コロナなるもの ~その31「『知』を構成する成分」 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

松葉茶飲んで今日も元気!

松葉茶については、今年6月ごろのブログでも触れたが、それから3ヶ月経った現在でも、毎朝一日も欠かさず飲んでいる。

出勤前に飲む。休みの日も朝から飲む。

お盆の帰省の際も実家に持っていって(というか、2月に帰省したときに持っていった未開封のものが残っていた)飲んでいた。

体調は安定している。
 

昨年末から飲み始めて、本当に、今年に入ってからまだ鼻風邪すらひいていない。
夏の猛暑はくたびれるが、それでも大きく体調は崩していない。

熱を出して寝込んだのは、思えば昨年の11月上旬が最後である。
あのときは、10月下旬、関西への3泊4日の弾丸出張を終え、そのあとにつづく公私に亘る無理が祟って発熱した。(けっして往復の新幹線のなかでマスクをしていなかったから、ではない)

しかし昔から「風邪は寝て治す」のが信条だ。

それまでどおり、感冒薬や解熱剤の類はいっさい服まず、服薬したのは葛根湯のみ。食欲が減退したので無理には食べず、家族が作ってくれた生姜湯をときおり飲み、眠りに眠って一昼夜、約30時間で平熱にもどった。会社を休んだのは金曜日だけ。そのあとの土日をゆっくりすごして完全回復。

もちろんコロナの抗原検査などという無駄なことはしていない(キットも持っていないし)。仮に検査をして「陽性」判定が出たとしても、陽性とされた遺伝子断片と、おれに熱を出させた原因とは無関係だ。

だが今年は元気である。それが松葉茶の効果だとしても、しかし、松葉の中のどの成分が効いているのかは解らない。

現在では松葉の効能が科学的に分析され、葉緑素、樹脂、酵素、鉄分、ビタミンK・A・Cなどが含まれていると発表されている。

(日本食糧新聞ホームページ『百歳への招待「長寿の源」食材を追う:松葉茶』より)

 

 

食材に含まれている「成分」は、全体で万単位といわれている。

そのうち判明している栄養素(炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラル、食物繊維、ポリフェノール)は全体の種類からするとごく一部にしかすぎず、その他の「未検出」の成分に多大な「薬効」があっても不思議ではないのだ。

どの成分が効いているのかは判らない。

 

未だ名前すらつけられていない未発見・未抽出・未同定の成分が体に有効な作用をもたらしているかもしれない

 

のだ。(逆に「毒」となる成分は判明している場合が多い。判明させなければ命にかかわるからだろう)

そして賢明なる先人たちは「毒を含んでいる」食材を避け、「体に良い」食材を経験値から選んで食してきた。

松葉も「体に良いとされてきた」食材のひとつである。

 

 

 

 


さて、前回も述べたが、勤務先では体調不良が多発している。

老いも若きも男も女も「5類になってもコロナウイルスは流行している」と想っているし、PCR検査の正当性も(未だ)疑っていないし、マスクはできれば着用すべきだと考えているし、惑沈の効果を信じているし、惑沈によって命が削られることなど夢にも想っていない、という社員が少なくないのだ。


そのような中にあっては、

「風邪の原因となるウイルスは古来より年中存在している。控えめに言って2019年以前の状況に戻っただけ。重症化の原因は、そこに毒性の高いウイルスが存在しているからではなく、免疫力の問題」

・・・という正論中の正論すら伝わらないのだ。


正論をぶつけても、「いやいやいやいや、実際『感染者』が増えてるんだから、やはり流行ってるんだよ」という意見が返ってくるだけだ。


「そりゃ、増えるでしょう。とくに子どもたちは行動自粛や黙食・個食といった誤った『感染対策』によって、本来あるべき病原体の暴露から3年以上不自然に遠ざけられてきた。幼いうちに鍛えられるべき免疫力も脆弱なままでしょう。だからふつうの生活に戻ったら感染(正しくは発症)が増えるのは当然のこと。それなのに、感染増を怖れてまた『感染対策』を強化なんかしたら元の木阿弥。そうではなく、遅ればせながらどんどん感染させて免疫力を鍛え直すべき」
 

・・・などと言おうものなら暴論扱い。だが、どっちが子どもの将来を考えているというのか?

「松葉茶はいいよ」という言葉も、「惑沈は打つなよ」という言葉も虚空に消える。

「松葉茶はいいよ。飲んでいると調子がいいよ」と、これまで何人かに奨めてきたが、誰しも「ふーん、そうなんだ」と言うだけで、ふつうのスーパーやコンビニでは売っていない松葉茶を、労力をかけて購入しようとは思わないみたいである。


惑沈についても、おれは訊かれなければ、わざわざ自分が非接種だということは言わない。
そのため、おれが非接種であると知らない同僚も多い。(同じ部署の者はさすがに全員知ってるが)

ゆえに、おれが「非接種なのに体調を崩さない」という(かれらにとっての)「不思議」を体現していることすら知らないのだ。

9月20日から始まるXBB対応惑沈についても、これまで何回も疑うことなく接種してきたひとにたいしては、「これまで以上に副反応が強いみたいだから、打たないほうがいいよ」という程度のことしかおれには言えない。

コロナ禍を通じて、健康にたいする知識・意識が人によってここまで違うのだと思い知らされてきたからだ。

だからといって、過剰な感染防止対策が誘因となり、惑沈接種が原因となって体調を崩してしまうひとを、別に鞭打とうとは思わない。

責める気持ちよりも、今は諦念の気持ちが強い。


このブログで何度も言っているが、おれなどとは比較を絶した知識を持つ者。記憶力に優れた者。頭の回転が早い者。目端の利く者。そういった「頭のいい」者たちが、大規模接種が始まった途端、微塵の疑いもなく接種に赴いていった、ということが驚きだった。そして、そのうちの大半が、またXBB弾に撃たれようとしているのだ。


2021年から始まった一連の接種推奨圧迫脅迫キャンペーンに於いて、接種を免れた要因はひとつではないだろう。

人それぞれ背景が異なるが、選択を誤らなかった要因のひとつを仮に「知」と呼ぶとする。

ただし、その「知」を構成する「成分」は、「これ」と「これ」と「これ」・・・、というようにはっきり抽出されるものばかりではない。記憶力、理解力、洞察力、共感力、想像力といった「~力」と呼ばれるものだけではないのだろう。

薬効に富んだ食材の成分がそうであるように、まだ可視化されていない、言語化されていない未抽出の「成分」こそが、今回のような事態では有効だったのかもしれない。

果たして、「その知」はいかにして育まれてきたのだろう。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

松葉茶にするなら、アカマツが理想で、アカマツがなければクロマツでもよいそうだ。


@雪の下

私有地以外に生えているアカマツを見つけたら、自分で葉っぱを採集してこようかな~。
実家のある田舎にもたくさん生えていそうだ。