(9)柳川市・川下りコース・「待ちぼうけ」の像-(旅行1日目)

■「待ちぼうけ」の像です
ほっかむりと鍬との組み合わせが可愛いですね。しかし、この詩には深い意味があります。




童謡「待ちぼうけ」歌詞


待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと 野良(のら)かせぎ
そこへ兎(うさぎ)が飛んで出て
ころり ころげた 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝(ね)て待とか
待てば獲(え)ものは 駆(か)けて来る
兎ぶつかれ 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日(きのう)鍬(くわ)とり 畑仕事(はたしごと)
今日は頬(ほお)づえ 日向(ひなた)ぼこ
うまい伐(き)り株(かぶ) 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日(きょう)は今日はで 待ちぼうけ
明日(あす)は明日はで 森のそと
兎待ち待ち 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑(きびばたけ)
いまは荒野(あれの)の箒草(ほうきぐさ)
寒い北風 木のねっこ


【待ちぼうけと中国の伝説】
待ちぼうけは白秋が満州で聞いた伝説「韓非子」に由来します。

「韓非子」の中に、次のような一文があります。
 「聖人とは、昔にとらわれ、一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。彼は国中の笑い者になったという。
 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である。

何か、とっても耳が痛い話ですね。別に政治の話でなくとも自分達の日々の事柄でも十分参考になる事です。しかし、一般的に物事を判断するのに過去の経験を生かし判断する物ですが「一定不変の基準に固執するな」といわれれば難しい事になります。


聖人では無いので良しと、しましょう。

詩を改めて読んでみると、最初は思いがけない幸運に小躍りして、待つことにするがだんだんと状況が悪化して最後はぴゅーぴゅーと木枯らしが舞う荒野の中で茫然と立ち尽くしている。そんな様子が伝わってきます。
参考に、待ちぼうけを辞典で引いて見ました。「待っている人がついにやって来ないこと。」と成っています。待っても待っても来ない様子が確かに表現されています。「北原白秋」がいかに優秀な作詞家であったか再認識出来ます。




------------------------------------