私にとっては「美しい」と意識するものが、たくさんあって、五感で感じるものも、当然それぞれあったりする。単一ではなくて複合の場合もある。
絵は見るだけだから、視覚しか使っていないが、ミュージカルや音楽の生演奏などは、聴覚と視覚、料理を食べるときには、視覚・味覚、食感は触感なんじゃないかと思っている。
「美しい」というと視覚的な意味だけにとらえられがちだけれど、それは言葉によって限定されているだけで、たとえば、トルコ語では、絵が美しいのも料理が美味しいのも同じ言葉を使うので、視覚効果だけではない。
美味しいは、美しい味と書くのだし、美しい声や美しい音色など聴覚を使う場合でも美しいと表現されているのだ。
というわけで、五感で感じる美しさは、目で見た美しさ、耳で聞いた美しさ、鼻で嗅いだ美しさ、舌で味わった美しさ、何かに触った美しさと、5つに分類される。
ようするに、私にとって、美しいものとは、心地よさ、喜び、満足、幸福、暖かさ、楽しさ、素晴らしさなどを感じさせる全てのものなのである。だからこそ、やたらと異常にたくさんの美しいものがある。
「美」という漢字は、「羊が大きい」ということからできあがっている。
羊が大きく育てば、毛はたくさん刈れるし、売ればたくさんお金が入るし、食べれば多くの人がお腹一杯食べられる。そんな良いこと嬉しいことを招いてくれるのは、「大きな羊」、つまり「美」なのである。
美しさとは、対象物が持っているものではなくて、それに接したとき、自分自身の中に生まれてくる好ましい感覚なのではないかと思っている。
というのも、私はネガティブになると全てのものが、とてつもなく嫌いになってしまうのだ。美しいとか美しくないとか感じることもなく、仕事も嫌なら、家にいてもイライラして、何を食べても味気なく、何をしても落ち着かず、気に入って買ったはずの品々も何でこんなものがあるのか信じられない...という状況が引き起こる。
対象物それ自体が美しさを持っているならば、私自身がどのような状態であろうと美しいはずである。
美意識とは、様々なもののそれぞれの美しさを見つけ出し、感じる心の持ち方のことなんじゃないかなと思う。