コロナなるもの ~その11「恐怖心の蓋」 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

「死んでいない」に1票ーーー!

 

Game

 

of

 

Death

 

『死亡遊戯』!!!

 

「オー、アチャアチャ、アーーー!」

(ダン・イノサントとのヌンチャク対決の際、怪鳥音を発するのではなく、怪鳥音を「言語」として発音しているシーンが好き!)

 

このままではDeep・S鹿婆褸の魔の手から逃れられないので、

「敵を欺くにはまず味方から」

を含めた、壮大な「遊戯」。

 

もちろん「狙撃」した「犯人」も「役者」であり、報道されている「犯行動機」も、あらかじめ用意されていたフェイクストーリーだ。どの段階からフェイクなのかは判らないが、極端な話、そもそも「犯人の母の経歴」すら虚構かもしれないのだ。いうまでもなく、そのような実在の宗教団体がらみのストーリーを持ち出してきたのは、もはや手の施しようもなく我が国の国体の奥底に巣喰っているその団体を、これを機に潰そうとしているからである・・・。

 

おれがこの一連の展開に疑念を抱いたのは、マスメディアで報道されている映像には、どれも「申し合わせたように」「2発目」の映像が無いということ。何かに遮られたり、アングルが急変して地面を映したり、と、まともに「2発目を喰らったシーン」が見られないのだ。あさっての方向を向いた映像のなかで、「2発目の爆発音」だけが響いてくる。

 

これは怪しい。

 

だが、たちまちネット上に「狙撃の瞬間」の映像が現れ始めた。そして、そこに映っている「動き」の嘘くささは、眼を疑うほどだった。そこに「着弾の衝撃」は皆無である。

1発目の発射音に“なんだろうという感じで”後ろを振り返り、逃げようと(?)と背中を見せたところで、2発目の発射音と煙。そこでも「着弾の衝撃」は見られず、“ふつうに”階段を降りる動きで演説台から降り、よろよろと“意識的に”前のめりに屈みこんだ、という動きに見える。

もちろん“ ”内はおれの主観ではあるのだが、そう感じない人などいないのではないかという不自然さだ。

 

※問題のシーンの映像。虚心坦懐に観てほしい。

 

 

 

また、演説している氏の後方や斜め後ろにも候補者やSP(らしき人)たちが、立ち並んでいるのに、その人たちはまったくの無傷で、氏「だけに」にピンポイントで弾丸が命中したというのも物理的にあり得ず、不可解すぎる。氏よりももっと近距離から、まともに「煙」を浴びている人も複数人いるのだ。それなのに、その人たちが無傷って・・・。

※奈良市の仲川市長も、氏の「ほぼ真後ろ」に立っていたそうだ。

 よ・く・ぞ・ご・無・事で、という話である。

 

それと、「狙撃されて重傷を負った人間」にAEDを施すという処置の不適正さ。

いわば「処置してますよ感」をアピールしているだけ。

 

※AEDを施されている氏。67歳にしては肌も体型もきれいすぎて不自然という指摘もある。おれもそう思う。

 

この周りにいる人(特にオレンジのTシャツの人たち)がどういう立場の人かは知らないが、いうまでもなくAEDは「徐細動器」だ。心室細動を起こしたときなどに、その細動(痙攣)を除去するための装置である。細動を起こした状態の心臓にいくら心臓マッサージを施しても無効なので、まず細動を除去することが必要となるのだ。

 

そのAEDを「狙撃された人間」に施すなんて! 細動ではなく「止まりかけている」心臓に施してもまったくの無意味。

仮に、そのときに知識のある医療関係者がそばにいなかったとしても、少なくとも警察関係者はいたわけでしょう? SPもいたんだよね?

その関係者がそろいもそろってAEDのことを知らなかったのか?

「ズブの素人」が要人の上半身をはだけて、徐細動器を取りつける愚行を、「関係者」たちは黙って見ていたわけなのか?

 

・・・・・・というように、あえて「疑い」の眼で見ようとしなくても、不自然すぎることでいっぱいなのだ。

 

そこでおれはこう解釈したのだ。

 

これは現代版 『死亡遊戯』(主演:アベーシ・ゾー) なのだと。

 

演説台に立っていたのが「本人」なのか「替え玉」なのかは判らないが、少なくとも「あの時に・本人が・狙撃された」とは考え難い。

 

 

 

余談だが、ブルース・リーは、ハリウッドを支配する鹿婆褸の意向に逆らったので抹殺されたという単純なストーリーが、いまこそ納得できると思うのだが、どうだろう? 念願のハリウッド進出第一作である『燃えよドラゴン』は、「少林寺の掟」や「武道哲学のシーン」がカットされた版ならば、単に「私怨と、白人の指令によって中国人を殺す中国人」の物語になってしまっているのだ。

 

さてさてさてさて・・・。

 

東京都の「感染者」、増えてきてますね~~。

笑ってしまうくらい、増えていると報道している。

(笑ってしまう、は「増えている」ではなく、「報道している」にかかる)

 

「コロナ感染警戒度最高」だって!

 

やはり、まだまだ惑沈を接種させたいのかな~。

 

© Reuters/Kim Kyung Hoon

 

そもそも、この「感染者数」なる数字が単なる恣意的な「でっち上げ」ではないという保証などまったくないのだが、できるだけ良い方向に(善意に)解釈して、この「数字」になんらかの根拠(本当にPCR検査をした結果とか)があるとしても、相変わらず陽性者を「感染者」と言いくるめる欺瞞をつづけているし、大多数はその欺瞞に気づいていない。

 

しかし問題は、陽性だからそれがなんなのだ、ということなのだ。

 

ところで夏風邪はどうしてひくのか、という話がある。

 

寒い冬には風邪をひきやすい。そこから風邪とは冬にひくもの、というイメージすらある。

ならば、風邪の原因となるウイルス(以下「風邪ウイルス」と呼ぶ)は、渡り鳥のように冬になると日本に飛来して、暑い季節になると日本から飛び去ってしまうのだろうか?

 

そんなことはない。なぜなら夏でも風邪をひくからだ。冬よりひきにくいというだけである。

 

それならば風邪ウイルスは夏のあいだ、どこにいるのか?

 

一般に気温や湿度が高く、したがって体温も高く保たれており、免疫力が維持されている状態では、風邪をひきにくい。だが、不摂生をしたり、寝冷えなどでおなかを冷やしたりして「免疫力」が下がると、夏でも風邪をひいてしまう。そのとき、風邪ウイルスはどこにいたのか?

 

遠くから虎視眈々とようす(体調)窺い、免疫力が下がった途端、「今だ!」とばかりにウイルスが襲いかかってくるのだろうか?

 

そんなはずはない。

 

夏でも風邪ウイルスはちゃんと周囲に存在しているそこかしこ、もしかしたら肌にも髪にも爪にも喉粘膜にも存在・付着しているウイルスは、免疫力が維持されていれば、「常在菌」というか「日和見菌」みたいなもので実害はない(だが、このときにPCR検査をすれば「陽性」となるはず)

 

その常在菌が牙を剥くのは、体力・免疫力が落ちたときで、つまりは、原因はウイルスにあるのではなく、身体のほうにあるのである。

(これは夏でも冬でも、ウイルスの存在や、発症のメカニズムは共通だ)

 

いま、またぞろ、「感染者(陽性者)が増えている」と騒いでいるが、そんな常在菌みたいな害のうっすいウイルスが「いる」ことに、何の問題があるというのか? あえてPCR検査をすれば、「あなたも陽性、私も陽性、あの人も陽性」となるような状況で、感染防止対策をする(強化する)意味があるとでも言うのだろうか?

 

繰り返す。陽性だから、それがなんなのだ、と。

(今のおれが陽性認定だというわけではない。そもそも検査していないし。元気だし。でも検査をすれば陽性になってもおかしくはない)

 

「感染者扱いされているのは、単にPCR検査陽性者にすぎない」

 

「PCR検査陽性者がいくら増えたところで、発症者や重症者が増えなければ大騒ぎする必要はない」

 

この言葉に一見納得してくれたように見える者であっても、「感染者拡大」の報道にあいかわらず恐怖する。

恐怖のあまり、感染防止効果「ゼロ」のマスクを死に物狂いで着用し、惑沈をもう1回追加で接種しようと考え、そうしようとしない者たちを妖鬼となって憎悪する。

 

もう、そのように「馴致」されてしまったのだ。条件反射だ。パブロフの犬だ。

 

「感染者拡大」という言葉の「鍵」

「心の鍵穴」に差し込まれると、

「恐怖心の蓋」がパチリとひらく。