しまなみ海道開通によって影響を受けた旅客船航路(伯方大島大橋開通の影響) | ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

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順番が前後するが、しまなみ海道で因島大橋の次に開通したのは「伯方大島大橋」で生口橋開通の3年前、瀬戸大橋開通の3ヶ月前に開通している。



この伯方大島大橋の開通によって、まずは橋のたもとで伯方島と大島の間にフェリーを運航していた今治大島フェリーボート(今治〜下田水航路を運航していた協和汽船の親会社)の航路が廃止になり、大三島や伯方島から今治行きの航路を持つ愛媛汽船と因島汽船の航路が整理され、新たに「芸予観光フェリー」と「大三島ブルーライン」という行政も出資する第三セクターの運航会社を設立して運航されるようになった。


この時に元愛媛汽船と因島汽船の全ての航路でフェリーを減便して、特に大三島瀬戸〜伯方島熊口(くまごう)〜今治航路からフェリーが撤退した。
この航路は大三島瀬戸港より北方面には大三島井口港へ高速船、因島土生港へはフェリーの航路があったが、いずれも航路廃止になった。
ちなみに過去には大三島井口港より先の瀬戸田まで僅かな便数のフェリー航路があったらしく、時刻表の航路図にはこの頃までその痕跡が残されていた…
この航路にはフェリーと高速船が撤退した後に新た瀬戸港まで快速船(高速船より遅いがフェリーより早くてフェリーと同じ運賃)が就航し、快速船は大島の早川港に全便寄港するようになった。
この早川港はそれまでフェリーしか着いていない港だったので、就航当初は芸予諸島では既に珍しくなっていた、客船タイプの船を岸壁に着けて旅客扱いをする港だった。
この快速船の航路はしまなみ海道架橋全部開通の時に完全に廃止された。

また、今治と大三島宮浦港を結ぶ航路はフェリーが減便になり、高速船は廃止になって快速船が就航した。
新たに就航した快速船は竹原には行かなかったので、この時に宮浦〜竹原間が航路廃止になった。
この快速船は、大三島ブルーラインが岡村への寄港を開始する平成24年9月まで運航された。

因島土生港と今治を結ぶ航路はフェリーが減便になり、上述の大三島瀬戸港経由の航路が廃止されたがその後はしまなみ海道架橋全部開通まで大きな変化は無く運航され、しまなみ海道架橋全部開通の時に高速船が廃止されたので因島土生〜尾道間は航路廃止になった。
しまなみ海道架橋全部開通後は、快速船2隻とフェリー1隻の運航になったが、フェリーはダイヤ改正のたびに航海区間が縮小され、ついにはフェリーが廃止になり会社もフェリーを持たなくなったので「芸予汽船」に名前を変えた。


伯方大島大橋の開通は一方で、次第に本州と四国を島伝いに定期船と橋を使って移動する需要をも生みだしたので航路によっては増強された。
特に今治〜大島下田水航路は凄まじいものがあり、可能な限りの増便と船の大型化が図られた。

大三島フェリーはダイヤを微調整して、伯方大島大橋開通後に瀬戸田と大三島の区間便を昼間に1往復増やしたが、生口橋開通後は生口島の名荷にあった桟橋を同じ島の垂水に移設し、生口橋開通の5ヶ月後から大三島との間に12往復フェリーの運航をはじめた。


昔から生口島の五本松と伯方島の北浦港の間に小さなフェリーを運航していた伯方フェリーは、生口橋開通後に生口島の宮原港が整備され浮桟橋が設置されると、両頭船の元因島フェリー重井丸を購入して「はかた2」に名を変え就航させた。
この時に生口島側の港の位置が大きく変わったものの、航海距離がほぼ同じだったのでダイヤは変えずにしまなみ海道架橋全部開通による航路廃止まで運航した。
伯方島から生口島へは昔から通勤利用者がおり、私も伯方島に親戚がいたりして昔からこの航路を利用していたが、この航路は私が物心付いてから1回もダイヤを変えなかったように思う…
なお、宮原港で使っていた浮桟橋は今は赤崎港に移設されたので宮原港に当時の面影はあまり残っていないが、五本松の港はほぼ当時のまま現存しスベリの上には現代アートと称して四角い鉄の箱が置かれている…(笑)


ちなみにしまなみ海道架橋全部開通時には私は生口島に住んでいて、月に1度以上必ず四国の新居浜へ出張していた。
船便の関係で、新居浜へ行く時は必ず宮原発7時20分に乗り、伯方大島大橋を渡って大島の下田水港からフェリーで今治に渡っていた。
新居浜からの帰りは、生口島への最終便が大三島から渡る大三島フェリーの方が遅くまであったので、大三島フェリーに乗るケースが多かったように思う。
自動車航送料金は大三島フェリーの方が安かったが、大三島へ渡ると大三島橋の通行料がかかるので、結果伯方フェリーを使った方が安かった。
ただ伯方フェリーの船は航路廃止前にはかなりの老朽化が進んでいて、よく機関故障をしていた。


このようにしまなみ海道架橋全部開通前には、既に車両の行き来も多く観光バスもよく見かけたが、観光業界に入ってから観光バスのドライバーさんやバスガイドさんと話をすると、しまなみ海道架橋全部開通前に実際に橋と船を使ってしまなみ海道に来た事のある人はほとんどいないようだ。
かつて大三島橋の大三島側の橋のたもとの本線上に料金所があったが、本州や四国のバスの運転手さんはほとんどその事を知らないようで、しまなみ海道は架橋全部開通後に認知度や交流人口が多くなったのだと思い知らされる。