便宜的にせよ、人間を特定のタイプに分ける「分類法」はさまざまあるが、そのなかでも代表的なもののひとつが「理系」と「文系」に分ける方法だ。
じつのところ、おれ自身、自分が「文系」なのか「理系」なのかよく判らない。
なんとなく、思考と嗜好は「理系」のような気がしないでもないのだが、卒業した大学は「文系学部」だし、化学式や数式で高度な「会話」もできない。そういった意味では「文系」なのだろうが、だからといって「古典」や「詩歌」に造詣が深いわけでもない。
残念ながら、「文系・理系以前」と評価したほうが近いのだろう・・・。
・・・さて、気を取り直して今回取り上げるのは、喜多喜久著、
『化学探偵Mr.キュリー』
と、
『化学探偵Mr.キュリー2』だ!
実のところ、今年に入って「推理小説」を立てつづけに読んでいる。
年越しで東野圭吾の『マスカレード・イブ』を読んだのを皮切りに(もちろんその前は『マスカレード・ホテル』も)、ベストセラーになっていることも知らずに深水黎一郎の『最後のトリック』を読み、さらには数年ぶりに乾くるみの『塔の断章』を再読した。
そのいずれも、ちょっと踏みこんでレビューを書こうとすると、途端にネタバレになりそうなトリッキーな作品ばかりなので、このブログではあえて触れずにいた。
今回の『化学探偵・・・』がトリッキーではない、というわけではないのだが、少なくとも「触れればバレん」ばかりにトラップが張り巡らされ、油断も隙もあったものじゃない、と思わせるような作風ではない。
むしろコメディタッチのライトノベル風の設定と描写で、事件が起こり、謎が発生し、騒ぎはしゃぎ張り切るヒロインが登場し、読者を探偵役の「理学部化学科准教授」の元へと導いていく。
そしてお決まりのように、「理系ばりばり」の「化学探偵」は「変わり者」「変人」として扱われる。
だいたい、推理小説・ドラマなどの探偵役が「変わり者」じゃないほうが珍しい。
そして、探偵役をこなすには概して「(自然)科学的造詣」は不可欠といえる。
シャーロック・ホームズの化学的知識が抜群だったことは有名だし、学究を生業にしているかどうかはともかく、探偵といえば科学に精通している場合がほとんどである。
(TVドラマ『ハードナッツ!~数学girlの恋する事件簿』の難波くるみのように特異な数学的知識を活かして推理するバリエーションもある)
本書『化学探偵Mr.キュリー』にはまさに「本職の化学者」が登場し、そして「変わり者」として遇される。
だが、おれの読後感では、Mr.キュリーこと沖野春彦准教授は、それほど「変人」というわけではない。
たしかに人づきあいは苦手そうだし、マイペースなところはあるが、しかし、会った人間を驚かせるような奇矯な振る舞いもしないし、周囲の人間を振りまわすような行動もしない。謎を大げさに面白がりもしないし、自分が納得しないかぎり梃子でも動かない、というわけでもない。
TV版の湯川学(『ガリレオ』シリーズ)のように、いきなり壁に化学式を書きだしたりもしないのだ。(ただし、東野圭吾の原作小説にはそんな場面はない)
「変わり者扱い」されるのはあくまで作品中であり、他の登場人物がMr.キュリーを評して「あの人は変わり者だから」と噂しているにすぎない。
読者から(公平に)見れば、沖野春彦はまっとうで、常識も踏まえ、人格的にもバランスがとれている。周囲からも好かれ、慕われている。(だたし、ある得意体質であることはたしか。肉体的に)。
むしろ!
沖野を取り巻く、他の人物のほうがよほど「変人」だ。
著者の喜多喜久が「変わり者の化学探偵」を描こうとして失敗しているのでなければ(そうじゃないと思うが)、逆に「彼は変わり者だ、と言っているほうが変わり者」であるという皮肉、もしくはギャグなのだろう。
ここまで言っていることと矛盾するようだが、だからといってMr.キュリーの「キャラ」が弱いということではない。
やはり見どころは、その一刀両断ぶりだ。
「化学素人」からすると「謎」に思える現象も、「プロ」の手にかかればたちまち「正体」を暴かれる。ホメオパシー、人体発火、人魂、などなどに関する「不思議」「謎」「誤解」が解かれていく。
そのカタルシス。
もちろん、手がかりをひと目みただけで一瞬にして謎も犯人も解明されるというわけではないが、少なくとも「突破口」は早々に開けられる。これが、悩み、惑い、混乱している被害者・依頼人にとっては大いなる「救い」となるのだ。
本書の広告にも選択されているエピソードなので恐縮だが、『2』のほうでは「青酸カリ」についての「ある誤解」を順序だてて正してくれる。(「第三話 化学探偵と疑惑の記憶」)そのおかげで、長年罪悪感に苦しんでいた人物が救済されることになる。
この「誤解」はじつに根強く、多くの小説・ドラマにも当然の顔をして登場する。ご多分に漏れず、以前はおれもそうなのだと思っていた。一般レベルではそれを否定する理由がないからだ。
だが違った。
余談だが、おれの場合、その誤解を正してくれたのは呉智英。
なつかしき『言葉につける薬』では、少々化学的な薀蓄にも触れながら、主に言葉の意味を基に、誤解に至った理由まで解き明かしてくれる。(「巴旦杏、香ばしいか酸っぱいか」)
話が逸れたが、話をもどさずにさらに逸れる。
「文系」「理系」にまつわる「誤解」を一刀両断にする秀逸な表現が、先ほど挙げた乾くるみ著『塔の断章』に記されている。本題の『Mr.キュリー』ではなく、『塔の断章』の一部を引用してみる。引用するといっても、登場人物のセリフの一部でもあり、ネタバレからはかけ離れた箇所である。
<「(前略)専門も何も、元々そういった学問の分野の仕切り(略)っていうのは、そもそもは教える側が便宜上、設けたものに過ぎないわけで、確かに学校教育の場においては、それらはパッケージ化されて個別に、先生から生徒へと受け渡されている。だけどそれを、受け取った側がそのまま、パッケージングされた状態で、自分の頭の中に別々に収めてたんじゃ、何の役にも立たないってわけだ。(後略)」>
・・・・・・・・・
さて、電車内に関する観察・洞察・愚見・箴言を、今回から200字以内という制限を設けて記してみる! さてさてさて・・・。
電車内で立っている姿勢の「やさぐれ」度は、座りたいという欲望の度合いに比例するような気がする。座りたいと強く願っている人が必ずしも崩れた姿勢で立つわけではないが、崩れた姿勢で立っているひとは座りたいという欲求が強いようだ。座れてあたりまえ。座れないなんて許せない。だからその不満を全身で表現。身体も弱いのだろう。少なくとも脊柱起立筋が強いとは考えられない。
って・・・なぜこんな見解を記すかって?
Mr.キュリーこと沖野春彦は、どうやら筋力は弱そうだからだ。
ただし、沖野春彦の立っている姿勢が崩れている、という描写はない。
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