不快速特急「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

不快速特急「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

旧タイトルは「不快速通勤」。読書の大半が通勤の電車内だった時期に開設しました。退職後、通勤電車から解放され、読書の時間が増えた点は喜ばしいのですが、私を含め日本人の多くは、無駄に急かされた「特急電車の乗客」です。不快との闘いは続きます。

源氏鶏太(げんじ・けいた)〈1912(明治45)-1985(昭和50)年〉は富山生まれ。

 

富山商業を卒業すると、大阪の住友合資会社に入社、会計課に勤務した。昭和九年「報知新聞」のユーモア小説募集に応募、一席入選し、翌十年には「サンデー毎日」大衆文芸欄に応募し佳作入選。このときから源氏鶏太の筆名を用いた。戦後は住友系の不動産会社の総務部次長として東京に赴任。三十一年まで二十五年間にわたってサラリーマン生活をつづけながらユーモア小説を書いた。材をサラリーマンの会社生活や家庭生活にとり、明るいユーモアのそこに人生の哀感を巧みに表わして読者の支持を得た。

 

 

そう。源氏鶏太といえばサラリーマン小説である。

 

 

おれが夢中になった森村誠一も、その作品の主人公の多くは会社勤めで、いわばサラリーマンの暗部を描いた作品が多い。源氏鶏太はそれより一世代前のサラリーマンを明るく描いたというイメージである。

 

しかし、怪談や怪奇小説のイメージはあまりなかった。

その執筆理由は本書の紹介文にある。

 

昭和五十年頃から、妖怪変化の世界を好んでとりあげるようになった。「人間の心の奥に棲んでいる悪魔を無視できない年齢になったからだ」という。(P578)

 

 

本篇「みだらな儀式」は1978年(昭和53年)の「小説現代」に記載されたもの。

 

 

物語は、東京のS機械という会社の取締役総務部長である「今田」が、帰省のため、生まれ故郷である北陸のT市にむかっている列車内から始まる。

 

 

本篇発表時に作者は六十六歳であり、六十歳の今田よりやや年長だが、北陸出身で現在は東京の会社に勤めているという点は作者と重なる。

 

 

三年前に妻に先立たれ、二人の子供はそれぞれ結婚して独立しているという設定が作者と重なるかは未確認だ。まあ、重なっている必要はないのだが。

 

帰省の主な目的は、小学校以来の友人である西山の病気見舞のためである。

西山が癌であることを、西山の細君から知らされたのだ。

 

 

T市まであと一時間ほどというところで、今田は五十代半ばと思われる婦人から声をかけられる。

 

 

面長の美しい女であった、鼻筋が通っていて、唇許(くちもと)がしまっていた。その切れ長の眼が何んとなく笑いかけて、ためらっていた。勿論、今田の見知らぬ婦人であった。にもかかわず今田は、咄嗟に、

「和久ひで、さんでしょう。」

 と、いっていた。

「まッ。」

 婦人は信じられぬようにいって、

「あたしをおぼえてくださったんですか。」(P580)

 

 

見知らぬ婦人だと思っていながら、咄嗟に名前が出てきたことがポイントである。

 

 

その婦人は、「当時としては珍しかった男女共学のクラス」で、小学校の六年間同じクラスですごした初恋の相手だった。ひでのほうでも今田のことを好いてくれていたと今田は思っていた。

同じクラスだったということは、もちろん、ひでも今田と同じ六十歳なのだ、ふたりはお互い実年齢より若く見えるといって褒め合った。

 

とにかく今田は、ひでの現在の容貌に喜びを感じていた。

 

 

 すこし大袈裟にいえば、ひでは、今田が夢に描いた通りの女になっていた。(P381)

 

 

ひでとは小学校学校卒業以来、四十八年ぶりの再会である。

その間、一度も会っていなかった。

 

ただ、ひでに関する「否定的な噂」を、ときおり西山から聞いていた。

 

とんでもない男と結婚して苦労していることをふくめ、西山にとってひでは「ろくでもない女」という評価だった。

 

 

となりに腰かけさせて会話をするうち、ひでの夫はすでに亡くなっていること、いまは娘と孫の三人で「せいせいして」暮らしていることなどが判明する。

 

ひでは、T市の滞在日数や、ホテルの名前などを確認したあと、なんと、聞いてほしい話があるのでホテルに伺ってよいか、と尋ねてくる。

 

 

今田は、そんな不自然すぎる誘いを、なぜか了承してしまうのだが、その夜ホテルで独り夕食を済ませた今田を、三十歳前後の「ひでそっくりの」女が迎えにくる。ひでの娘であることは一目瞭然だった。

 

 

あのひでは、三十歳の前後にはこのような顔をしていたに違いないと思われた。そうなると今田には、

(どうせ会うんならひでがこの年頃のときに会いたかった)

 と、思いたくなってくるのは、勿論欲張り過ぎた妄想の一種であったろう。(P585)

 

 

ひでの娘はなんと「ヒデ」といい、長年母から今田の噂を聞かされていたという。

 

 

タクシーを待たせていたヒデは、自分たちが経営している千倉町の飲み屋「ブータ」に今田を連れていくが、そこには十歳ぐらいの孫の「秀」がいて、その子は子供のころのひでとそっくりだった。

 

 

ヒデは、ひでが強姦されてできた子であり、ひでは暴行を受けているあいだ、ずっと今田のことを想っていたという。

 

 

だから、生まれたヒデは今田の娘であるという謎理論を口にし、「ヒデに自分が父親であることの証(あかし)をしめしてやって下さい。」(P591)と、とんでもないことを懇願してくる。

 

 

ひではそれを「親子の契り」と云うが、それはヒデを抱くことだった。

 

 

もちろん今田は断ろうとしたが、「ひでの眼の奥の妖気」に圧され、初恋の女の三十歳の姿(面影)の美しさに魅入られたかのように、「ヒデの軀の中でおぼれて」(P592)しまう。

 

 

ブータに行った翌日、病院に西山を見舞いに行くと、すでに死相をうかべている友人が、今田がなにも言わないうちから「ブータ」という言葉を口にする。つづいて、西山から、ブータというのがサンスクリット語で「亡霊」を意味することや、いまはもう無くなっているが千倉町にそのような名前の店があったことを教えてれる。

 

 

そして、その店では、ひでが娘に売春をさせており、警察の手入れがあったのち、ふたりは二年前から行方不明になっているということだった。

 

 

ふたりが生きているか死んでいるかは不明である、と西山は言う。だが、今田が列車内で会ったときから、ひではすでに亡霊だったということであり、そしてヒデも秀も同様に・・・。

 

そもそも「ヒデ」や「秀」という名前は本当なのか(西山は「ヒデ」という名前は口にしていない)。さらには「秀」という孫は存在する(した)のか。

 

 

今田は西山の忠告にしたがい、予定を早めてその日のうちに東京へ帰ることにするのだが、「想い」と「後悔」を残して北陸を去ろうとしている帰りの列車に、またしてもひでの亡霊が現れて・・・。

 

 

この怪異話に、あえて艶っぽい題名をつけた作者のセンスに脱帽する。

 

 

 

さて、『現代怪談集成』に収録されている短編についてのレビューは、今回が最終回である。

 

 

5月初より、結果として文字数の多いレビューを連日投稿してきたが、読むほうも大変だと思う。

でも毎回毎回、手抜きをせずにまとめたつもりなので、お時間のあるときにでも、さかのぼって読んでいただければ幸いです。

 

 

 

それにしても、今回のレビューを通じて、「これから読みたい作家」が増えすぎて、ほとほと困った。