れ者」になったパターンの人だけで100人以上実際に居るので、島へ流れて来た人は相当(少なくとも10倍以上)居てもおかしくはないだろう。
「炭鉱の島」ならではの特殊な事情である。

島では大体血筋のはっきりしていない人の方が珍しいのに、それまで貧しい漁村だったこの島は戦後急速に工業化したので、この島では血筋のはっきりしていない人があまりに多かったのだろう。
そんな特色だらけの島でも、イノシシ被害だけは瀬戸内海の島嶼部と共通点があったりするから、やはり島はどこも基本的に一緒なのだろう。(笑)