チベットのダライ・ラマ | MERKABA~マカバ~

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ヘクサグラムからマカバになるっていいことだよね?

「ダライ・ラマ」とは、16世紀に当時強力だったモンゴルの支配者が


チベットで最大の寺の僧侶に感銘を受け、送った「称号」であり


映画「クンドゥン」の冒頭では「知恵の大海」と訳されていた。


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「知恵」というと「物理的処理能力」と感じてしまい、しっくりと来ない。


「ダライ」はモンゴル語で「大海」


ラマはチベット語で一般的に「僧」、教師や指導者の意味もある。



「知恵」を辞書で見てみると、「知恵」と「智慧(ちえ)」があって、


「知恵」は


物事の道理を判断し処理していく心の働き。


物事を筋道立て計画し正しく処理する能力。


「智慧」は仏語(フランス語じゃないよ)で、


相対世界に向かう働きの「智」と悟りを導く精神作用

の「慧」。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力とあった。



ついでに「慈悲」についても確認してみると、これも仏語で、


仏・菩薩(ぼさつ)が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くことと


単純にいつくしみ、あわれむこと。なさけ。


なのだった。


これは自分ではなく、他者、物事に向けられることだけだから、


自分自身については「智慧」の「慧」の部分が欲しいところである。


もちろん「智」も必要だ。


「智慧」を自分の内に持って


「慈悲」を示すことができる「知恵」とするならば!

「知恵の大海」で納得できる。



その「知恵の大海」という称号を受けた僧侶は、自分を初代とはしなかった。

既に「転生した者(生まれ変わった者)」として認識されていたので


自分の先々代、宗派の開祖を初代ダライ・ラマとし、自分自身は


3世を名乗ったのである。

「ダライ・ラマ」の称号が使われるようになる前から


ダライ・ラマは存在していたわけだ。



現在、ダライ・ラマは観音菩薩の化身(生まれ変わり)とされている。

初代から、そうだったのかどうかは未確認。


チベット仏教を追求するほどの根気はないのであった。


ところで、この「観音菩薩」というのは...(ーー;)

お寺に行くのは「お墓参り」くらいで、それもご無沙汰していれば


年末年始は海外逃亡するので、初詣にもしばらく行ってない


σ(⌒⌒)には未知の存在である。


一般に「仏様」と言っても名前(と言っていいのかもわからん)が


様々で「観音」「菩薩」「如来」「明王」「天」...まとめて「仏様」♪

「大師」というのが徳を積んでなくなった人間であったと区別ができるが

あとは...「如来」が悟りを開いた者で、悟りを開く修行中が「菩薩」。

その程度である。



インドのヒンドゥー教やギリシャ、エジプトの神々、そして日本の八百万


(やおよろず)の神々は、神同士の結婚して、夫婦、親子、兄弟の関係に


あったりするけれど、仏教では、そんなことは聞いたことがない。



が、ヒンドゥー教の神が仏教では○○に当たります、という話は


聞いたから...中断!仏教への追求心は保管しておく。



生まれ変わる、肉体は滅びても魂は永遠。

σ(⌒⌒)は何ら抵抗することなく、そうなんだ~と


受け入れてしまっているけれど、受け入れがたい人も多いと思う。



宗教を信仰していてもキリスト教やイスラム教では死後は

天国か地獄か、で終了しているし、「魂」という実際には目で確認できない


ものに対して、その存在を信じるか信じないかは


自分自身で決めることだとσ(⌒⌒)は思っている。



生まれ変わりを信じないとしても


ダライ・ラマの転生者と認められた者は


先代と同じ質を持ち

大切に慎重に磨かれて


先代同様、ときには先代以上に光輝く存在となっていくのだと

理解して欲しいと思う。