「陰謀論」の対義語は? それは「無」なのか、「夢」なのか? | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

前回、「言葉」についての感想を述べたが、今回もややその方向で。



COVID-19は人工ウイルスを利用した演出であり、世界的な詐欺である。

そして惑沈大規模接種は、その過剰演出を布石としたさらなる詐欺であり、真の目的はジェ○サイドだ。


・・・といった基本的なことを言っただけで、いまだに「陰謀論者」と言われてしまう。
いまだに、ということが驚きである。


SNS等、ネットのコミュニティーで、考えをほぼ同じくする人たちの見解に接していると、COVID-19や惑沈の「正体」などは、とうに「常識」になっているように感じるのだが、いざ、周囲の生身の人間に「惑沈接種は人口削減を狙った大犯罪だ」と言おうものなら、「ああ、こいつは陰謀論者だったか」と思われてしまうのが現状だ。


ほかのことであれば意気投合する仲間同士でも、話題が政治の「闇」について触れた途端、「陰謀論」という言葉が立ち現れる。


「それは陰謀論です」という牽制の仕方を一般に広めたのは、他ならぬ「陰謀」を推進している側のものたちだ、というのは有名な話だ。

「あれは詐欺だ」と正しく指摘する者にたいして、「そうやって人を疑うなんていけないことですよ」と詐欺師本人が窘(たしな)めて、丸めこんでいるようなものである。


さらに言えば、本当は「陰」謀ですらない。

 

「闇」ですらないのだ。

 

日本のマスメディアでは報じられないというだけで、それらは「公式発言」として、すでに世界中に流布している。

 

陰謀ではなく、すでに「公知の事実」なのである。


まあ、「反陰謀論者」たちのまえで、それは「陰」謀ですらない、公知されている犯罪計画だと説明すると逆にややこしくなるので、かれらが陰謀とイメージするものを、そのまま「陰謀」扱いにしておこう。


してやったりの「陰謀論」。

 

「陰謀論」というタームを口にして悦に入り、愚かなる者の「世迷言」を正したつもりになっている「反陰謀論者」たちは、

 

つまるところ、

 

「この世界に陰謀など無い」

 

と、なんの疑いもなく「信じて」いるのだ。


「陰謀など無い」という見解に、実は、根拠などないのである。


「根拠」があるとしたら、それは、

 

「そんなことは学校で習っていない」

「テレビで言っていない」

「新聞に書いてない」

 

という、はなはだナイーヴ(天真爛漫)なる事由なのだ。


「この世に陰謀など存在しない」と主張するひとは、


選挙に拠らず経済力によって国政に影響を及ぼしてるDeep・Sも、

なかでも通貨発行権を握ることによって政府より権力を持つ超富裕層も、

私的利益のために世界中で戦争・紛争を継続させようとしている軍産複合体も、

どれもこれも存在しない、存在するはずがない、と考えている。

 

 

サタニズムに憑かれて世界を魔界にすることが望みの鹿婆褸のことは、まあ知らなくてもいいと思うが、

 

私的利益のために病気を増やし、身体を治さず、大衆を薬漬けにしようとしている医薬品業界や、

私的利益のために地球温暖化を騙ってグリーンエネルギーを推進している環境業界や、

私的利益のために食文化を破壊し、ゆがんだ毒性食品をひろめようとしている悪徳食品業界、

 

・・・などを認識しないでどうするのか。



mRNAワクチンノーベル賞万歳!


ゼレンスキーはヒーロー!


未来のためにSDGsがんばるぞ!


日本の借金を私たちの子孫に残しちゃいけない!

 

すばらしい!

 

プロパガンダを真に受けた「反陰謀論者」の脳内風景を想像すると、ちょっぴり羨ましくて、やや寒気がするほどだ。


日本政府はDeep・Sに操られたアメリカ政府の言いなりなどではなく、日本の政治家も、官僚も、医療界も、エライひとたちは国民のことを善意を以って考えているのであるから、国民の害になるような物質の接種を推奨するはずがない、と考えることができる平和主義的な頭を、おれも欲しいくらいである(冗談だが)


とにもかくにも、「それは陰謀論だ」あるいは「きみは陰謀論者だったんだ」という相手に対し、おれは「そういうあなたの考えは○○なんだね」と有効的に反駁したい、と思うときがある。


そして、その○○に入れるべき言葉を、最近、あれこれ思い巡らせているのである。


どういう言葉が適当か。


「お花畑」。


(おれの造語である)「ピースフル・ハイ」。


性善説。


または、先ほど出てきた「天真爛漫」。


どれも間違いではないと思うが、「陰謀論」に対置させる言葉としては、やや散漫な印象だ。


「陰謀論」は、その性質上「悲観論」に近いのだから、対義語として「楽観論」という言葉も当たらずとも遠からず。


「それは陰謀論だよ」
「そういうあなたの見解は楽観論ですね」



・・・という反駁は、悪くもないが、しっくりこない。

さらに考えた。


そして、けっして「正答」ではないのだが、ふと、ある言葉が想い浮かんだ。


それは「無謀」だ。

「陰」に対して「無」。


む-ぼう【無謀】(名・形動ダ)よくかんがえないで行動するさま。むてっぽう。むこうみず。


なにも考えていない、という意味での無謀。


陰(かげ)に謀略が在ると考える「陰謀論」
どこにも謀略など無いとする「無謀論」


「それは陰謀論だよ」
「そういうあなたの見解は無謀論ですね」



「楽観論」よりはマシのような気がするが、日本語としてちょっと無理があるかな・・・。


ここで、先週につづいて呉智英に登場してもらおう。

20世紀末近くに発刊された『ロゴスの名はロゴス』(メディアファクトリー/1999年1月15日初版第1刷発行)のなかに「夢の半面」という章がある。

 

「夢の半面」で説いているのは、

夢には「良夢」と「悪夢」があるのに、現代人は悪夢のことを忘れ、夢を良い意味でしか使わない。

また、夢の音読みとしては、「む」と読む呉音しか知らず、「ぼう」と読む漢音を知らない人が増えている。

(音読みには「呉音」と「漢音」があり、「力」の場合「りき」が呉音、「りょく」が漢音)

意味についても、読みについても、「夢」の「半面」しか知らない人が増えてきている、

というものである。


その批評内容よりも、「無謀論」という言葉が想い思い浮かんだとき、おれの記憶の底から出てきたのが、「夢の半面」に添えられた中野豪氏のイラストだった。

 

本筋をなぞらえたものではないが、インパクトは抜群で、楽しい。

 



@中野豪


話はもどるが、実際に展開されている「犯罪」を「陰謀論」と解釈し、現実を見ようとしないひとは、いわば「夢」を見ているに等しいのではないか。

 

 

それも、「良い意味での夢」を見ているだけだ。



ゆえに、「無謀論」ではなく、「夢謀論」としてもいいくらいだが、この場合の読みは「む・ぼう」だろうか、「ぼう・ぼう」だろうか?

どちらにしても、洒落すぎてる批判は相手に届き難いというのはよくあることなので、反駁の言葉としては有効ではない。


もっと的確な言葉がないか、ゴールデン・ウイーク期間に考えてみよう、っと。

 

 

 

 

 


当時、おれは呉智英の次回作を待ち焦がれ、新刊が発売されるとすぐに購入していた。そのため手元にあるのはたいてい初版なのだが、・・・本書のオリジナルに関してはすでに絶版のようだ。