通勤中に限らず、「こいつの頭のなかを覗いてみたい」と思うことは多々あるが、まさに他人の脳内の「風景」を科学の力(!)によって「観る」ことが可能になる時代がくるかもしれない。
去る11月30日、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構が、
『心に描いた風景を脳信号から復元!~生成系AIと数理的手法を用いた新たな技術を開発~』
というプレスリリースを発表した。
プレスリリースの記事の「概要」を引用すると、量子科学技術研究開発機構 量子生命・医学部門 量子生命科学研究所 量子生命情報科学研究チームが、「人が心の中で思い描いた任意の風景・物体などの「メンタルイメージ」を脳信号から読み出し、復元することに成功し」たというのである。
人が何かの「画像」を見ている。その人の脳の活動を「機能的磁気共鳴画像法」という手法で計測する。計測したその「脳信号」を基に「見ている画像」を復元する・・・ということはすでに先行研究で示されているらしい。
しかし、想い描いた「メンタルイメージ」を復元することは困難で、「例えばアルファベットの文字や単純な幾何学図形など、限られた種類の画像でしか成功してい」ないとのことである。
これに対して同研究チームは、既存の手法をベースにしながら、
「ベイズ推定」:観測されたデータを基に、観測できでいないデータを推定(!)する手法
「ランジュバン動力学法」:原子・分子の動きをシミュレーションするための計算方法
に「生成系AI」を組合わせた手法によって、「画像の種類を限定することなく、人が心の中に思い描いたイメージを復元することに世界で初めて成功し」た。
平たく言えば、脳のなかで何を思い描いているかを、外部から把握することが可能になったというのである!!
この記事を読み、おれの思考は乱反射するように、あちらこちらに舞い飛んだ。
心配性のおれがまず想ったのは、この技術が悪用された場合のことである。
この技術の精度が高まり、「画像イメージ」だけではなく、「思考」や「感情」なども読み取れるようになれば、個々人の持つどんな秘密も、悪意のある他人に筒抜けになってしまう。意志の力でどんなに秘匿・黙秘しようとしても無駄である。脳内の信号を外部から計測することによって、他人に読み取られてしまうのだ。もはや「拷問」すら必要ない。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の世界が、より推進されてしまう。
反逆的なことを考えていないか、洗脳がどこまで進んでいるか。そういったことが、支配者側に正確に把握されてしまう。
由々しきことだ。
この技術の精度を高めることが、はたして人類に幸福をもたらすのだろうか、と考えてしまう。
一方でこの技術は、例えば「医療」の分野への応用が期待されている。
脳信号を読み取ることで、意思の疎通が困難な患者から医師や家族に意思をスムーズに伝えることができたり、思いのままに義手を動かせるようになったりなど、医療や福祉分野においてより革新的な技術を生み出すことが期待されます。(プレスリリース「今後の展開」より)
医療と聞いておれが連想したのは、「閉じ込め症候群」の(疑いのある)患者への応用である。
「閉じ込め症候群」というのは、じつに怖ろしい病気である。
この疾病の存在をおれは春日武彦の著作で知り、自分がその病気になったことを想像して戦慄した。
なにしろ、閉じ込め症候群の患者は、四肢はおろか、表情も眼球もまったく動かせないのだ。完全に意識がある(!)にもかかわらず、明らかな反応の手段をもたないため、 周囲からは「昏迷または昏睡状態」にあるように見えるのだ。話しかけられて聞こえているのに、返事ができない。反応もできない。こういった患者にとっては朗報かもしれない。
「また、量子生命科学の分野では、(中略)脳・神経におけるミクロレベルの生命活動を計測し、マクロレベルで認知機能や意識が生み出されるメカニズムを明らかにしようとする研究などが進められてい」るらしいのだが、今回の成果により、「メンタルイメージを客観的に復元することによって、こうした研究にもブレイクスルーをもたらすものであり、分子・細胞のふるまいから認知や意識の状態までを途切れなく説明すること、すなわち『心とは何か』の理解へ道を拓くもの」になる可能性があるという。
人間の「認識」「感情」「感覚」はすべて科学的に計測できるのか、という(ほぼ)永遠の疑問。
もちろん、現在の科学技術ではすべてを計測し、データ化するところまでは至っていない。
しかし、それは「現在の科学技術」だから計測不能なのであって、技術が進めば計測可能になるのか?
それとも、たとえどれほど技術が進歩しても、「原理的に」計測し得ない「何か」が存在するのか?(いわゆる「クオリア」と言われているもの)
このプレスリリースの内容から離れて、以前からおれが疑問に想っていたことがある。
例えば「記憶」。
おれが、いままで知らなかった「用語」をひとつ憶えたとする。日本語の新たな語彙でも、外国語の単語でもいい。あるいは、初めて遭った人の名前でもいい。
それを「憶える前」と「憶えたあと」では、おれの脳内にどのような変化が生じているのだろう?
理論的に考えて、
「憶える前」と「憶えたあと」では「脳の状態」が違うはず
だ。
脳内の分子、原子、あるいは電子、陽子、中性子、クォーク・反クォークのレベルで何かが増えているのか? それとも配列に変化があるのか?
脳に記憶できるデータの量が何○ビットであるかは忘れたが、1ビットのデータを記憶すると、具体的に脳内はどう変化しているのだろうか?
脳内を計測することによって、「この人は○を知っている」あるいは「知らない」ということが客観的に判るのか?
または「憶えている状態」と「憶えているはずなのに思い出せない状態」との違いは?
「憶えているはずなのに思い出せない」とは、脳が(原子配列的に)どのような状態にあるときなのか?
疑問(興味)は尽きない。
話はもどるが、もし仮に他人がこの技術を悪用し、あなたの意に反してあなたの脳内を覗きこもうとしたときの秘策があることを思い出した。
筒井康隆の短編「底流」で示されている方法だ。
テレパシーの能力を持つ者が、前任者の思考を読みとって仕事の引継ぎを済まそうとした際に、その前任者がいかなる「行動」をとったか。
是非、参考にしていただきたい。(おれも、もう一度読みたくなった)
しかしながら、「人が心の中に思い描いたイメージを復元」できたといっても、現在のところは、以下のようなレベルである。
「本成果の研究の手法をまとめた図。手法をわかりやすく伝えるため比喩的な表現、および実際とは異なるイメージを使用してい」るらしいが・・・。
ある画像を見ているとき、もしくは頭に想い描いているときにはこの脳信号が現れる、というパターンを割り出しておき、対応表(同研究チームでは「採点表」と呼んでいる)を作成しておく。今度は測定した脳信号から採点表に基づいて「画像」を復元。その画像を「画像としての自然さ」「もっともらしさ(妥当性)」などの観点から「生成系AI」と「ベイズ推定」「ランジュバン動力学法」の手法を駆使して修正を繰り返した過程が上の画像。修正を500回重ねても、元の画像とは、ご覧のような隔たりがある。
右上角の「復元画像」を見て、「こいつは頭のなかでヒョウを想い浮かべているな」とは判定できないだろう。
ましてや、思考、認知、感情などを読み取るのは、まだまだ先になりそうだ。
少し安心。
だが、技術は日進月歩・・・、あるいは等比級数的に進歩する。
復元の精度が増し、いずれ脳内のすべての活動が「丸裸」にされる日が来るかもしれない。
・・・と、そのようなことを考えながら年末を迎えようとしている。
今年一年、このような稚拙なブログをご愛読いただき、まことにありがとうございました。
来年はもっと「読書レビュー」の割合を増やしたいなあ~、と思っております。
よいお歳を。
国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構
心に描いた風景を脳信号から復元!~生成系AIと数理的手法を用いた新たな技術を開発~
「底流」を所収した短編集。