ドルフィン企画

ドルフィン企画

どうぞごゆっくりご覧下さい。
ご訪問誠にありがとうございます!

旧年中は一方ならぬご厚誼をいただき誠にありがとうございました

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

さて、弊社は創業以来旅行会社様などからご依頼を受けて運航する、企画旅行での貸切船運航を主な事業としておりましたが、この事業を本年いっぱい(令和8年12月末)をもってやめることにしました。

これは法律の改正によって今後陸上における貸切バスのような感覚では、釣り竿を持たない人を13人以上ご乗船いただける事が可能な旅客船をご利用いただけなくなるので、今後このまま事業を続けるとお客様に誤解と混乱を招きかねないからです…

今まで皆様の暖かいご愛顧とご支援のお陰で二十年事業を続けることができました。
心から感謝申し上げます。

なお、他の事業は今後も続けていく予定ですので、変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう何卒よろしくお願いします。
この新しい年が佳き素晴らしい1年になりますよう心からご祈念申し上げます!

有限会社ドルフィン企画


沖縄本島から連絡船で30分程度で到着する島で、この島は沖縄における第1級の「聖地」と言っても過言ではないような気がする…
伝承によると琉球を最初に作り始めた偉い人(アマミキヨ)が最初に降り立った地とされている。
また沖縄では「ニライカナイ」と呼ばれる東の海の向こうに理想郷があると信じられており、久高島の位置が沖縄の東端であることからも、この島がニライカナイへの入り口のような位置づけとも言われているようだ。
かつては琉球国王もこの島に礼拝に訪れていたらしいが、後に本島側の久高島を望む場所に「斎場御嶽」が整備され、そこから遙拝するようになったそうだ。

本島側の連絡船乗り場には連絡船利用者のための広大な駐車場が用意されているものの、週末とあってかほぼ満車に近い。
島へ向かう観光客の多くは女性のように見受けられるが、今日の
「パワースポット」ブームにあやかるものなのだろうか?
港からは高速船とフェリーの2種類の定期船が出航しているが、いずれも広島県産で地味に広島(尾道)と縁のある島である。

島の港に着くと、港にはレンタサイクルやレンタトゥクトゥクなどを扱うお店が数軒あり、観光客は皆何かしらをレンタルして島内を散策している。
港から1段上がった丘陵地に集落があり、日曜日とあってか集落は静まりかえっている…
1次産業以外の産業は特にないようだ。

島の中心部には「御嶽」が存在し観光客の立ち入りを厳しく制限している。
また島の北端には非常に眺めの良い岬があり、その岬と島の東側にある砂浜が主な観光名所になっている。
他の沖縄各地で見られるようなリゾート臭が全く匂わない島であり、瀬戸内海の島と似た雰囲気を私は勝手に感じてしまった。

しかし、Wikipediaなどで検索するとこの島は沖縄どころか日本の離島の中でも相当特殊な島であることを認識させられる。
しかし一方で瀬戸内海の島と同様にこの島でも過疎高齢化の波を感じるが、今後貴重な祭祀と伝承をどのように伝えていくのか?

瀬戸内海の島でも同様だが、民間伝承や祭祀の継承は大きな問題であるが抜本的な解決策は見つかっておらず、これから埋もれてゆく祭祀や伝承は多いだろう。

今回は少し鉄分の混じった瀬戸内海の島「津嶋」
日本一営業日数の短い駅かつ日本一早く最終列車が出発する駅として、鉄ヲタ界隈では有名な駅の近くにある島だ。

この島へ渡るには年に2日間だけ、島に鎮座する「津嶋神社」の夏季大祭の開催日のみ橋が架けられ、橋の通行料を払って島へ上陸することができる。
この夏季大祭に合わせて、島へ架かる橋の四国側の付け根に隣接する場所にJR予讃線の駅が年に2日間のみ開設される。
この臨時駅は大正時代に開設されたとても歴史のある駅らしい。

この神社は「子どもの健康と成長の守り神」として崇敬され、信仰心が希薄になりつつある昨今にあって、平日にも関わらず小さなお子さんを連れた家族連れの参拝者が多く、四国に住む人達の信仰心の篤さを垣間見たような気がした。
また「牛馬守護」の神様でもあったらしいが、今では農耕のために牛馬を飼う人がほぼいなくなっため、こちら目的でお参りする人がほぼいなくなったらしい。

真夏の酷暑の日に電車で「津島ノ宮」駅へ向かった。
私が乗った電車は相当混雑しており、その電車の乗客の半分以上の人が「津島ノ宮」で降りた。
明らかに普段日常生活で電車に乗らないような人達が多く、何故車で行かないのか?と密かに疑問に思ったが、駅周辺の駐車場は軒並み「満車」表示を掲出しており、謎が解決した。

駅から橋へ向かう参道には露天商が沢山出店しており、賑わっている…
橋の入り口には関所が設置され、ここで通行証を支払うと橋を渡ることができるが、その関所の頭上には「お子様のすこやかな成長を願っております」と書いた看板が掲げられており、神社のブレない姿勢を垣間見た気がした…

島へ向かう有料人道橋は年に2日間だけ床板を置き通行可能にしているようで、他の363日間は床板を外しているらしい。
電車が到着すると乗客が一斉に橋を渡るため、島へ向かう方向のみ列ができる。

年に2日間しか営業しない「津島ノ宮」駅は、線路がカーブしている場所に駅があるため、車両と線路の間に広い隙間ができたり段差ができたりするので、車両の乗降口毎に駅員の配置が必要だからだろうか?大量の駅員が配置され、恐らく高松駅より沢山駅員さんがいるように思う。
改札口や出札窓口、売店なども設置され、合理化の進んだ今となってはJR四国の駅の中でも非常に設備の充実した駅になっている。
特に駅構内の売店は明らかに鉄オタをターゲットにした商品(レアものも多数)販売しており、津嶋神社へのお参り目的以外の乗降客も一定数いることを鉄道会社が認識しているようだ。

疫病退散の神事は疫病が蔓延しやすい酷暑時期に行われることが多い。
疫病の原因(病原菌?)である「穢れ」を海の向こうへ流すことで疫病退散を願う信仰は古代よりあって、瀬戸内海でも疫病退散の神様は陸地部から少し離れた小さな離島に祀られる傾向がある。
これは記紀神話にも書かれている「蛭子」信仰の一種であり、このような信仰を後世に繋いでいくためにも「津島ノ宮」駅の存在は重要なのではないか?と勝手に思っている。


伊勢湾の入り口に位置する「菅島」は鳥羽市にいくつかある有人島の1つである。
鳥羽市の島といえば「神島」があまりに有名なのでその他の島が忘れられがちだが、他にも人の住んである島はある。

鳥羽市内の全ての有人島には鳥羽港から市営の渡船が比較的高頻度で運航されている。
「菅島」へは今や全国的に絶滅危惧種とも言える純客船がつい最近まで定期船で運航されていたが、今は高速船のみの運航となっている。

菅島の定期船発着港周辺は漁港になっており、この日は台風が接近しそうな日だったため漁船は全て時化繋ぎされており、人影は無い。
港にはまだ現役で稼働している漁船が多数あり、港の近くには灯台をイメージしたユニークな建物の小学校がある。

島のシンボル的な存在である灯台へは港から険しい歩道を歩いて20分ほどで到着した。
銘板を見ると明治初期に建てられた古いデザインの灯台がまだ現役で稼働しているらしく、灯台から東方向には太平洋の雄大な景色を眺めることができる。
この灯台を象徴するように、この島は伊勢湾の入り口として隣の「神島」と並んで昔から地勢的に重要な場所であることがわかる。

本土から定期船の便数があり、子どもいるようなので活気は感じられる島ではあるものの、確実に過疎化は進んでいるようだ…

桃太郎伝説に登場する「犬」の出身地であると言われている島で、地勢的にも地形的にも古来より海賊の本拠地と言われていた島である。

児島湾の入り口に位置し、周辺に島が無い孤島であってその沖は古来より瀬戸内海縦断航路であった。
しかも島の周辺の水深は深く、島の形も昔は今とは違って高い山がそびえ立っていたらしいので、避難港としてまた海賊の本拠地として太古の昔より存在感を醸し出していたようだ…
そんなことから古代には桃太郎伝説に登場する犬の出身地として言い伝えられ、菅原道真の九州左遷時に犬の鳴き声に導かれ命拾いした伝説が残る…(誰が見たのかは知らないが)

その伝説に登場する(菅原道真に向かって吠えたと言われている)犬は、人の住んでいる犬島本島ではなく、属島である「犬ノ島」の高いところに祀られている犬の形をした巨石である。
その「犬ノ島」は島全体が香りを作る工場になっており、犬島などから渡船で渡って行かないといけないため、普段は工場関係者以外立ち入り禁止になっている。

島は古くから採石で栄えたため、島の形がほぼ原型をとどめていないらしく、採石場の跡に作られた平地に住居が建てられたり、精錬所が作られたりした。
今は閉鎖された精錬所の跡地に現代アートの美術館が作られ沢山の観光客が訪れている。

近年の犬島のイメージは「船乗りの島」であり、内航船の船主や船乗りが多かった。
島には土地が少なかったため、石材資源が枯渇しかつ精錬所が閉鎖された以降は漁師になるか船乗りになるか2択しかなかったようだ。
船乗りが多い島の特徴がこの島にもあらわれており子どもが早い段階でいなくなり、人口減少が著しい。
最近は現代アートの影響で移住者も増え、一時期に比べ島も賑やかになってきた印象があるが、かつては無人島へのカウントダウンが始まるのではないか?との危機感すらあった。

なお「犬島」は本州からの距離が非常に近い地理的特徴がある。
犬島行きの本州側定期船出港地を「宝伝」と言い、この地には桃太郎から分けてもらった戦利品(宝物)を埋めてあると言われている…(見た人はいない)


鹿児島県の西に位置する離島で昔は串木野からのみ旅客船航路が就航していたが、平成の大合併で薩摩川内市になってからは高速船のみ薩摩川内市内の川内港から出港するようになった。
ちなみに鹿児島県ではトカラ列島の方が甑島列島より西に位置している…
前日の大雨の影響で鹿児島本線が運休している中、川内川の濁流が容赦なく流れ込む川内川河口にある川内港から甑島行き高速船は出航した。
この船は水戸岡ワールド全開の船で、その影響なのか川内港の船客待合所も水戸岡ワールド全開だった…
悪天候の翌日だからのか?それとも梅雨時期の平日だからなのか?少ない乗客を積んだ高速船は約1時間で甑島列島の北に位置する里港へ到着した。

上甑島にある里港からは下甑島方面へ路線バスが運行されており、そのバスに乗って橋を渡って下甑島へ向かう。
コロナ禍真っ只中の2020年に甑大橋が開通したことにより、それまで分断されていた上甑地域と下甑地域が道路で結ばれ、バスや車で容易に甑島列島を移動できるようになった。
しかし、バスで橋を渡る人は私以外にはいなかったように思う。
島民の利用者は上甑地域と下甑地域でそれぞれ完結している人ばかりだった。

今回の甑島列島訪問は日帰りなので観光時間が限られているため、甑島列島最大の観光名所である「瀬尾観音三滝」へ行ってみた。
バス停から歩いて10分程度で滝に到着したが、前日からの大雨の影響からなのか?滝には凄まじい水量が流れ落ちてきており、大迫力だった。

この滝に象徴されるように、甑島列島には平地が少なく急峻な地形が続いており、この地形の影響で水には困らないものの水田や畑を作ることが難しく、漁業以外の産業が栄えていたような痕跡がない。
地勢的に中国大陸への窓口となる位置関係から、南さつま市の坊津同様に大陸との中継地として国防上の重要拠点であることは昔も今も変わりないようで、現代においても下甑島には自衛隊の施設が整備されている。

しかし、1次産業以外の産業が特にないので過疎化は相当深刻であるように感じた。
先入観無しに島に訪れてみると、天草や五島列島に似た雰囲気を感じたが、島から帰ってWikipedia先生に聞いてみるとやはり昔は天草や五島列島との交流があったらしい。

国境の島を無人島にするわけにはいかないが、今後あちらこちらの国境に面する島では過疎化が深刻な問題になるだろう…


大阪と韓国の釜山を結んでいた定期船が今回リプレイスされ、それまでは日本製だった船が韓国製のものに変わり、外観を含め大幅にリニューアルされた。

この「パンスタードリーム」は新造時の船名を「さんふらわあくろしお」と良い、新造当初は東京から紀伊勝浦を経由して高知を結ぶ航路に就航した。
しかし、新造船効果は虚しく航路損益は改善しなかったので、この船が就航してから数年後に航路廃止となり今の船主さんに売却された。

この船は今までの「船客詰め込み主義」から脱却を図るべく、既存就航船よりも旅客定員を減してまで個室を増やし、車両デッキも乗用車専用の高さの低いデッキを廃止するなど革新的なアイディアの盛り込まれた船だった。
結果としてこのような設備は内航船よりも外航船との相性が良いということになり、第2の人生として韓国と日本を結ぶ定期船に就航した。

大阪南港の国際フェリーターミナルへは、当時の地下鉄中央線の終着駅から連絡バスで向かった(今の中央線の終着駅は夢洲)
連絡バスが到着すると、キップ売り場は長蛇の列になっており、外航船だからなのか?乗船手続きに時間がかかるようだ…
乗船手続きに比べて出国審査はあっという間に終わり、船の乗船口まではバスを使って移動した。

 

乗船するとエントランスホールではピアノの生演奏によって出迎えられ、気分が高まる。
船客は韓国人が圧倒的に多そうだが、日本人もチラホラ見受けられる。
15:00に大阪南港を出港して韓国釜山までの航海が始まり、6月だったこともあり、途中瀬戸大橋を通過するまでは何とか日があった。
屋上のフライングデッキがとても充実しており、随所に船旅を楽めるように色々と工夫をしている。

夕食はビュッフェ形式で韓国料理と日本料理が混ざっている。
私は特等の食事付きプランに申し込んでいたので、参鶏湯が別に付いておりこれがとても美味しかった。
船内は客室などの表記がさんふらわあ時代そのままの日本語になっているが、売店などのパブリックスペースの表記は韓国に寄っている。
しかも売店は今流行の無人キャッシュレス店舗で、この船が韓国籍であることを実感させられる。

特等にはラウンジがあり、前面展望を楽しみながらドリンクをいただけるので、私は航海中ここにかなり長い時間滞在していたように思う。

またパブリックスペースが随所で「映え」を意識しているように思え、これも韓国籍の船の特徴なのか?それとも船主さんの思いなのか?

夕食後は恒例のカラオケ大会が開催されると聞いて、イベントホールへ向かったが、参加人数が少ないとの理由でこの航海では中止になった…

翌朝目を覚ますと、ちょうど関門海峡を通過し終えたところで、対馬海峡を眺めながらの朝食タイムだったが、この朝食も美味しかったので、食事に関しては相当意識して美味しいものを提供しているのだろう。

この船は韓国製の新造船「パンスターミラクル」へリプレイスされた後は、「パンスターミラクル」の応援で何航海かリバイバル航海をした後、今度は石垣島と台湾の基隆を結ぶ定期航路に就航する予定で今は基隆港に係留されているとのこと。
ちなみに明日から9月だが、まだホームページなどで運航開始日などの告知はない。


茨城県の大洗から北海道の苫小牧を結んでいる航路に就航しているフェリーのうち、俗に「深夜便」と呼ばれている深夜1:30頃に出航するダイヤに就航している船舶がこの度リプレイスされた。

茨城県の県庁所在地である水戸駅から大洗フェリーターミナルまでは連絡バスが運行されており、大型フェリー乗り場としてはアクセス良好な大洗港。
1日2便出航するうちで徒歩客の利用が想定される「夕方便」のみならず、苫小牧に着いても路頭に迷ってしまう「深夜便」にもきちんと連絡バスが運行されている。
水戸駅から乗った連絡バスは水戸駅出発時にはそこそこ乗客が居たものの比較的早い段階で皆降りてしまい、途中から大洗港までは貸切状態だった…
結論からしてこの日の深夜便の徒歩乗船客は私1人だった…

出航の3時間前には乗船開始になるので、連絡バスも相当速く港に着くし、バスが着く時刻には乗船手続きをすることができる。
出航前にはお風呂に入って就寝してしまう人が多いので、真夜中の出航だからなのか出港時にデッキには私以外誰も居なかった…
客室は2等寝台のみの相部屋で、私にあてがわれた部屋は下段が全て埋まるほどの盛況で、前日が休航日だったからなのか?自家用車やバイクなどの利用者が多かった。

私も決して人のことは言えないのだが、いびきの大きい人が同室にいたのであまり眠れず、翌朝目を覚ますと宮城県沖を航行しており、ちょうど北海道の苫小牧のから大洗へ向かう「夕方便」と反航した。
朝早くに目が覚めたものの、夕方苫小牧港に着くまでずっと船内で過ごさないといけない…
この船にはお風呂はあるものの、レストランが無い。
なので船内で採る3食を上手く飽きが来ないよう、カップラーメンなどのインスタント食品で食いつないでいく必要がある…
これは乗船前に予めわかっていたことなので、水戸駅からバスに乗る前にある程度の食料は仕込んでおいたので、朝食は持ち込んだ食料で済ませた。

船内は三菱下関で作られた当時の一般的なカーフェリーの内装で、2000年代初頭に建造されたフェリーも数が少なくなってきたので、どこか懐かしさを感じてしまう。
新造当初は別の船会社(九越フェリー)の運航する博多~直江津~室蘭航路へ就航し、船名も「ニューれいんぼうべる」と言っていた。
確かその前に就航していた「れいんぼうべる」が豪華すぎて色々と過剰だったため、早めにリプレイスするために建造されたような記憶があり、船客スペースは「オレンジホープ」と同様に簡素化され客室は特等室と2等寝台しかない。



それでも今となってはパブリックスペースが充実している印象がある。
誰でも使える広い展望ラウンジと旧レストランスペースは、長い船旅において気分転換するために重宝し、またオープンデッキも無駄に広い。
最近建造される船ではこれらのスペースが狭くなったり無くなっていく傾向があるので、この船の引退がマニアから地味惜しまれる理由が何となくわかるような気がした。
私も航海中は展望ラウンジに1番長く滞在していたように思う。

この航路の深夜便に就航していた2隻は今回、いずれも内海造船因島工場で建造された船にリプレイスされた。
船型も塗装も燃料も新しい形式になり大型フェリーの時代の移り変わりを感じずにはいられない…

関西汽船が開設した伝統ある航路がこの度廃止され、国内から昭和時代に建造された千トンを超える旅客船による定期船運用が無くなった…

この小倉松山航路はご近所だったこともあり非常に親しみのある航路だったので何度も利用していたが、前述のように引退時の船が昭和時代の建造で長く同一航路で使用されていたことと、ダイヤも航路廃止まで大きな変化がなかったので、経営者が石崎汽船になってから私は1度も乗らずに航路廃止になった。
なので画像が1枚も無いのだが、関西汽船時代のパンフレットは各種あるので、久しぶりにスキャン画像のみアップしておく…

松山を22時頃に出航して翌朝5時に着く1日1航海を2隻で運航するダイヤが基本で、昔は多客期とドック時、そのうちドック時のみ昼間も運航するダイヤがあり、私は関西汽船運航時代に昼間運航ダイヤで小倉から松山まで乗船している。
しかも昼行便は夜行便より所要時間が短く設定されていたこともあり、そもそもの定期夜行便のダイヤが船のスペックに対して余裕をみていたのだろう。
ちなみに私は夜行便には当然徒歩乗船の経験もあれば、車両航送をしたこともある。

この航路の船は昼間の待機時間が長いので、関西汽船運航時代には積極的に間合い時間を活用してチャーター運航をしていた。
私はチャーター運航にも新居浜東港から松山観光港へ乗船した経験があり、この4千トンの船で来島海峡を通過している。
今思えば、この航路の船が来島海峡を通過することはとても珍しかったのではないだろうか?

高速道路網の整備などで物流が変わり、燃料費高騰などによって航路経営環境も厳しさを増す中、関西汽船とダイヤモンドフェリーが統合してできた「フェリーさんふらわあ」が松山への寄港を全面廃止したことによって、1万トンクラスの定期船の松山への寄港が無くなった。
その影響なのからか、松山での拠点を失った「フェリーさんふらわあ」から「石崎汽船」へ経営者が変わったものの、厳しい経営環境に変わりはなかったようで、使用船舶のリプレイスへの目処が立たないこともあり航路廃止になった。

今年になってからは昭和建造カーフェリーの引退ラッシュが続いている…
その昭和を象徴するような格好をしていた「フェリーなみじ」の引退は、福本渡船と松山・小倉フェリーの航路廃止の間での出来事だったためか、マニアの間で密かに話題になったようだ。
私も引退前の乗船を2回試みたものの、1度目は時化のため欠航、2度目は機関故障のため欠航したので結局引退前の乗船はできなかったものの、実はこの船にはコロナ禍以前に1度乗船している。

ただその頃はコロナ禍前だったので、今のように真面目にブログをやっていなかったので船の画像を撮る習慣がなかったために客室やデッキの画像は無い。
しかも有川(上五島)から佐世保へ向けての夕方の乗船だったので昼間の画像が無い…
この時私はこの船の大きな特徴である「車両積み込みのために観音開きになる船首部構造」を事前の予備知識無く見てしまった事に感動して、佐世保到着後に「観音開き」の画像ばかり撮っていた。

客室やデッキは昭和感が溢れかえっており、特にトイレが汚かった事と、赤いカーペットがえらいフカフカしていたような記憶がある…
中でもデッキの屋根が特に昭和感を醸し出しており、この船が広島県(呉市川尻町)産だという先入観がそうさせるのか?私が幼い頃乗っていた芸予諸島各地へ就航していた199トン型カーフェリーのデッキを思い出させてくれた。

上五島では定期航路の話題に事欠かない状況が続いているが、船員不足と人口減少、それに島の主幹産業である漁業不振はこれからも定期航路事業に厳しい運営を求めていくだろう。