ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

ドルフィン企画~瀬戸内海クルーズのご案内~

弊社「ドルフィン企画」は貸切旅客船を使った瀬戸内海クルージングの商品を企画して旅行会社様に販売しています。

ここでは、主に瀬戸内海の隠れた観光素材を情報発信してゆきたいと思っています。

どうぞごゆっくりご覧下さい。
ご訪問誠にありがとうございます!

昨年の阪急電鉄の株主総会で突如廃止が発表されたと思ったら、その冬にはさっさと廃止されてしまったケーブルカーとリフト。
しかし、このケーブルカーは戦前に作られた大変歴史のある路線だったようである…

阪急電車から能勢電鉄に乗り換えるとだんだん標高の高い山奥へと入っていき、終点一つ手前の駅である山下駅から妙見口行きの短い編成の電車に乗り換える。
山下駅からは谷間を縫うように短いトンネルをいくつもくぐりながら終点の妙見口を目指すが車内に乗客はまばらで、今回廃止になるのはこの路線だったかな?と思わず疑ってしまった…(笑)

能勢電鉄終点の妙見口駅からはゆるやかな上り坂が続く田舎道を20分近く歩かないといけない。
そう、このケーブルカーの最大の問題点は同じ経営である能勢電鉄の駅からケーブルカーの麓側の駅との間が微妙に離れており、この間に地味に大阪府から兵庫県へ府県境をまたぐことになる。
また2つの駅を結ぶ路線バスの本数も極端に少なく、基本的に徒歩移動を推奨されている。

この日は天候が不安定で、今にも雨が降りそうな雲の下を足早にケーブルカーの麓の駅である黒川駅へ向かった。
黒川駅に着く頃には本降りの雨になり、雷も鳴ってきた。
到着したケーブルカーは雨脚が早くなる前にハイキングを切り上げたであろう乗客で混雑していた。
そんな天候の中で山上へ向かう人は少なく、私の乗った便はガラガラだった…

そのケーブルカーの車内で廃止日が「今年の12月になった」との会話が聞こえてきた。
そもそも公式に発表された廃止日は来年の6月だったが、廃止日が大幅に前倒しになるのでは?との噂があった。
事実このケーブルカーに乗った数日後に、正式に最終営業日が12月3日と定められた。

車内を見渡すと古い車両を改装しながら使っているようで、運転室の窓などに歴史を感じる。
黒川駅を出発して急こう配の斜面を登っていくと、周囲には民家が全くないので雄大な山間部を眺めることができるようになる。
ケーブル山上駅に着くと、リフト乗り場まで1直線に幅の広い歩道が整備されており、かつてはここにもケーブルカーの線路が敷かれていたらしいが、今では妙見山までリフトが整備されている。

リフトに乗って終点まで行くと、大きな杉林の大木に囲まれて周囲に何もない場所に着いた。
ここから10分くらい山道を歩くと能勢妙見山へ着くらしいが、今回時間の都合で私はお参りすることができなかった。

ここのお寺はとても由緒ある古刹らしく、日蓮宗のお寺であるにも関わらず、もともとは日蓮上人の生まれるはるか前に行基によって建てられたらしい。
「妙見」とは北極星そのもの、またはそれを探す目印となる北斗七星を指し、それらの星は現在地を知るために必要だったので、古代より神聖な星とされ崇められたきた。
特に船乗りは航海中に外洋に出て陸地が全く見えない海域にいる時には、この北極星が現在地を知りうる唯一の手掛かりとなるため、古来より船乗りの妙見信仰は盛んである。
しかし、そもそも神仏に対する信仰心が薄らいできたことと、GPSなどの発達によって船乗り達の「妙見」信仰も年々薄らいでいるように思う。

帰りは雨が降っていたので、黒川駅から妙見口駅までタクシーで移動したが、今回のケーブルカー廃止で地元住民が懸念しているのは、近い将来能勢電鉄の妙見口と山下間が廃止になってしまうのではなか?だそうだ。
とにかくこの沿線にあるときわ台などの団地では、急斜面に作った団地で都市部からの距離があるので、高齢者には住みにくい環境で過疎化か著しいそうだ。
鉄道利用者の減少は著しく、今回のケーブルカー廃止がきっかけで路線の存廃問題に発展することを警戒しているようだ。

この妙見山からは神戸などが一望できる絶景スポットだったので、今度は車でお参りにいきたいと思う。

今年も突然暑い夏がやってきたので、毎夏恒例の鉄分シリーズを開催する!

まずは、JR東海が誇っていた名車「85系特急用ディーゼル車」
この車はバブルの余韻の残っていた車であり、その面影は特にグリーン車にあった。
85系は先に名古屋や大阪と富山を結ぶ特急「ひだ」運用から引退し、その後紀伊勝浦と名古屋を結ぶ特急「南紀」運用からも引退したので定期運用完全引退となった。
グリーン車は原則特急「ひだ」にしか連結されていなかったので、「キロ85系」が先に定期運用から引退した。

ちなみにこの85系グリーン車の豪華さには、今では考えられないものもあった。
まずはカーテンが本来のカーテンとは別に、レースのカーテンも備え付けられており、カーテンレールも複線構造である。
座席も非常に肉厚のものでシートピッチも広く、普通車と同様に通路より座席が1段高くなっているハイデッカー構造である。
それに前面展望が楽しめ、走行区間は風光明媚な高山本線なのでとってもお得なグリーン車である。

私は美濃太田から今ではグリーン車が連結されなくなった富山まで乗車したが、お隣の2人掛けのカップルも富山まで乗車されており、このグリーン車前面展望の人気の高さを伺い知ることができた。

次に体験したのは普通車の前面展望であり、この時に85系は引退間近だったからなのか、始発の紀伊勝浦駅では椅子取り合戦が繰り広げられた。
途中の駅や海岸線などでも沢山の人が写真に収める姿があり、この車両の人気の高さを改めて実感した。

この車両はJR東海からは引退したが、京都丹後鉄道に1部の車両が移管して今後も使用されるようなので、乗ることができないわけではない。
しかし、グリーン車からの展望、紀勢本線の風光明媚な海岸線や高山本線の険しい山岳地帯を高出力のエンジン音を轟かせながら長距離走行する体験を味わうことはもうできないだろう…

ところで夏の風物詩となっているこの「鉄分シリーズ」
かつてはアクセス数を下げる効果が絶大だったが、最近は不思議とそうはなっておらず、「鉄分シリーズ」そのものに一定のアクセスがあったりするので、世の中には物好きな人がいらっしゃるものなのだなぁと痛感している…

瀬戸内の情景を表すイメージソングの全体王者として君臨してる「瀬戸の花嫁」
その後いくつかの歌謡曲がこの世に出まわろうとも残念ながら「瀬戸の花嫁」を凌ぐ瀬戸内イメージソングは誕生していない…

そのパワーソングのモデルとなっていると言われている島が、小豆島の属島である「沖之島」だ。
ちなみにWikipediaによると「沖之島モデル説」はあくまで説の1つにしかすぎず、尾道から今治へかつて存在した瀬戸内海汽船が運航していた鉄道連絡船航路(通称西廻り航路または津島線)の水中翼船から眺めた情景ともいわれているそうだが、これでは私が生まれ育った付近の情景になってしまうので面白味が無い…(笑)

沖之島モデル説の有力な理由は、なんとも旅情をそそる渡し舟が運航されている事だと私は勝手に思っている…
瀬戸内海の生まれ育った島からさらに小さな島へ嫁いでいく花嫁の舞台として、この小さな渡し舟がイメージにピッタリなのだ。

しかも、この「小さな渡し舟」は沖之島にとって重要な役割を果たしている代替の無い生活航路である。
瀬戸内海に有人離島が150程度あると言われているが、定期航路の就航していない有人島と観光地として実質無人島になっている島を除けば、松山市内で運航している「三津の渡し」と同等サイズの船が就航している離島定期航路は他には無い。
つまり「瀬戸の花嫁」の舞台設定のイメージに合う定期航路が他には存在しないのだ。
(恐らく歌詞中での嫁ぎ場面では実家や近所の人の漁船を使用したのだと勝手に推測するが…)

そんな沖之島へのアプローチは「渡船乗り場の近くに駐車場が無い」というハードルの高さから車を使って港へ行くことができないので、港近くのホテルに泊まってから翌日歩いて渡船のりばへ向かった。(帰りは数少ない路線バスを利用)
味のある看板が道路端に無ければ、民家に挟まれた狭い路地の先にある港にはたどり着けないひっそりとした「渡船のりば」
狭い漁港内を結んでいるので、対岸の沖之島まではあっという間に着いてしまった。

渡し舟の船長さんに「島内散策は長くても1時間程度」とアドバイスを受けたがまさにその通りだった。
典型的な漁村集落が小豆島へ向けて主に展開しており、車社会ではないので路地も狭い。
集落を抜けるとサンポート高松(高松港周辺)まで見渡せる眺めの良い場所に手作り感満載の公園が整備されていた。
その公園の先にも少し民家があり、山へ向けては墓地が広がっている。
あまり標高の高い山が無い島なので、北西季節風の当たらない場所を選んで集落が形成されていったようだ。

瀬戸内海の島嶼部共通問題である過疎高齢化がこの島でももれなく進行しているようだが、驚いたことにまだこの島には子どもがいるようで小豆島の学校へ通っている痕跡が見受けられた。
そんなこともあってか、目下この沖之島には小豆島との架橋工事が進行中で、完成すれば恐らく瀬戸内海における最後の離島架橋になるのではないか?と勝手に思っている。
その架橋工事現場も中之島側の渡船乗り場から一望できるが、工事現場は全て漁港内で終結しており、今まで橋が架かっていなかったことが不思議に思えるほど小豆島との距離は近い。
聞くと子どもは1人だけで、その子も小学校を卒業したので小学生のいない島になったそうだ。
橋が架かる頃には中学生もいない島になってしまいそうだ…

小豆島側の渡船乗り場では、地元で栽培している唐辛子をガチャガチャで販売していた。
辛さの中にもコクがあってやみつきになる味わい深い唐辛子だった。