「主治医」という存在 | - LA DOLCE VITA -

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人生は山あり谷あり。日々のいろいろなことを少しずつ。

2013年を振り返って、さらに2014年の夢について
熱く語ろうと思っていたところ。。。

ほんのちょっとだけ、立ち止まり気味なココロの様子も
隠さずにアップしておこうと思うので記します。


6年半にわたって支えていただいた主治医との
最後の診察を終えた、と書きました。

実は来月から仕事関係でも動きがあり、忙しくなる予定なので、
主治医本人は「もうちょっと診た方がいい気がするけど…」と
少し心配そうにしていたのを、私自身が、自分で決めました。

「いや、たぶん、私もう大丈夫です!卒業します!」

そう言い切ると、主治医も笑って、
「…やるじゃん眉毛付きの顔キラキラ」と言ってくれました。

そんなこんなで、そのときの私の中では迷いはなかったのですが、
6年半を思い返して手紙を書いたからか、
はたまた久々に昔のブログなんかも読んでみたからか、
言葉では言い表せないくらいの喪失感に襲われました。

両親に打ち明けられなかった時期や、
旦那様に相談できなかった時期。
会社の先輩や友人には聞いてもらいにくいことなんかも
なーんでも主治医には話してきた。

診察中に泣いてしまったことも何度かある。
元旦那に直接会って、主治医から説明してもらったことも。

それくらい信頼して、時には依存して、
最近では2ヶ月に一度近況報告をするだけではあったけど
とってもとっても心の支えになっていた存在。。。

「主治医」という存在。

当たり前だけど、「友達」ではないんですよね。
病気が治って通院しなくなれば、
今後の人生でもう関わることはないんですよね。

特にうちの主治医、定期的に病院変わってるし、
たとえば1年後くらいにまた調子悪くなったりしたとしても
もうどっかに移っちゃってる可能性だってあるわけで。

なんか、そう考えたら、すっごく不思議な存在で。

6年半もの間、あんなにプライベートなことを話してきた相手が、
これからもう一切話をすることがなくなる、なんて。
自分で決めておいて、いまさらながらに驚いて。

なんか、なんていうか。
いやホント、なんなんだろう、この感じ。


患者やクライアントが主治医やカウンセラーに対して
「私のことを理解してくれてる」「私の力になってくれる」と
信頼・依存・憧れ・敬愛等の感情を抱き、時には恋をしてしまうという
状況が世の中には多いと聞きます。

いちばんつらい時に親身に話を聞いて、支えてくれるわけですから
精神科医に限らず、リハビリの療法士さんとか、
ちょっと違うけど美容師さんとかにも起こりやすいと思う。
(プライベートなこといっぱい聞いてもらって、さらに自分の髪を
触ってもらって可愛くしてもらう、という意味で)

いわゆる、「陽性転移」というやつですね。

わたしの場合は、6年半の中でそういう感情はありませんでした。
もちろん旦那様のことが心の底から大好きだったし、
離婚してからも、どちらかというといっぱいいっぱいで、
そんな感情を持つ余裕もなかった気がする。

だからこそ、晴れ晴れとした気持ちで「卒業する!!」なんて
言い放って笑顔でお礼を伝えて帰ってきたのですが。

まさか、こんな今ごろになって、
もう主治医と会えないことがこんなに悲しいなんて。

自分で、自分の気持ちに驚いています。。。


まぁ一時の感情だろうし、
どう考えても「恋愛感情」とは違う。

ただ、「主治医」っていう存在がすごく不思議なものなんだな、って、
家族でも友人でもなければ、恩師のように同窓会に呼ぶ存在でもない。

ある限られた期間だけの、「患者」と「治療者」の関係。
それ以上でも、それ以下でもないんだな、って。

本当に今さらながらに感じたのでした。


それでもきっと、私はこの主治医に出会えて本当に良かったのだと思う。
他のだれでもなく、この主治医で、よかった。
そう思える人に巡りあえて、元気になれて、よかった。

T先生、本当に本当に、

ありがとうございました!