『清風払明月 明月払清風』
清風は明月を払い、明月は清風を払う。
私の師は、若い頃、この軸を見て、
「どうして既に綺麗な名月が清風を「払う」のでしょうか?」
と言う質問をしたそうです。(ん?違ったかな?)
すると、私の師の師は、「悟上の修」とお答えになったそう。
そのときは、私の師はイミフだったそうです。
私も、イミフには違いないのですが、
名月と清風は相対的なものの例えかな、と思うのです。
お茶の場合だと、亭主と、客のことかな、と。
時、処、位によって主となり、客となるにすぎない、
だから、そのときそのときを大切にしましょう、ということかな。
秋の夜空の清らかな様子は、
迷いを払ったあとの『空』、と。