またまた更新が滞っております…
家計簿についても本当は書きたいけど、今は生活するのに精一杯な状況なので、落ち着いたら書きます。
早く仕事落ち着かないかしら…
前回までの続きはコチラ…
無事に手術が終わり、いよいよ地元に戻れる状態になった祖母。
転院先を探すことになりましたが、アルツハイマーと言われただけなのに、今では考えられませんが、
見事なまでに様々な所に受け入れを拒否されてしまいました。
記憶は曖昧なんですが、私は職場の同僚に話をしました。
祖母の受け入れ先が見つからず、両親が困っていると…。
するとその話を聞きつけた当時の上司が病院内の関係各所に当たってくださり、
系列病院が、アルツハイマーでも受け入れてくださると言うんです。
しかも入院患者の9割が高齢者の療養型の病院だと言うんです。
これまでの苦労が何だったんだ?と思う位に、あっさり受け入れてもらえることになりました。
この時ばかりは、病院で働いていて良かったとつくづく思いました。
父も母もとても喜んでくれました。
私たちが住む隣の市ではありましたが、とても大きな病院で、リハビリなどにも力を入れた病院でした。
すぐさま転院させ、それと同時に特養の申込も行いました。
この辺りの記憶がちょっと曖昧ではありますが、それから2年ちょっと位で、特養に入れると連絡が来たんです。
思いのほか早く決まり、両親が心から喜んでいたのを今でもよく覚えています。
そりゃそうです。
国民年金だった祖母。
父のお父さんは前にも書きましたが、お金にとにかくルーズで家にはほぼ入れておらず、ギャンブルとお酒に使っていました。
その為、父のお母さんである私の祖母が魚屋さんで働いて生計を立てていました。
後から母から聞きましたが、介護が始まり祖母の通帳を預かったら、ほとんどお金が入っていなかったそう…
そのため、祖母の治療費や療養型病院での入院費は、年金だけでは当然足りなかったそうで、父が全て支払っていました。
何度か支払いを頼まれて代わりにしたことがありましたが、なかなかの金額にビビったことだけは鮮明に覚えています。
何とか、ギリギリでしたが、父には妹が3人いましたが、それぞれが所帯を持っていたこともあり、迷惑かけまいと、
長男である父は頑張っていたそうです。
いよいよ父が支払いを続けるのが厳しくなり、仕方なく、妹達に少し援助を頼んだそうなんですが、
その直後に特養への入所が決まったそうです。
特養では、祖母の住まいを私たちとは分けて、新たに入所する施設に住所を移し、祖母の年金の管理は施設にお任せしました。
お小遣い金が足りない時だけ、持って行くとのことでしたが、預けたのは最初のうちだけで、その後は施設の方でやりくりしてくださってたみたい。
結局10年以上お世話になった祖母は、亡くなった後に、通帳を返してもらったら、中には葬式代以上のお金が入っていたそうです。
おかげで私たちにお小遣いまで残してくれました。
ここまで私の祖母たちのことを思い出しながらざっくりですが、書き出してきましたが、私は子供の頃から常にそばには年寄りがていて、
誰かのお世話をしている母たちの姿をずっと見ていました。
私が社会人になってからは、ほとんど施設に入っていたので、お見舞いに行くくらいでしたが、出来ることはやってきました。
この時の経験があったから私は義父のことや義母のこともほっとけなくて、色々やってしまいます。。。
仕事柄、知識があると言うこともありますが、そんな性格だよなと最近は思ってしまいます。。。
番外編はひとまずここまで。
次回からは、本編に戻ります〜笑
最後までお読みいただきありがとうございます。