コロナなるもの ~その12「惑沈」 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

東京都の1日の「新規感染数」が3万人を超えたって。

 

先週、1万人超といって騒いでいたと思ったら、あっというまに2万人を超えて、3万人!!

 

参院選挙後で、しかも夏休みの始まりとともに「この数字」をぶつけてくる露骨さ。厚顔無恥さ。

 

そして、人数が1万人から3万人になったら、「リスク」も3倍になると思って、マスクの緒(紐)を締めているマスク主義者たち。

 

いいですか?

 

「0」に10000掛けようが、30000掛けようが、「0」なんですよ~~~!

 

もちろん「0」とは、実際の「被害度」のことだ。死亡者数にしたところで、「コロナ騒動」がなかった時(いわゆる例年)の死亡者数を上回っているわけではないので、コロナに特化した被害度は「0」と言っていいでしょう。



東京都のグロテスク・グリーンのお婆は、さっそく張り切って、

「ワ○チン」「マスク」「換気」

などとお得意の「キーワード」を並べているが、ここに今回初めて堂々と「惑沈」を呈示しているのが浅はかすぎる。意図が見え見え。

 

この「提案」「設定」を素直に受け入れてしまうひとの思考は、おれにとってもはや理解不能の域なのだが、むしろそのような「ひと」こそが大多数であるということを、この2年間で思い知らされてきた。そしてそれは「いまだに」なのだ。

 

しかしね・・・。

こと「惑沈」については、あまり厳しいことは言いたくない。

 

なぜなら・・・。

 

 

なぜなら・・・。

 

 

もう打ってしまっているから、だ。

 

・・・・・・。

 

ただし、打っているのはおれではない。

 

頻繁には会っていなかった友人や、勤務先の同僚、行きつけの居酒屋の店主、親戚などが、あたりまえのように(打たない理由など無いかのように)すでに打ってしまっているのである。

 

だからね。

 

接種者に対して、あまり批判的なことは述べたくない。

 

せめて、かれらが毒性の低いロット、もしくはプラセボのロットに当たっていることを願うばかりだ。

いまのところ、重篤な副反応(実は本効果)が現れたという知人はいないようだが・・・。

 

時間があまりないので、今回はここまで。

 

次回は、おれより「頭のいい人」たちが、どうしてこうも疑いもなく接種してしまったのか、と、それに対し、かれらより「頭のよくない」はずのおれがどうして接種しないという判断ができたのかを、簡単にまとめてみたい。

 

参考までにというのも僭越だが、おれが、この1年半(2021年初〜2022年前半)で読んだ「惑沈」関連の書籍をざっと並べてみる。それほどの冊数ではないが、これだけ読めば充分かな。

また、これらの本を読む前から、接種するつもりはさらさら無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その他、武田邦彦氏の『情報の悪意』や『大ウソ』でも「惑沈」の危険性に触れているが、コロナ・惑沈がメインテーマの書籍ではないので割愛しました。