コロナなるもの ~その22「できるだけ『整理』して『針小棒大』を修正する」(1) | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

譫妄家・・・じゃなかった専門家組織、5類への「引き下げ」はしなかったようだ。

 

 

 

 

 

この結果は「現状認識」→「判断」という真っ当な流れに則ったものではない。
これを、則っていないのはおかしい、則るべき、だと思うから腹が立つわけであって、そうではなく、「惑沈の接種目標本数を消化するまでコロナ騒動を終わらせるつもりはない」という“大いなるバックボーン”の存在から逆算して考えなくてはならないのだ。
だからといって腹が立たないわけではなく、実はおれなりに激怒しているのだが、この構造を認識するかしないかで、怒りの矛先が変わってくる。
譫妄家の首をすげ替えれば改善される、というものではない。

もちろん、現・譫妄家どもの首は、たんにすげ替えられるためではなく、いずれ片っ端から刎ね飛ばされるためについているのだがな。


さて。


こういった譫妄家(寒くて唇が窄まってしまい、なかなか「センモン」と発音できないので、このまま訂正せずにいく)たちの言説からも透けて見えるように、2020年初頭からの「コロナ騒動」は、ほとんど未曾有の「情報戦争」だ。

実質的なウイルスとの「闘い」ではない。

ウイルス蔓延をネタにして恐怖を焚きつけようという「奸佞邪知」にどう対応していくか、というある意味「命をかけた闘い」なのだ。

主にマスメディアから繰り出される「コロナは怖いよ~、たいへんだよ~、一生懸命対策をしないと○んじゃうよ~」という言葉によって、多くのひとたちは、「兇暴なコロナウイルス」の幻影を頭に描くようになってしまった。
だが、そのような「兇暴なウイルス」は、頭のなかだけに存在するイメージなのだ。

だからといって、「コロナウイルスなどどこにも存在しない」「まったくの幻だ」と言い切ってしまうと、それはそれで、さまざまな矛盾が発生する。

では、どう考えたら、すべての現象を矛盾なく捉えることができるのか?
そのあたりを(主におれ自身のために)整理してみたいと思う。

ひとつは「ウイルス干渉」の問題だ。

コロナが「まったくの幻」だと解釈すると、2019年の末から2020年の初頭にかけて、日本におけるインフルエンザの流行が例年とは比較を絶して抑えこまれたという「ウイルス干渉」を説明することができなくなる。

このウイルス干渉によるものとされるインフルエンザの流行停滞は、2020年末~2021年初、および2021年~2022年初の時季にも起こったと考えられているが、これを「インフルエンザが流行しなかったのは感染対策、とくにマスク着用の効果だ!」と勝ち誇っている罵裸悶たちは、てめえたちが2019年末~2020年初にもマスクをオン・ザ・マウスしていたかどうか、振り返ってみるとよい。

いや。たぶんウイルス干渉という言葉すら知らない罵裸悶の勘違いなど、どうでもよかった。

ウイルス干渉を考えると、たしかに「コロナウイルス」は存在した。
感染(陽性という意味ではなく、発症するという本来の意味の感染)爆発とまではいかなかったが、2019年末にコロナ型ウイルスはひそかに日本に忍び入っていたのである。

2019年末に静かに(パンデミックになどならずに)蔓延していたのは、井上正康先生なども解説しているように、“ややタチの悪いコロナウイルス”だったのだと考えられる。感染力がやや高く、毒性もやや高い型は周期的に、何年かごとに発生している。これまでも巷でよく言っていたではないか。「今年の風邪はタチが悪いな~」と。

ただし、多くの(本物の)専門家(これはちゃんと発音できたぞ)が指摘しているように、そのコロナウイルスには遺伝子操作された痕跡がある。

この点を考えると、ウイルスは自然発生的なものではなく、どこかで人工的にデザインされ、なんらかの経緯で漏れ出たものである蓋然性が高い。漏洩場所としての筆頭候補が「中国科学院武漢ウイルス研究所」、通称、武漢研究所だ。

その漏洩が事故だったのか、作為的なものだったのかは未だ判然としないが、ともかく、蔓延したあとの影響を冷静に鑑みると、それは人工物ではあっても「生物兵器」として使用されるような強毒性のウイルスではなかった、ということになる。

スパイクタンパクを有するコロナウイルス特性上、どうしても“ややタチの悪い風邪症状”の原因とはなるが、ロックダウンや行動制限などといった緊急措置を講ずるほどのものではなかった。

とくに、地理的な特性でコロナウイルスの風邪に罹り慣れていて、耐性(抗体と同義ではない)が出来ている日本人や多くのアジア人にとっては、さほど深刻なウイルスではなかったようだ。


ここまでいうと、「いや、いや、いや、いや! 世界中であれほど多くの人が感染して、少なくない人が重症化したり、死亡したりしたじゃないか!」という反論が起こると思う。


これは当時、海外で感染爆発しているのだから、いずれ日本でもそうなるのでは、という「取り越し苦労」と、集団免疫への「無理解」からくる混乱(錯乱?)と言える。

海外で感染爆発が起こった理由と、日本でそれが起こらなかった理由は以下の理屈で説明できる。

2019年の年末に、初期型コロナウイルス(上久保靖彦教授の定義で「S型」)が、中国から静かに世界各地に伝播した。日本も例外ではない。むしろ地理的に近いので、多くの渡航者によって日本にも運びこまれ、多くの日本人が気づかぬうちに、このS型に暴露した。そのほとんどが無症状のままで、発症した少数の者はそれを単なる「季節性の風邪」と捉えていたことだろう。
これは、コロナが騒がれるより以前のことだが、ここですでにウイルス干渉が起こっていて、インフルエンザの発症件数が格段に抑えこまれていた。

翌2020年1月下旬、コロナウイルスの感染が世界中のニュースを賑わせた。アメリカ、ヨーロッパの多くの国がこの情報に基づいてロックダウン。海外からの渡航者を制限した。だが、そういった強硬措置を取らなかった日本に、このタイミングで、わずかに変異を起こしたコロナウイルス(同「K型」)が入ってくる。

このあと武漢でさらに変異したG型が発生。これが欧米に伝播してパンデミックを引き起こした。

上久保靖彦教授によれば、日本は渡航者制限などの措置を取らず、S型→K型→G型の順に暴露していったため集団免疫を獲得できた。一方、ロックダウンによりK型に暴露されなかった欧米の人々は、S型からいきなりG型に暴露されることになり、ここでは詳しくは述べないが免疫・抗体の仕組みにより、かえって重症化をもらたした。

これが、欧米で人がバタバタ倒れ、患者を収容しきれない病院がパニックに陥った理由である。

つまり、ロックダウンなどという「不自然」なことをしたために、感染爆発が発生してしまったのだ。

日本が比較的無事だったのは、結果として例年どおり、自然な状態で「季節性の風邪ウイルス」に段階的に暴露したからだと言える。なにも2019年末~2020年初が特別なわけではなく、それまでも毎年、毎年、段階的に変異するウイルスに、段階的に暴露することによって、日本人は自然に対処してきたのである。

実際の「風邪による」重症者数、死亡者数もほぼ例年どおりで、本来なら騒ぎ立てるような事態ではなかったのだ。

それを過剰に騒いでしまった。マスメディアは狂騒状態で煽りに煽り、多くの・・・実に多くのひとびとが、それらを真に受け、やがて恐怖を自己増殖させていった。

針小棒大。

コロナウイルスがまったく存在しなかったわけではないのだが、「パンデミックを引き起こす毒性の強いコロナウイルス」というのは(少なくとも)日本に於いては「幻影」だ。

多くのひとたちは、その幻影に恐怖し、狼狽え、いまだに怯えつづけているのである。


今回はここまでとするが、次回はひきつづき、「PCR検査のインチキさ」と「第○波」の関係性についても整理してみたい。
 

 

 

 

 

 

以前のブログで、2021年初〜2022年前半にかけて読んだ「惑沈」関連の書籍を紹介したが、これはおれが2021年初に読んだ「コロナ」関連の書籍のうちの一冊。

 

今回のブログを書くために、ところどころを再読したが、その鋭い見解にあらためて感服した。