夫婦関係を修復?

それとも離婚? 

 

あなた理想の幸せを今すぐ叶えよう! 

 

夫婦関係のお悩み解決専門家

武藤 ルミ子です

 

 

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(数年前の投稿を加筆修正して再投稿しました)

 

 

 

 

「わたしが父親にしてあげたかったこと」

 

 

 

その中のひとつに

 

「大人になってから、

もっと父親の話しを聞いてあげたかった」

 

がある。

 

 

 

 

 

 

なぜ父親と話さなかったのか?

 

 

 

それは

父親はアルコール依存症で

 

まともに話ができる時が

ごく少なかったから。

 

シラフの時間が少なかったから。

 

例え父親がシラフでも、

わたしはもう近寄りたくなかったから。

 

 

 

 

 

父親はわたしが20代後半の時、亡くなった。

 

 

父親が亡くなる前の一年間

たまたま、わたしは実家にいた。

 

結婚して家を出ていたが

離婚するかどうかの瀬戸際で

実家にいたのだった。

 

 

その時すでに父は

かなり具合いが悪かったのだと思う。

 

酔ってフラフラしているのが日常なので、

体調悪くても周りも本人でさえも

気づきにくい。

 

 

 

お酒どころか、ご飯さえも

受つけていないようにも見えた。

 

飲めない分、

シラフの時間が長くなった。

 

 

 

 

 

わたしは離婚の迷いと

事故でけがをしていたこともあり

心身ともにかなり弱っていた。

 

 

そんな状況だったせいか

父親と話してみたくなった。

 

 

 

父親はふと、身体の不調を吐いた。

 

病院に一緒に行こうと誘ったが

「うん」とは言わない。

 

 

長年のお酒がたたっている。

 

病院に行ったらたぶん、入院。

 

そうしたら退院できないかも

という恐怖だったのだと思う。

 

 

 

父親とぽつりぽつりと話した。

 

詳しくは覚えていないが

ひとつだけ記憶に残ているのは

 

「お前はなんというか、

どこか、人の気持ちがわかる子だ」

 

と父親が言ったこと。

 

 

 

 

 

父親に言われたその時は

涙しなかったが

思い出すと泣けてくる。

 

 

 

それは褒められたからとか

理解してもらったとか

わたしのことではなくて

 

 

それまで気持ちを

わかってもらえていなかった

父親の寂しさが現れた言葉だ

と感じたから。

 

 

 

 

 

 

長い間、

どんなにか寂しかったろう。

 

 

 

なんとなくはそう感じていたが

お酒を飲んで荒くなる父親に、

 

シラフになったからといって

優しい言葉などかけたくない。

 

 

酔った父親が怖かった。

 

酔った父親が恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

気が小さくて、非社交的で、短期で

私たち子供をかわいがってくれた。

 

 

 

 

 

その子供たちにそっぽを向かれて

 

寂しかったろうな。

 

どんな気持ちだったのだろう。

 

 

 

わかってほしかったのかな。

 

一緒にもっと遊びたかったのかな。

 

 

 

 

 

わたしには子どもがいないけど

めいっこに嫌われたらと思うだけで

絶望的になる。

 

 

 

父は寂しかったろうな。

 

 

 

 

でも、父親が生きていたころは

 

どう接して

どう理解して

どう話を聞いていいか

 

わからなかった。

 

 

 

 

 

自分はなんて無力なんだろう

 

自分は何も思いつかない

なんというバカなんだろう

 

自分はなんて親不孝なんだろう

 

 

 

父親が亡くなってから

ずっと自分を責め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで・・・

 

 

 

心にぽっかり穴が空いたような

寂しい人っているものだ。

 

 

 

その「ぽっかりを持った人」を

わたしは嗅覚で捕まえて

 

どうにかして、わたしが

その人の「ぽっかり」を埋めようと

必死に頑張った。

 

自分が倒れるまで頑張った。

 

 

 

 

それが

ひとりめのだんなさんと

ふたりめのだんなさんだ。

 

 

 

 

 

父親にできなかったこと

父親にしてあげたかったことを

その人たちを使って

したかったのかもしれない。

 

 

 

父親にしてあげられなかったから

チャンスを2回

もらったのかもしれない。

 

 

 

 

それは

他人の「ぽっかり」は、

 

わたしが無理やり

埋めるものでもないと

学習するためだった

のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま一緒にいるだんなさんは

 

「もし俺一人になっても

しっかり生きていけるから

ご心配なく」

と言う。

 

 

 

わたしもそう思う。

 

 

 

 

 

たぶん、やっと

もう「ぽっかり」を持っていない人を

キャッチできたのだと思う。

 

 

 

いっぱい泣いて、失敗して

辛い思いして、勉強して

やっと「ぽっかり君」探しを

卒業できた。

 

 

 

 

 

 

 

彼からは

 

コミュニケーションを取るとは

こういうことだ

 

って生活の中で

自然に、しかも何度も

教えてもらったと思う。

 

 

 

 

こんなことも

いちいち言葉に出すんだ!

 

こんな話しづらいことを

ちゃんと話そうとするんだ!

 

こんなにケンカしても

仲直りできるんだ!

 

 

 

ひとつずつ、今でもまだ

ひとつずつ

 

二人で手直ししながら

紆余曲折しながら

 

会話と行動とにらみ合いと

 

もうとにかく

いっぱいコミュニケーションしている。

 

 

 

きっとこれからもこうして

生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

わたし、こうして

父親と話を

したかったんだね。

 

 

 

 

 

 

 

父親に似て頑固だから

半世紀も

気付かなかった。

 

 

人の話しを聞くことを仕事に選んだのも

偶然ではないかも、

 

と思っている。

 

 

 

 

 

こんな私の経験が

 

誰かの心を軽くできたり

 

誰かの役に立てたら

 

嬉しいです。

 


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