~妄想~ コロナ禍を知らない人っているのかな? | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

アメリカ時間11月15日、ドナルド・トランプ氏が大統領選への出馬を表明した。
アメリカ「合衆国」(the United States of America)ではなく、アメリカ共和国(the United States)の大統領選だ。この意味の違いはすさまじく大きい。

さっそく、Deep・Sメディアによるコキオロシ。

日本の「鎖国ニューズ」を信じて疑わないシープルたちは、トランプ氏を矮小化せざるを得ないマスメディアに即座に印象操作され、その偉大なる声明を半笑いで受け止めていることだろう。が、すべては余人の窺い知れない壮大な「シナリオ」どおり。ある側の存在にとっては「終わりの始まり」で、べつの存在にとっては「始まりの始まり」だ。

2024年末~2025年初頭というのは、おれ個人にとっても「転機」となるべき(はずの)時期で、それ以降のおれの「ささやかな幸福」のためにも、これが「始まりの始まり」であることをあらためて肝に銘じることにする。
さらにいえば、この歴史的転換期と時代を同じくし、その「目撃者」となれることを喜びとすべきだろう。

わからないひとには「妄想」とも聞こえる言葉を記してしまったかもしれないが、今回のブログでは別の、れっきとした「妄想」について述べてみる。


題して、『コロナ禍を知らぬ人』。


現代2022年11月の日本に於いて、「コロナ騒動」を知らない人はいるだろうか? 
世捨て人とか仙人のように、他の人や「文明」といっさい関わらずに自給自足の生活しているような人のなかには、この騒動を知らずにすごしている人もいるかもしれない。

しかし、野山ではなく街中に暮らし、食料の調達を通常の流通システムに依拠しているような場合でも、この「象牙の塔」の住人になり得るだろうか?

まず、職業は「勤め人」「宮仕え」ではあり得ない。
いや、たとえ「経営者」であっても、客、他の企業との取引・提携をしている限り「知らない」ことは考えられない。

やはり、他の人との接点が皆無でなくとも僅少で、独りで仕事に没頭できるような職業以外には成り立たない。
ここは思い切って「文筆業者」に登場してもらおう。


そう。「かれ」は寡作で知られた小説家で、2020年の年明けから、ある書き下ろし小説の執筆に没頭している。
地球物理学と数学と考古人類学の知識をふんだんにちりばめた、SF的設定の未来小説だ。現在の世界情勢に取材する必要は皆無である。

地方都市の分譲マンションに住む独身で、すでに両親は他界している。
掃除・食事・洗濯は通いの家政婦に依頼しているが、その家政婦と顔を合わせることは稀である。それだけ一日の大半は執筆に費やしているのである。顔を合わせれば挨拶は交わすが、会話することはまずない。もともと世間話は苦手なのだ。

編集者とも、ほとんど連絡は取っていない。
すでに企画は通っているので、ただひたすら執筆あるのみである。
いつだったか、編集者から電話口で「先生、お体は大丈夫ですか? くれぐれも気をつけてくださいね」と言われたことがあるが、よくある社交辞令だと解釈した。まあ、少しは本気で心配していたのかもしれないが、どちらかというと体そのものではなく、執筆が滞りなく進むことを願っての言葉にちがいない。

基本的に、自分では買い物には行かない。とくにこの3年間は行く暇がない。必要なものがあれば、メモで家政婦に伝えておけば、すぐに手配してくれる。執筆業なので、以前は頻繁に書店や図書館も利用していたが、ここ3年間に限ってどちらにも足を運んでいない。執筆に必要な資料はすべてそろっているからだ。もし、ネットで書籍などを購入する習慣があれば、なにかしら「コロナ」をうかがわせる情報にも触れたかもしれないが、幸か不幸か、3年以上、ネットで何かを購入したり、閲覧したりしたことはなかった。

気軽に連絡を取り合うような友人も恋人もいない。
気晴らしは、部屋のなかで行なう筋トレと、夕食時にDVDで観る古い映画や昔のドラマくらいで、ふだんから、テレビは観ない。新聞も読まない。ネットニュースも利用しない。


ただ、ほとんど毎日のように散歩には出かける。
その際も「どういうわけか、みんなマスクをしているな~」と思うだけだ。すれちがいざまジロジロと見られるような気もするが、散歩の際も細かい描写のことを考えたりしているので、あまり気にかける余裕はない。
また、失礼だと思うので「どうしてマスクをしているのですか?」と、かれから尋ねることもない。

そういえば、散歩の際に通りすぎるさまざまな店の店先にも「感染対策」という文字を見かけるが、ちょっとした「清潔志向のブーム」が起きているのかな、という程度の認識だ。

まさか、感染症のパンデミックが起きているなどとは想像もしていない。
なぜなら、そんな深刻な状態になっているとはとても見えないからである。

もし、出歩いている人たち全員が「N95」レベルのマスクと防護服を着用していたなら、かれとしても「もしかしておれの知らないあいだになんらかの感染症が発生したのか?」と疑ったかもしれない。
しかし、マスクといっても、たかが不織布やウレタンといったオモチャ程度のシロモノなので、そんな疑念は、抱くまえにかれの頭のなかから消えていった。以前、感染症をテーマにしたパニック小説をヒットさせたこともあるかれの頭から・・・。

また、昨年「接種券」なるものが郵送されてきたことがある。だがこれも、これまで見てきた「風疹の予防接種」とか「がん検診」とかの類を自治体で行なっているのだな、という程度の認識で、インフルエンザワクチンの効果すら信じたことのないかれには、そんな「接種」など無縁のものだ。

逆に「給付金」の情報も知らないので、もらったことはない。

かように、かれは、なにも意識的に「外界の情報」をシャットアウトしているわけではないのだが、このような生活のおかげで、多くの人が行き交う都市に住んでいながら、現在に至るまで「コロナ騒動」のことをいっさい知らずにすごしている。



そういう人に、おれはなりたい。