前回レビューで取り上げた、マリン・カツサの『コールダー・ウォー』。
ひとつ、疑問に思うことはないだろうか?
それは、2014年の執筆時点で「ドルとペトロダラーシステムの崩壊はすぐ間近に迫っている」という論調だったのに、2023年9月現在、ドルはまだ崩壊していないということだ。
最近になってようやく崩壊の足音が聞こえてきた、という段階である。
どうしたのだ?
とっくに崩壊していてもいいのではないか?
プーチンはなにをやっているのだ?
マリン・カツサの予測違いか?
それとも、崩壊を阻止するようなDeep・Sの反撃があったというのか?
おれの考えでは、答えは「トランプの出現」である。
2016年の大統領選でドナルド・トランプ(のような人物)が大統領に選出されるなど、さすがのマリン・カツサも予測できなかったことだろう。(さすがのプーチンも、とつけ加えてもよい)
このときの大統領選で、執筆当時のオバマと同じ穴の狢(たとえばヒラリー・クリントン)が選ばれていれば、おそらくプーチンは容赦することなく、ドルを崩落させていたことだろう。それによってアメリカ国民が塗炭の苦しみを味わおうと、それは一極集中の繁栄を無思慮に謳歌していたアメリカ国民の自業自得だ。
しかし、予想外にトランプが大統領となった。
これでアメリカの流れは大きく変わった。
トランプの「各国ファースト」の政策によって、アメリカは他国と共存共栄の道を進み始めた。
一極集中(グローバリズム)から多極化へ。
インチキドル紙幣を刷りまくるDeep・Sから通貨発行権を剥奪しようともしている。
アメリカ・ロシア両大統領の関係性も構築された。
それならばプーチンとしても、急進的にドルを崩壊させる必要はなくなった。
奴等を急いで「成敗」する急迫性も薄らいだ。もちろん決済通貨をドルに独占させておくつもりはなく、「主役」からは早晩ひきずり降ろすつもりだが、(水面下でのトランプとの交渉も通じ)崩落後もアメリカ国民があまり苦しまないやり方で、「やんわりと」事を成す方向に転換したのではなかろうか。
そして、表面的にはふたたびDeep・Sが実権を掌握している現在、プーチンとトランプ陣営が裏で協同し、あらためてインチキドルを崩壊させようとしている。
・・・と、考えるがどうだろう。
「オレのおかげだ」
・・・・・・。
さて、勤務先をふくめた周囲で「体調不良」が増えている。
症状を訴えている年齢層はまちまちだ。
数ヶ月間、長ければ一年間近く休職状態の社員もいて、そのなかには最近になって復職した者もいるのだが、休職前より格段に頭髪が薄くなっていたり、まだ40代後半なのに老人のような足取りになっていたりする。
長期間の休職に至らない例なら、もはや珍しくない。
ここ一か月の間に、40度の高熱が一週間続き、「陽性」判定が出て休んでいた還暦前後の社員3人。うち2人は惑沈を4回、残りの1人はすでに5回接種しているそうだ。
そして決まって、
「惑沈を接種してるからこの程度で済んだ」
と言っているのだ。
「この程度」って、40度の熱が一週間も続けば、充分に「重症」だと思うのだが・・・。
ネットでよく紹介されている「典型例」だが、まさか身近にそのような発言をする者が現れるとは!
そう考えるひとって実在するんだ、という素直な驚き。
ところが「40度の発熱があっても重症ではない」という理屈を強烈に後押しする「裏づけ」の存在を最近知った。
それは血中酸素飽和度(SpO2)。
正常値は99~96%と言われている。
たとえ体温が40度に達して苦しんでいる状態でも、パルスオキシメータなどで血中酸素飽和度を測定し、
数値が90%以上なら「軽症」
ということになるそうだ!
一般に90%を下回ると呼吸不全とされ、酸素マスクや人工呼吸器が必要になる。つまり、90%というのは命に関わる閾値とも言える。
言い換えれば、「放っておいたら死んじゃうというギリギリの状態でなければ軽症」と判定しているに等しいのだ。
そして、「軽症」と判定されて安心し、あらためて惑沈に感謝して、接種しておいてよかったな、と胸を撫で降ろしているのである。(さらには「接種してないやつは愚か者だぜ」と思いを新たにしているのかもしれない)
先ほど「最近知った」と述べたが、パルスオキシメータや血中酸素飽和度自体のことは以前から知っていた。しかしながら、このような「奇抜な基準」が採用されていることは初めて知った。
このパルスオキシメータ。以前は逆の使い方をされていたことを憶えている方も多いだろう。
惑沈接種が広まる前は、「熱やだるさや咳などの自覚症状が無くても血中酸素飽和度が低下していることがあるというのが新型コロナの特徴だ!」と、パルスオキシメータはウイルスの恐怖を結果的に煽るための道具となっていた。
惑沈以前、パルスオキシメータはウイルスの恐怖を過大に煽るために利用された。
そして、惑沈の副作用が広まってきた現在は、副作用や免疫低下による体調不良を、いたずらに安心させるために利用されているのである。
そして、この根底には、「またコロナ感染が拡大してきた」という認識があるのだ。
先ほどの一週間休んだ社員のひとりは会社に出てきたあと、マスクを着用した顔で、「マスコミが報道しないだけで、コロナは確実に増えてるんだよな」と嘆いていた。
マスコミの過剰報道によっていったん恐怖を煽られてしまうと、報道がなくなっても恐怖心を自己増殖させてしまうという、いわば「後催眠」が効いている事例である。
そしてマスク。
脳内深くCOVID-19恐怖を植えつけられてしまったシープルたちは、「マスクを外す人が増えたから感染が再拡大している」と頑なに信じている。その「因果関係」を信じない理由がない、という状態にすらなっている。
そして自分(だけ)は絶対に感染しないぞ、と5類になってもがっちりマスクを装着しつづけ、しかし、その努力の甲斐もなく、かなりの高確率で発症してしまうという皮肉な有様。
熱に魘されながら想うのは、「ノーマスクの奴等にうつされた!」という怨み節か。
そして、熱が下がったあとは、「惑沈を打ったからこの程度で済んだ」という安堵。
秋以降も惑沈、打っちゃうんだろうな~。これまで以上に毒性の強いと言われている惑沈を。
いったい、いつまでそんなことを繰り返しているのだろう。
いったん蟻地獄の穴のすり鉢状の斜面に落ちてしまうと、あとは底まで落下するしかないのだろうか?
ここまでならまだ這い昇る余地はあるが、この線より下まで滑り落ちてしまうと、もはや助かる見込みはないない、という「心理・認識の閾値」というものがあるのだろうか?
コロナが5類になってから初めて会う知り合いが、いまだにマスクを着けていたりすると、おれは「いいかげん外せば? マスクなんかに感染防止効果があるって、まだ思ってるの?」と、(相手の性格にもよるが)けっこうあけすけに忠告している。「あけすけ」と言いながら、相手の気持ちに忖度してかなり譲歩している表現なのだが、現実に、それによって外すようになった者も複数いる。
いま現在マスクを装着しているひとには、周囲にそのような「おせっかい」を言ってくれる人もいないのだろうし、仮にいたとしても、その「救いの手」を振り払っているのだろう。
すこし前のブログでおれは、
「奴等はやりすぎたのではないだろうか。」と述べた。
「とくに、コロナ騒動では図に乗りすぎた。」
「それによって、逆に多くの『潜在的覚醒者』たちを本当に目覚めさせてしまった。」と。
(2023/7/7投稿『幻の波によって目覚めた者たち』より)
現在読んでいる渡辺惣樹の『ネオコンの残党との最終戦争 蘇る米国の保守主義』のなかにも、次のような記述がある。
本章では、コロナ禍あるいは2020年大統領選挙(不正選挙)におけるメディア報道をきっかけに国民がはっきりとメディアの偏向に気づいたこと、そしてそれによって急激な視聴者離れが起きたことを扱う。(P-73)
※ここでいう「本章」とは「第3章 崩壊するメディア」のことで、「国民」とはアメリカ国民のこと。
つまり、これほど大規模であからさまな詐欺行為である「コロナ禍」は、目覚める契機としては充分だったはずなのだ。
それなのに、いまだにマスクを四六時中がっちりと着用し、ノーマスクの人を批判的な(または軽蔑的な)眼で睨み、高熱が出ても惑沈の副作用(免疫機能の低下)とは夢にも想わず、惑沈後遺症の存在など認識になく、これからも機会のあるごとに惑沈を打ちつづけようとしている。この条件をすべて満たしているひとたちって、(あまりこの言葉は使いたくないのだが)もはや「闇墜ち」してしまっていると言ってもよい。
下に墜ちれば墜ちるほど闇は濃くなり、這い上がることが困難になる。
現在、半分すぎまで読み進んだところ。
さすが渡辺惣樹という良書だが、レビューに取り上げるかどうかは未定。