不快速特急「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

不快速特急「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

旧タイトルは「不快速通勤」。読書の大半が通勤の電車内だった時期に開設しました。退職後、通勤電車から解放され、読書の時間が増えた点は喜ばしいのですが、私を含め日本人の多くは、無駄に急かされた「特急電車の乗客」です。不快との闘いは続きます。

 

角田喜久雄(つのだ・きくお)〈1906(明治39)-1994(平成6)年〉は、横須賀生まれだが、東京三谷に移って三十年をすごした浅草っ子である。1922年(大正11年)、東京府立三中在学中に処女作を発表。1926年(大正15年)に「サンデー毎日」の第一回大衆文芸募集に「発狂」が入選。伝奇小説家、戦後は推理小説家として活躍した。

 

 

本篇「沼垂の女」は1954年(昭和29年)の「別冊宝石」江戸川乱歩還暦記念号に発表されたもの。

 

 

「沼垂」は地名で「ぬったり」と読む。

 

初めは架空の地名かとも思ったが、新潟市中央区に実在する地域であり、全国にある難読地名のひとつである。1914年(大正4年)の新潟市への編入前は、新潟市に隣接する沼垂町として存在していた。『日本書紀』にある「渟足柵(ぬたりき)」が地名の発祥とも言われる、古い歴史のある地域である。

 

 

にもかかわらず、本篇で描かれる沼垂のイメージは最悪だ。

 

 

道楽としての旅行がなにより好きで、北は樺太(というのが時代を反映している)から南は九州まで一人で旅をし、「どんなところでも、一度旅をして歩いて来たところは、奇妙なくらい懐かしい想い出となってよみがえって来て、折があったら、そこへもう一度行って見たいと思う癖」のある「私」(=作者)が、沼垂だけには「決して二度と行くまいと思っている」(P341)ほどに忌み嫌っている。

 

 

おれが「架空の地名」ではないかと思ったのは、作中でのあまりの貶めようが理由であり、作者の実体験なのかどうかは不明だが、沼垂の住人や沼垂関係者の方々には、おれが代わってお詫び申し上げる。

 

 

時は昭和二十年、終戦の年の十二月。

発端は、新潟県の阿賀野川河口に近い××村(こちらは伏字だ)に疎開していた友人から誘いを受けた「私」は、土産にもらえる米にも惹かれて、遊びに行くことにする。

 

 

 

××村は阿賀野川河口に近いということなので、沼垂よりさらに東側にあると考えられる。

 

 

沼垂で起こる出来事のまえに、「私」は電車の殺人的な混雑の洗礼を受ける。

 

 

新潟行きの最終列車に乗るために上野駅に着いた「私」は、改札口まえからなんとアメヤ街のあたりまで、長蛇の列を成して延々とあふれている乗客の列に仰天する。

 

 

客車一輌に幾人のれるとして、これだけの人数を運ぶには何輌連結しなければならないかと計算して手で来た数字のあまりの膨大さに、すっかり絶望してしまった(P342)

 

 

改札が始まり、改札口を入った途端、殺気だった膨大な数の乗客たちが列車に殺到する。

 

 

改札口をくぐるや、あとは、わあッと喚声をあげながら、列車めがけてわれがちの駆け足であった。(P342)

 

 

伊丹十三のエッセイなどを読んでもわかるが、半世紀前には航空機さえも自由席で、「指定席」とか「予約席」という概念は一般に存在しなかったと言ってもよい。

 

 

なんとか列車に乗りこんだ「私」を待っていたのは、まさに殺人的な混雑ぶりだ。

 

 

汽車が出てみると、もう押しも引くもできなかった。手をあげたらあげたなり、足を曲げたら曲げたなり、身体をねじったらねじったなり、ある運命の瞬間を石膏でかためてほしてでもしまったように、もはや、自分の意志の力では、指一本動かせないというありさまであった。(P343)

 

 

もともとブログの題名にするほど、混み合った電車の不快感に過敏なおれにとって、この客車内の状況は凄まじいのひと言だ。まさに地獄と言ってもよい。

 

 

だが「私」は、そんな地獄で「仏」に遭った。

 

「身体をSの字なりにへし曲げられたまま」立っている「私」にもたれかかって立っていた黒いもんぺの女は、上野駅で列んでいるときにも、「私」を無意味にじっと見つめていた二十七、八の女だった。

 

 

互いに密着状態の車内において、「私」はその女の美しい容貌を眼と鼻の先の至近距離で眺めているうち、不快感や身体の痛みすら、いつのまにか気にならなくなっていく。

 

 

翌朝、「私」は新潟駅のひとつ手前の「沼垂駅」で下車する。

現在、沼垂駅は廃駅となっているが、当時は北越鉄道(現・信越本線)の新潟駅の隣の駅だった。

 

 

沼垂駅から××村までは歩いて二時間。

 

 

しかしあいにくの雨だった。十二月の北国の冷たい氷雨のなかを二時間も歩くのは、ちと辛い。

行きあぐねている「私」に声をかけてきたのは、またしてもあの黒いもんぺの美人だった。女は澄んで美しい声の持ち主でもあった。

 

 

結局「私」は、その女の誘いに甘えて、女の家で雨宿りをすることにする。

だが、家に着くまでに見た沼垂の景観も、あまり良いようには描かれていない。

 

 

歩きながら見た沼垂の町は、まるで北海道の北のはての、小さな新開地でも見るように、うすぎたない古ぼけた家や、新しいと思えば薄っぺらなバラック建が、秩序もなくごみごみたっているうすら寒い町であった。(P345)

 

 

ようやく着いた女の家も、もとはガレージにでも使っていたような、窓もない殺風景な家屋で、そこには女の母と思われる老婆がいた。だがふたりは「ただいま」「おかえり」の挨拶すらも交わさない。

女が「私」に「どうぞ」と言って招き入れただけで、そのあと女と老婆は、互いに口もきかずにいた。

 

 

いたたまれない気持ちになっていく「私」に、女が唐突に身の上話を始める。

 

 

女の夫は戦犯であり、アメリカ人捕虜を拷問にかけて殺害した罪で、先月絞首刑になったのだという。

そして女のほうもMPからの取調べを受け、報復のような拷問を受けたらしい。

 

 

「私」は、一刻も早くこの家から逃げ出したくなり、まだ上がらぬ氷雨のなかを歩いて××村にむかったのだが、女や老婆に教えてもらった道順がデタラメで、必要以上の遠回りを強いられた。

 

 

ほうほうの体で友人宅に着いてから、雨宿りした家で聞いた出来事を友人に話す。

 

 

ところが友人によると、その家の夫は戦犯どころか名誉の戦死を遂げた「軍神」で、未亡人は「軍神の妻」として表彰までされたという。MPから報復を受けたということなどあり得ない。

 

 

前回の「キキモラ」は人間が妖怪をだます話だったが、本篇は人間が人間をだます話であり、なぜそんな嘘をついてだますのか、という奥にある動機は瞭らかにされない。

 

 

「私」をだましたからといって、老婆も女も、とくに得るものはないのである。

肥大したゼロサム思考によって、他人の不幸(不快)が即、自分の快楽(幸福)となる場合以外に。

 

 

ただ、戦犯の家族という不名誉ではなく、軍神の家族という名誉こそが、女と老婆の精神を損ない、身と心を保ち崩す要因となったことは確かなようだ。そこに、人間という存在の「業」の闇深さを感じさせる。

 

 

 

文庫本ではないが、「沼垂の女」所収。

 

 

 

「沼垂の女」所収の文庫本。江戸川乱歩をめぐる短編を集めた日下三蔵編集のアンソロジー。

「沼垂の女」の冒頭で、江戸川乱歩夫妻との旅行のことが枕的に触れられている。

 

 

鮎川哲也編集の「鉄道ミステリー傑作選」。まさにおれが取り上げた汽車にまつわるシーンによって選ばれたのであろう。