(1)「九州高原紀行 別府・阿蘇温泉と湯布院・高千穂峡3日間-旅行2日目


■今日は2日目、天気は快晴です

■2日目の旅行のコースは以下の通り
別府温泉郷→【豊後水道の海産物お買物】→【湯布院】→【湯 布院お菓子工房】→【やまなみハイウェイ】→【九重“夢”大吊橋(OP)】→→【瀬の本高原】-昼食→→坊中→(阿蘇登山道路) →◎米塚(車窓)→【阿蘇・】→ロープウェイで阿蘇火口見物→草千里→【阿蘇ミルクファーム】→阿蘇温泉郷内牧温泉(宿泊)











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16)別府温泉(べっぷおんせん)-(旅行1日目)- 宿泊


■これが宿泊するホテル「別府亀の井ホテル」

日本で最初の遊覧バスガイドの考案者でバスガールを採用した立身上の人物 「油屋熊八氏」が創業したホテルです。
・レストランでの食事が安い。部屋も綺麗
・瓶ビール中瓶~380円。
・結婚式も安く上げられるようです。





■ホテルで見つけた面白い注意書きです。何処の国の人に向けて書いているんでしょうか?実際に注意しなければ問題になる事態が多発するので看板を書いたのでしょう。習慣の違いも有りますので単にマナーだけの問題ではなさそうです。。日本語、中国語、韓国語、英語で書いています。韓国、中国が近いだけに国際色が豊かです。他では見たことが有りません。


■浴室にもご覧の通り。看板が天井からぶら下がっています。お風呂に入ったらよく読んでマナーを守りましょう。この中で「タオルを浴槽につけない」は銭湯でこれを守らない人がたまに見かけますから日本人も注意しましょう。















旅行の1日目が終了しました。












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(15)別府温泉(べっぷおんせん)-(旅行1日目)-

■さて、明礬温泉の見学も終了したので今夜の宿泊先の別府温泉へ行きます。簡単な別府温泉のおさらいです。


■別府温泉は大分県別府市(旧国豊後国)にある温泉。源泉数、湧出量ともに日本一(源泉数(孔)2,847、湧出量137,040キロリットル/日(平成12年:環境省))。鶴見岳(1,375m)と約4km北にある伽藍岳(または硫黄山、1,045m)の二つの火山の東側に多数の温泉が湧き出ており、総称して別府八湯と呼ばれている。また、奇観を呈する温泉を回る別府地獄めぐりでも有名。

■日本三大温泉は一体どの温泉を指すのか?本によって異なることが多いようです。そこで、ここでは、名曲「いい湯だな」(作詞:永六輔、作曲はいずみたく)が選んだ温泉を見てみよう。
デューク・エイセス版(草津の湯、伊香保の湯、万座の湯、水上の湯)とザ・ドリフターズ版(登別の湯、草津の湯、白浜の湯、別府の湯)
がありますが、ザ・ドリフターズ版のほうには見事に別府が入っています。個人的にはザ・ドリフターズ版に軍配を上げたいですね。しかし、両方共に草津の湯が入っているのはさすがです。元々群馬県のご当地ソングだから当たり前か?




■別府温泉街です。さすがにあちらこちらに湯煙が上がっているのが見えます。











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(14)別府明礬温泉-(旅行1日目)

■ これが湯の花小屋の概観


■ 湯の花見学小屋


■湯の花の製作過程


■看板の下には実物が有るんですが肉眼で見てもどこがどうなっているのか良くわからないで、写真を撮るのは中止しました。文章を読んで化学的な瞑想に耽って見てください。






■大変手間が掛かるらしいことは分かりました。それでいい値段なのですね。少し纏めて買っていこうかなと思いましたが一回きりでは効きそうも無いので断念して家ではバスクリーンで我慢します。









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(13)別府明礬温泉-(旅行1日目)

まだまだ、豪雨は続いていますが、別府の明礬温泉に到着です。

【別府明礬温泉】は別府で一番高い位置、伽藍岳の麓にある。江戸時代には明礬の採取場だ ったが明治以降は湯治場として栄えた。民宿を思わせる木造の旅館が多い閑静な温泉地である。

明礬の用途】染色剤や防水剤、消火剤、皮なめし剤、沈殿剤などの用途があり、古代ローマ時代から使われてきた。上質の井戸がない場合、質の悪い水にミョウバンを入れて不純物を沈殿させて飲用に使うこともようです。お袋がよく茄子の漬物の発色を良くする為に入れていました。又、以前に積丹半島の漁師さんに「雲丹を加工するとき型崩れを防止するために多少使用する」と聞きましたが現在も行っているかどうか分かりません

【明礬と理科の実験】小学生の時に明礬をビーカの水溶液に解かして結晶を作る実験をしたのを覚えている。明礬は温度の変化により溶解度が大きく変わる性質があり、溶解度曲線や単結晶生成のを理解する為の化学実験だがいざやって見ると細かい結晶は出来るものの教科書に載っているような大きな結晶が出来ません。その実験をした際にやはり大きな結晶が出来ずに泣きそうに(多分、泣いていた)なっていると、大学を出たばかりの先生が大きな結晶が出来るまで、夜遅くまで付き合って頂いた思い出があります。

【湯の花の製造技術】 
 この技術は、湯の花小屋という製造施設をつくり、内部で温泉の蒸気である噴気と青粘土を利用して湯の花の結晶を作り出すという、特色ある民俗技術である。この技術は、江戸時代よりおこなわれている湯の花を製造する技術で、製品である湯の花は、昔は薬として飲用・塗布され、現在は入浴剤として利用されていて浴槽を痛めたりする事も無いように改良が進んでいます。






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(12)玖珠SA→通過地点もう直ぐ別府-別府IC→【別府明礬温泉】-(旅行1日目)

■雨に煙る由布岳

もう少しで別府に到着かなと思っていたら由布岳が車窓から見えて来た頃から、今まで天気だったのが嘘のようにそのあたりから豪雨のお見舞いだ。良く、バケツの水をひっくり返したような雨といいますがそのままです。別府に向かって急な峠をバスは下って行きます。ちょっと恐い。スリップでもすれば谷底へまさかさまだっー。










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(11)柳川市→八女IC→玖珠(くす)SAで休憩-(旅行1日目)

■九州自動車道、大分自動車道を通って別府まで行く途中で玖珠SAちょっと休憩






玖珠町は「童話の里」と言われています
毎年5月4~5日に開催される童話祭は、、日本一のジャンボ鯉のぼりをあげる

日本童話祭の行われる大分県玖珠町は「日本のアンデルセン」と讚えられた口演童話家、久留島武彦の生誕の地です久留島 武彦(くるしま たけひこ、1874年6月19日 - 1960年6月27日)は玖珠郡森町(現・玖珠町)出身の児童文学者。童謡『夕やけ小やけ』の作詞者でもある。日本のボーイスカウト運動の草分け的人物でもあり、第2回世界ジャンボリー(1924年)でデンマークに行ったとき、アンデルセンの生地であるオーデンセを訪れ荒れ放題だったことに心を痛め、地元新聞をはじめ、行く先々でアンデルセンの復権を訴えた。心を動かされたデンマークの人々から「日本のアンデルセン」と呼ばれた。

子供の頃ボーイスカウトのきびきびした様子や制服に憧れました。キャンプしたり手旗信号の練習しているのを見るのと別世界の人に見えたものだ。親に頼んだが家が貧乏なのとあっきぽい性格を見抜かれて入隊するのを許してもらえなっかた。

■SAの一角に有ります。ジャンボ鯉のぼりです。







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(10)柳川市・川下りコース・「御花(おはな」-(旅行1日目)

■そして、ここが終点です。御花が有ります





■その昔、柳川藩主立花家の別邸であった御花。邸内には国宝級の歴代藩主の遺品が陳列されています。冬になれば、松島を模した松濤園に野鴨が飛来し、自然と造形が織りなす絶景を見る事ができるそうです。















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(9)柳川市・川下りコース・「待ちぼうけ」の像-(旅行1日目)

■「待ちぼうけ」の像です
ほっかむりと鍬との組み合わせが可愛いですね。しかし、この詩には深い意味があります。




童謡「待ちぼうけ」歌詞


待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと 野良(のら)かせぎ
そこへ兎(うさぎ)が飛んで出て
ころり ころげた 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝(ね)て待とか
待てば獲(え)ものは 駆(か)けて来る
兎ぶつかれ 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日(きのう)鍬(くわ)とり 畑仕事(はたしごと)
今日は頬(ほお)づえ 日向(ひなた)ぼこ
うまい伐(き)り株(かぶ) 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日(きょう)は今日はで 待ちぼうけ
明日(あす)は明日はで 森のそと
兎待ち待ち 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑(きびばたけ)
いまは荒野(あれの)の箒草(ほうきぐさ)
寒い北風 木のねっこ


【待ちぼうけと中国の伝説】
待ちぼうけは白秋が満州で聞いた伝説「韓非子」に由来します。

「韓非子」の中に、次のような一文があります。
 「聖人とは、昔にとらわれ、一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。彼は国中の笑い者になったという。
 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である。

何か、とっても耳が痛い話ですね。別に政治の話でなくとも自分達の日々の事柄でも十分参考になる事です。しかし、一般的に物事を判断するのに過去の経験を生かし判断する物ですが「一定不変の基準に固執するな」といわれれば難しい事になります。


聖人では無いので良しと、しましょう。

詩を改めて読んでみると、最初は思いがけない幸運に小躍りして、待つことにするがだんだんと状況が悪化して最後はぴゅーぴゅーと木枯らしが舞う荒野の中で茫然と立ち尽くしている。そんな様子が伝わってきます。
参考に、待ちぼうけを辞典で引いて見ました。「待っている人がついにやって来ないこと。」と成っています。待っても待っても来ない様子が確かに表現されています。「北原白秋」がいかに優秀な作詞家であったか再認識出来ます。




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