第82回 西森マリー『帰ってきたトランプ大統領 ~アメリカに“建国の正義”が戻る日』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

前回のブログで、自己増殖型レプリコン惑沈と、それを開発した明治製菓ファルマのことを批判する言葉を述べたのだが、それからすぐに、10月1日に開始予定だったレプリコン惑沈の接種が「延期」されたという情報を得た。

mRNAレプリコン惑沈は、接種者本人の被害はもちろん、接種者からのシェディングの影響が従来の惑沈とは桁違いになるという推測だったので、もしそれが事実になったら、日本人の身体は、全体として大きく損なわれる惧れがあった。

志ある者たちがいくら危険だと警鐘を鳴らしても、まったくの馬耳東風で、打ってしまうひとは打ってしまうのだろうし、たとえ打つひとが少数であっても、(シェディングの理論が正しければ)周囲への悪影響は甚大になり、その影響は無制限に拡大していくことになる。


おれも、どうしてくれようかな、と憂慮していた。


しかし、一方で、日本人をそこまで徹底的に破滅させるような「動き」にはなるはずがない、とも思っていた。日本人を(眼醒めている者もふくめて)根絶やしにしたいと希求している勢力は存在するだろうが、その勢力の影響力は、もはやそれほど強くはない(逆に言うと、日本人をギリギリのところで救おうとしている勢力のほうが強い)はずだ・・・、というのがおれの見立てだった。


その答えが「延期」だった

 

というわけだ。



延期によって、とりあえず破滅を喰い止めている間に、事態がさらに好転するという希望がある(つまりは永久的な中止)。


いまや、日本国民の認識は3重構造。



眼醒めていないシープルは、警鐘も馬耳東風で惑沈を接種。



眼醒めている者は惑沈の危険性を理解できるのでみずからは非接種を貫くが、さらに、周囲に警鐘を鳴らす人、接種を押し止めようと実際に行動する人たちがある程度以上いることで、国民を取り巻く「ストーリー」が変わってくる。


今回の「延期」も、非接種を貫いている人が一定数存在していることに加え、周囲に警鐘を鳴らした人、接種を押し止めようと実際に行動した人たちのお蔭だと思っている。

そうやって騙されず、騒ぎ立て、抵抗・抗議する人がいなければ、「日本人はシープルばっかりだからさっさと接種(とさつ)してしまえ」というおそろしい流れになっていたはずだ。


現在はまだ戦時下である。今後「ストーリー」が好転し、いずれ遠くない将来に平和な世の中が訪れるとしても、シープルのままですごしていれば、その平和が訪れる前に「戦死」してしまうかもしれない。


せめて「致命傷」を負わずにサーヴァイヴするためには、アンテナを張り、「裏」の動きを読み、「悪意」と「毒」から心身を守っていかねばならない・・・。


さて。


今回取り上げるのは、前回と同じ西森マリー著、副島隆彦監修による

『帰ってきたトランプ大統領 ~アメリカに“建国の正義”が戻る日』

だ。


前回取り上げた『ドナルド・トランプはなぜ大統領になれたのか?』とは内容が地続きになっていると申し上げたが、まさに両著とも、あまりにも酷い現状のなかで、多くのアメリカ人がトランプの当選(今回は再選)を願っているという表面的な事象は共通している。


併せて8年前であっても、「アメリカ軍部の有志たち」によってトランプがリクルートされているという裏事情があったわけなので、「真相の構造」は変わっていない。


だが、8年前とはあきらかに「流れ」が違っている。


一期目のとりあえずの目的が惨状からアメリカを「救う」ことだったとすれば、今回は未だ眼醒めていないひと(ノーミー)を眼醒めさせるとともに、Deep・S、鹿婆褸を解体することを目指しているのだ。



無知で無力な大衆を救うだけでは、将来、新たな「敵」が出現したとき、また同じ惨状に陥ってしまう。だからこそ、大衆に「眼醒めて」もらうことが必要だ。

2020年の不正選挙をわざと見逃して(同時に不正の証拠もすべてつかみ)、偽バイデンに政権を譲ったふりをして、やりたい放題に、愚策の限りを展開させた。

トランプ政権でいったん「まとも」な状況を味わっていたがゆえ、アメリカ国民はトランプ政権とバイデン政権とのはなはだしい落差を「肌身をもって痛感することにな」ったのだ。

 

これは、濃度の違う10個のサングラスを、薄い色のものから濃い色のものへと徐々に掛け替えていった場合には濃度の差が気にならないのに対し、一番薄いものから一番濃いものに一気に掛け替えた場合は濃度の差がはっきり分かるのと同じです。(P-70)

 

著者の言葉を使えば、未だ眼醒めていないひとは、「臨死体験」を経て初めて、鹿婆褸のおぞましさを骨身に染みて理解し、真実を知ることができるのである。


現在まさに、その「作戦」が進行中というわけである。

2017年発刊の『・・・なれたのか?』の時点では登場してしない有害事象が、本書では多数登場している。


デジタル通貨、「15分都市計画」、パンデミック、惑沈、過剰なウクライナ援助、昆虫食、過剰なLGBTQ洗脳教育・・・。


むろん、『・・・なれたのか?』のなかでも言及していた、言論統制、不法移民優遇政策、過剰環境保護、銃規制、白人差別教育などもバイデン政権となってぶり返し、さらに規模を増大させている。


本書のなかでも、「眼醒め」の度合いによる「3重構造」が、なにかにつけて表現されている。

 

 2023年12月には、“トランプ大統領が仕組んだ目覚まし作戦”としか思えないような出来事が続出しました。シープルが唖然とし、目覚めかけた人々が激怒し、すでに目覚めた人々が大爆笑した出来事を、いくつかおさらいしておきましょう。


 12月2日、地球温暖化防止のためにアラブ首長国連邦のドバイで行われた国連の気候変動サミット(気候変動枠組条約締結国会議)に行く予定のプライヴェート・ジェットが、寒波で大雪に見舞われたドイツの空港で雪に埋もれて地面に凍り付き、動けなくなっていた。(P-54-55)

 

温暖化防止のための会議にむかっている途中で大雪に見舞われるという皮肉。

 

さらには(著者も批難しているように)、

 

気候変動サミットにプライヴェート・ジェットで行くなよ!

 

ということである。


かように、環境保護に関わる事例だけでも半ダースを超える「マヌケ」が挙げられているが、ページをさかのぼると、環境保護の観点から開発された「電気自動車」がらみのニュースも紹介されている。

 

 2022年9月、石炭の産地として知られるウェスト・ヴァージニア州のタッカー・カウンティで、バッテリーが切れて動かなくなった電気自動車を5人の炭鉱夫が押している映像がローカル・ニュースで話題になりました。
 ワシントンDCから来たツーリストが乗った電気自動車が、バッテリーが切れて立ち往生し、援助を求める電話をかけたものの、車体がプラスチックで牽引車が使えなかったため、近くの炭鉱で働いていた5人の炭鉱夫が炭鉱会社まで車を押していき、そこで充電した、ということなのです。
 動かなくなった電気自動車を、環境保護派が敵視している炭鉱夫が押す、というアイロニーは、保守派の間で大ウケして、(中略)大きな話題になりました。(P-48)

 

 

バイデンの愚策と、それによって多くの人が眼醒めたという事例のオンパレード。

愚かさのパターンには限りがないという言葉そのままに、次から次へと「まさか」と疑うほどの愚策・失策が繰りだされる。

これも「作戦」の一環なのだが、といっても、例えばトランプ陣営が特定の電気自動車のバッテリーを切って立ち往生させるよう工作した、ということではない。そうではなく、バイデン政権にやりたい放題をやらせ、バイデン側がみずから墓穴を掘るように仕向ける、というのが作戦なのだ。もちろん、墓穴を掘るように、的確に布石を打った上で。

本書には「ウォウク」という概念も登場する。

 

これは、『・・・なれたのか?』刊行の当時は、表に出てきていなかったものだが、オバマ政権で美徳とされたPC(ポリティカル・コレクトネス)をさらに過激にした概念で、バイデン政権で最大の美徳として奉られるようになった。
 

CIAの宣伝塔、ウィキペディアの日本語版は、ウォウクwokeを、こう定義しています。「目覚めた/悟った」を意味する「wake」の過去形からきた黒人英語(AAVE)に由来する。「人種的偏見と差別に対する警告」を意味する英語の形容詞。

 

だが実態は、「『アメリカはキリスト教の白人が他者を差別・酷使して建国した差別的な国である、という事実に目覚めた』という意味で使われてい」(P-69)る。


オバマ政権以前からあった、リベラル派 VS 保守派の対立構造に、極リベラルともいうべきウォウクが加わったという図式だが、このウォウクの(認識違いで自虐史観的な)過激思想は、保守派は言うに及ばず、リベラル派の眉をも顰ませているのである。
※リベラル派は、差別反対という大義名分をもとに黒人やヒスパニックの犯罪者すらを過剰に保護しようとしているのだから、すでにウォウクの白人否定の思想を内包していたともいえる。


鹿婆褸からすると、自分たちの理想とするワンワールドを実現するためには、伝統を破壊し、家族を壊し、正常な性差を否定し、といった精神・文化的な破壊活動をどんどん過激にしていかなければ、なかなか功を奏しない。だが活動を過激化することは、現実として逆効果にしかならない。


私はウォウク(目覚めた者)だと勘違いしている輩の過激活動が、真の覚醒者を増やしてしまうという皮肉。


その他、次々に暴露されていくエリートたちのペドフィリア。


ウクライナ戦争の欺瞞。


さらには、ロスチャイルドの家宝がオークションにかけられ、同一族が所有していたマンハッタンの面積に匹敵するオーストラリアのハンティング場も売却されているという。

また、デンマークのマルグレーテ女王が、死去のまえに83歳で退位して、王座を息子に譲位している。

そういったことなどからも瞭らかなように、鹿婆褸たちも着実に追い詰められているのである。

 

 今まで何世紀にも渡って、偽旗作戦、ハニーポットと賄賂によるブラックメール、不正選挙をいう同じ手を繰り返し使って楽勝してきたカバールが、負け知らずだった故に潰しがきかず、トランプ大統領とホワイト・ハットに太刀打ちできないのです。(P-286)

 

本書ではもちろん、鹿婆褸側の悪辣・醜悪・愚昧エピソードだけではなく、トランプがいかに有能で、魅力的で、人望があり、情に篤いか、というエピソードもちりばめられている。


『・・・なれたのか?』でも紹介されているスケートリンク改修のエピソードは素晴らしく、著者と同様、おれにとってもお気に入りだ。

ただし、長くなるので引用はせず、要点を述べるだけに留めたい。

ニューヨークのセントラル・パークにあるスケートリンクは1949年に建設され、老朽化のため1980年に閉鎖された。
当時のNY市長は、900万ドルの費用をかけて2年で再建すると発表したが、1300万ドルと7年を費やしても再建されずにいた。
当時39歳だったトランプは、自分のオフィスビルから見た非効率な仕事ぶりに呆れかえり、市長と交渉して「300万ドル・6ヶ月で仕上げる」と約束し、実際は225万ドル・4ヶ月で完成させた。


この顛末を、トランプは選挙戦のスピーチで取り上げ、「その後、トランプ大統領の魅力の象徴となり、まだ目覚めていない人々をMAGA支持者が勧誘するときにたびたび引用されてい」(P-67-68)るということだ。


また、トランプはスピーチやトゥルース・ソーシャルで繰り返しこう言っているという。
 

「彼らが狙っているのは、僕じゃなくて、きみたちなんだ。僕は、ただ彼らを阻んでいるだけだ。(I just happen to be standing in the way.)」(P-217)

 

 

I just happen to be standing in the way.

 

直訳すれば、「僕はたまたま彼らと君たちとの間に立ち塞がっているだけだ」となる。

 

トランプ支持者たちは、この一言を聞く度に、(中略)ペルシャ軍の侵入を阻止したスパルタ王、レオニダスを思い浮かべ(中略)、身体を張ってカバールの攻撃から民衆を守ってくれるトランプ大統領に心から感謝しているのです。(P-217-218)

 

 

 

 

映画『300』のレオニダスをモチーフにしたトランプ大統領のイメージ。MAGA派の大のお気に入りだという。

※本書に掲載されている画と同一のもののほかに、異なるものも載せた。

 出典はこちら。

 




最後に、著者の言葉に同調して、本投稿を締める。

 

今年は、最後の悪あがきをするカバールの醜態を、じっくり見守っていきましょう!(P-287「あとがき」より)

 

おれが、「レプリコン接種ということにはならないはずだ」と思っていたことと、本書の内容とは相通じているのである。