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ぼくたち わたしたちの ドカンと
どかん大作戦展
日程 : 7/26(土)~8/3(日)
場所 : 番町市民活動センター フリースペース
時間 : センターの開館時間に準じます。
最終日のみ、撤収のため15:00終了とさせて頂きます。
入場無料
どかんデザインに用いた小学生の絵、イベント時の写真を展示します。
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ランチトーク最後の質問
「あなたにとって‘どかん‘とは?」
わたしにとっての「どかん」とは
乗り越えるべきもの、変えたいこと、でした。
実は、運動音痴で外遊びが苦手な子供でした。
どかんにのぼるなんて、怖くてできなかった。
でもある日、のぼってみたら、まるで景色が違う。
同じように、大人になって乗り越えたい、変えたいことがありました。
(疎遠になってしまった小学校の友達関係、内向的になりがちな産後の日常、自分として生きること)
作戦を通して、少なからず変えられたかな、と思います。
さて、他の参加者の皆様の回答は…
「自分をみつめる場所。中に入って、自分をみて、そこからまた外へでていく」
「いま探しているもの」
「思い出のつながり」
「子供のころの隠れ家」
といった、自分とどかんの思い出について回想して回答する方、
「乗り越えるべきもの、変えるべきもの」としての「どかん」を見つめる方、
それぞれの「どかん」でした。
また、私にとってのどかんについて
「通過点」として、今回の反省点を活かして、次に進むためのステップだったのでは?というお答えを頂きました。
この「どかん大作戦」
終えてみて、私はもやもやもやもやしていました。
「ああだったら、こうだったら」
ずっと考え悩み、プチ家出までしました。
夏目漱石の文明開化について書いた文章に
「本来変化とは階段をのぼるように一段一段地道に進んでいくものだが、
近代文明は、階段をとばしてのぼるような急激な変化で無理やりに変化を作り上げている。
そこにはかならず、犠牲やほころびが生じる。」というようなことが書いてありました。
(高校の教科書で読んだのでうろ覚えですが、趣旨はあっているはず)
この「どかん大作戦」も、本来は少なくとも一年はかけて仲間を増やし、知恵を寄せ合って、地道に活動したかったところ。
企画から4か月ほどで、イベントを行いました。
無理やり力技で行ったところも、多々あり、夏目漱石がいうところの犠牲ほころびだらけです。
(ほころびの一つ、中断してしまった息子のトイレトレーニングはやっとうまくいきそうです。)
これからはこの、「どかんで背負った反省点」を背負って、生きていくことが私の責務だと、おおげさですが今回のランチトークを通じて思いました。
「どかん」以上に難しい課題です。
今回のランチトーク、ご参加いただいた皆様に深くお礼申し上げます。
なにより楽しくお話しあいできたことが、貴重な体験でした。
とてもいいメンバーで語り合えたと思います。
声をかけて頂き、ご準備頂いた番町市民活動センター職員の皆様、ありがとうございました!
ランチトークの後編です。
(編集済の文章が消え、途中の記事が掲載されていました。
中途半端なブログになってしまい、申し訳ありません!)
活動報告ののち、質疑応答へ移りました。
Q 参加した親子にとって、どこを塗ったのか、筆あとすら思い出に残るはず。
それを上から塗り、仕上げたのはなぜか?
A とても悩みました。今もああでもないこうでもないと考えています。
大きな理由としては、
「塗装が薄いことでペンキがまたすぐに剥げてしまわないように」
「大本のデザイン画に対してなるべく忠実に仕上げるため」です。
あとから、『こどもが塗りやすいように、下半分を一色のデザインにする、等塗りやすく工夫すればよかった』等、いろいろと考えましたが、後の祭りでした。
本来は「親子」で塗るイベントとして、大人が多くを担う予定でデザインをすすめていました。
想定外に「子供たち」の参加が多かったこと、大人(保護者の方々)の参加をうまく促せずイベントとして仕切りきれなかったところが多大に影響しています。
参加者の方から、
「それでよかったと思う。下になってしまっても思い出には残る。参加したことが大事」
「下塗りを子供に塗らせれば…(諸書事情がありできませんでした)」
「また悔しさをばねに何年後かに塗り直してもらえたらいいね」等会話が続き、
その後、「親子イベント」で「大人を参加させる難しさ」に話が及びました。
そして
「自分の仕事(私の場合は育児、主婦業)と両立して、他の活動をすること」
についての話になりました。
Q.もともと多忙な主婦業、育児の最中にもかかわらず、活動をはじめたきっかけとは?
私は出産後に夫の転勤で名古屋へ引っ越し、
誰も知り合いがいない、土地勘もないなかで、はじめての子育てをしていました。
赤ちゃんとの生活で出会う人々は皆「○○君のママ」として私をみます。
「○○君のママとしての生活」
について話すことはあっても
「わたし個人」
としての話ができなかった。
例えば、大学でどんなことを学んでいたのか、どんな音楽が好きか、どんな人生を歩みたいか、一人の人間として話す機会がない。
「自分」として生きられないことに、とても違和感とストレスを感じていました。
また、人より早く結婚出産したため、自分のキャリアにもすごくコンプレックスがありました。
「もっと、なにかできるはず!
××××(○○君のママ)として、生きたい!」
※()が大事で、ママとしての自分も大事なんです。でも()くらいのかんじにしたかったんです。
という想いが強くあり、
子育て情報誌を作ろうとしたり(失敗)、職場復帰を目指したり(失敗)、パートで働いたり(二男妊娠で退職)、紆余曲折を経て、「どかん」に出会い、活動をはじめたわけです。
Q.忙しい生活の中で活動時間をどうやりくりしていたのか?
<前篇>でも話した「一分一秒の精度を高める」「脳内自由化」で時間を作っていました。
多忙な主婦業でも「テレビをみてゆっくりする」「インターネットをする」時間があると思います。
そこをカットしていました。
単純にテレビより、活動の方が面白かったからですが。
Q.やりたいこと、やるべきことが多い中、両立をすることのコツは?
TO DO LISTを二つ作っていました。
一つ目は、活動に必要なTO DO(やるべきこと)
これはノート形式で、必要なだけ、ずらずらっと項目にわけて書いていました。
二つ目は、いらない紙に今日すべきことのTO DO LISTを書きます。
これは「今日」がポイントで、もともとその日に終わらせないといけない、また終わりそうなことを書きます。
今日できることの分量を自分で見定めて書くので、
一日の終わりに、リストが消せていることが多く達成感を得られます。
量の多い仕事は、「写真編集半分くらい」みたいに、できることだけ書いていました。
ちなみに、家事のすべきことも一緒に書いてました。
一つ目のノートだけでは延々終わらないし、リストが増えていくばかりなので、
二つ目のメモでリストを消していける、というのがポイントになったと思います。
私がお話ししたことは、これくらいですが
他の参加者の方から
自分の本業と別に活動をすることの意義について
「人生にはりあいが生まれる。
他の活動をすることで、それまでに本業を終わらせよう、と思ったり
人間関係が広がる面白さを感じられる。」
「でも、別の活動をすることが、本業に対する逃げ(アイデンティティーの逃避)になってはならないと思う」
といったご意見がでました。とても勉強になりました。
(私の理解した内容なので、趣旨と違っていたらすみません)
ちょうど今読んでいる本(思考の整理学)にも
「一つのことに縛られる危険性、二つのことをすることで人生により豊潤さをもたらす」というような内容がありました。
「両立」という言葉には「難しさ、大変さ」といったイメージがつきものですが
自転車のように。両輪あってこその安定、ということもあるんじゃないでしょうか?
少なくとも私は、「育児だけ」のときより「育児+」の方が楽しいです。
別のこと、をすることで「本業(子育て家事)」が楽しいんです。
そして、今回のランチトークで一番私が面白く感じたのは
「あなたにとって`どかん‘とは?」
という問いかけに対する、参加者の方々の回答でした。
その回答とは?続きます。